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指導者として博物館を利用するために

「博物館」で授業をしたいな―と思うことがあります。この「博物館」は,私にとっては科学博物館であったり動物園であったり,水族館や植物園であったりするわけですが,もちろん,皆様のご専門によっては美術館でも歴史民俗博物館でもいいわけです。要するに,教科書や資料集以上の情報が得られる場で授業をしたいということです。

 博物館と学校の連携を,文字通り「博学連携」といいます。その理念や実践は,ググるとそれなりにヒットします。いくつか読んでみると,次のような課題が挙げられていることが気になってきました。ざっくり言えばすなわち,

① 博物館職員も学校職員も,恐ろしく多忙で,事前協議の時間が十分にとれない
② ①ゆえに,博物館職員も学校教員も,博物館の展示物を学校の教育課程のどこに位置づけるとよいのか分からない

というものです。

 ①については多くの方が知るところでありましょう。学芸員の方も教職員の方も,非常に忙しい日々を送っておられます。
②は少し複雑です。博学連携の実践の多くは,地域の博物館と地域の小中学校とが連携したものです。高等学校との連携については,その実践報告を探すのがやや難しいと感じるくらいであり,そもそものノウハウの蓄積が少ないというのが1つ。また,小中学校との連携では学習の場が博物館側にあって博物館主体でことが進むのに対し,高校との連携では学習の場が学校側にある―つまり,学校側のニーズとして,授業の一環としての博物館利用というものが,高校においては小中学校よりも強くある―傾向にあるというのが1つ。ノウハウの不足に加えて,連携の仕方がそもそも違うという事情があるんじゃないかと思います。

 

さて,どうしたらいいんでしょうね?

 

①については,ここではちょっと置いとこうと思います。人・金・時間がモノを言うのはどこでも同じです。
②について。博物館職員に,学習指導要領について把握してもらうといいのでしょうか。それとも,学校職員に,博物館のもつコンテンツを把握してもらうといいのでしょうか。どちらにしたって,ただでさえ①の問題があるのに,それはしんどいというものです。博学連携の場では,プログラムに応じたワークシートなどを博物館側が作成し,ことに当たっている実践例も少なからず見受けられますが,これもやはり博物館側のリソースが大きく割かれているはずです。学校側が博物館のコンテンツを精査し,授業の一環として利用できるようチューニングするのも同様です。何か新しいことを始めるというのは,なかなかどうして難しい。残念ながら,現状は人も金も時間もないのだから,それを見越して博学連携のハードルを少しでも下げることができないか―ハードルが下がると,少し余力のある学校や博物館が実践を行うことができる。実践の共有が進むと,ハードルがさらに下がる…と,希望的観測をしてみたりはするのですが,ねぇ。

 

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話を冒頭に戻しますが,「博物館」で授業をしたいな―と思うことがあります。私はいま予備校講師なので,予備校講師としてもしも博物館で授業をすることになったらどのようなことをするか,ちょっと考えてみることにします。いまの私の立場は,学校職員側に近いものとしてお考えください。

 事前に準備するものとして大切なのは,やはり発問だと思うのです。どういう発問をして,どういう考えを促して,何を身に付けてもらおうと意図するか。もちろん,学習者の想定外のレスポンスはその場で可能な限り愉しめばいいのですが,少なくともこれだけは身に付けて欲しい!という目的がこちらになければ,得られるものも得られません。では,博物館に行く目的をどのように設定してみましょうか。

 私は予備校に所属しているので,職業上の命題は「いかに成績を上げるか」です。未来の博物館利用率がもっと上がるといいなとか,博物館の社会教育施設としての価値付けを推し進められればいいなとか,そういう思いも少なからずあるのですけれど,ここではひとまず置いておくことにしましょう。

 では,試験の点数の向上につながるような博物館利用とは,どのようなものが考えられるでしょうか…とは言ってみたものの,何となくですが,“試験の点数の向上につながるような博物館利用”という表現は少しばかり反感を買いそうな予感がします(少し俗っぽい響きになるのでしょうか)。しかし,「学校の勉強など役に立たない」などと言われればそれを否定するのと同じ口で,「試験の点数の向上につながるような博物館利用」を否定することは筋が通りません。理科の試験の点数が,いわゆる科学リテラシーとある程度相関する(科学リテラシーを“保証する”とは言いません,念の為)ことは言うまでもないからです。ここでは多少の勇気を以て,この偏差値至上主義にあるかのような表現を使っていくことにします。

