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生物 学習指導要領 (1) 生物の進化

―高校生物の,学習指導要領の改訂―

 下記は,2020年現在,すでに改訂済みの学習指導要領です。改訂済みですが,今の高校生はまだこの学習指導要領で学んではいません。2020年度,この学習指導要領に則って編集された高校の教科書は,文部科学省による検定を受ける運びになっています。
 高校の科目「生物」の,今回改訂された新しい学習指導要領については,特筆すべきことがあります。というのも,これまでは「細胞と分子」といった単元から始まっていたものが,「進化と系統」から始まるようになりました。「進化と系統」といえば,これまでは最後に学習していたものですよ。告知された時は,思わず「えっ」と声が出ました。

 とりあえず,今回の学習指導要領の順番に則って,その単元あたりの内容の話をしてみようと思います。私自身が一度,筋書きを自分でも用意しておきたいというのもありますし,高校で生物を学ぶ上で,個人的には,こういうイメージはもっておいて欲しいなぁーというざっくりとしたものにしようと思います。

 あと,今回はちょっとばかし,扱うテーマの都合上,過去の投稿(↓)と少し内容が被ります(ヒトとサルの共通祖先の話など)。予めご容赦くださいませ。


―生物 学習指導要領 (1) 生物の進化―

学習指導要領(引用)

(1) 生物の進化
生物の進化についての観察,実験などを通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。

ア 生物の進化について,次のことを理解するとともに,それらの観察,実験などの技能を身に付けること。

(ア) 生命の起源と細胞の進化
㋐ 生命の起源と細胞の進化
生命の起源と細胞の進化に関する資料に基づいて,生命の起源に関する考えを理解するとともに,細胞の進化を地球環境の変化と関連付けて理解すること。

(イ) 遺伝子の変化と進化の仕組み
㋐ 遺伝子の変化
遺伝子の変化に関する資料に基づいて,突然変異と生物の形質の変化との関係を見いだして理解すること。
㋑ 遺伝子の組合せの変化
交配実験の結果などの資料に基づいて,遺伝子の組合せが変化することを見いだして理解すること。
㋒ 進化の仕組み
進化の仕組みに関する観察,実験などを行い,遺伝子頻度が変化する要因を見いだして理解すること。

(ウ) 生物の系統と進化
㋐ 生物の系統と進化
生物の遺伝情報に関する資料に基づいて,生物の系統と塩基配列やアミノ酸配列との関係を見いだして理解すること。
㋑ 人類の系統と進化
霊長類に関する資料に基づいて,人類の系統と進化を形態的特徴などと関