 大学入試センター試験は大学入試共通テストと名前を変えました。至極ざっくばらんに中身の変化を述べるとするならば,単純に知識を問う問題といわゆる「思考力」を問う問題のウェイトを比べたときに,共通テストではセンター試験よりも後者に重きがおかれるようになりました。文科省は,学力の三要素として1. 知識・技能,2. 自ら考え,判断し,表現する力,3. 学習に取り組む意欲の3つを掲げていて,共通テストではそのうち2を問う出題が目立つ印象です。

 では,「自ら考え,判断し,表現する力」とはいったいどのような力なのでしょうか。過去記事で少し触れたこともあるようにも思いますが,類推,あるいは演繹と呼ばれる思考の流れがメインになるのではないかと考えています。

 生物の教科書では,生物の多様性の中に見られるいくつかの具体例と,その具体例から帰納的に導かれる生物の共通性について学ぶことができます(他にも言いようはありますが,ここでは,教科書のはたらきからその側面をピックアップすると捉えていただければ幸いです)。一方で,共通テストや大学個別の入試問題で問われる,いわゆる「思考力」を問う問題には,教科書で学んだ生物の共通性を,教科書には記載のない別の具体例に適切に演繹できるかどうかを問う問題が散見されます。然らば,ですよ。博物館で,教科書や資料集にない実物を見せることのその先には,初めて目にした展示物に対しても,座学で勉強したことを使ってある程度確からしい説明を与える訓練があるものと考えても差し支えないんじゃないでしょうか。

一般に,「理科が得意な人」とは,初めて目にする現象に対しても,“どうしてそのような現象が起こったのだろうか”と過去を推測したり,“このあとどのような現象が起こりうるだろうか”と未来の予測を立てたりすることが得意な人のことを指すと私は考えています。初めて目にした現象に対して,その原因,あるいはその現象を原因とする結果をすぐさま考えるような訓練を,「理科が得意な人」は積んできているのではないかなと思います(訓練を積む最中に,その訓練を積んでいるという自覚があるかないかは別にして,です)。

博物館は,初めて目にする現象に溢れています。これから因果関係の推論を上手にする上でおさえておきたい大事な現象が,理科を学ぶのにある程度適した形にチューニングされて展示されています。これを,説明を与える訓練を積むように使わない手はないんじゃないかと思うのです。これが,私が指導者として博物館利用を行うとした上での,博物館の捉え方です。


 指導者側の博物館の捉え方が定まったなら,次は学習者へのはたらきかけ方です。
この記事をお読みの方は,理科や理科教育について造詣が深い方が多いように思います。私達の多くは,自身が受けた学校の理科の授業を面白いと思い,そしてそれを継続して勉強し,何とまぁわざわざそういう大学を選び,そしてそれをあろうことか仕事にまで選んだ奇特な人間です。私達はなにか初めて目にする現象があると,すぐにその因果関係を考えようとしてしまう変ちくりんな人間なわけです。分かりますか,決して私達は多数派ではありません。
つまり,つまりですよ,学校として博物館を利用する目的として,例えば「実物を見せたい」とかいうのは分かるんです。でもそれだけでは,博物館を利用するとなった時点で,すでに実物を見て何かを学び取れるようになっている人―つまり私達のような人―しかその恩恵を受けることができないんですよ。「実物を見せて,演繹的な思考を促したい」とか,「実物を見せて,自身の経験に説明をつけられるようになってもらいたい」とか,博物館での体験そのもののその先まで見据えた目的を設定して初めて,理科の成績向上に資する博物館利用が実現しうると考えます。この目的を学習者と共有するための事前のオリエンテーションなしには,効果のある博物館利用には決してならないでしょう。連れてって終わり,じゃダメなんです。たぶん。

 

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私達は理科でワクワクします。それは見事な生物の擬態にため息をつき,激しく光るマグネシウムの燃焼に歓声を挙げるわけです。そしてほぼ無意識にその仕組へと目を向ける。化学反応式を想起する。私達は勝手にワクワクのその先へ行くんです。でも,そんなのはきっと特殊なんです。私達は私達の特殊性に目を向けて初めて,理科の醍醐味のようなものを学習者の皆さんに伝えることができるのではないでしょうか。

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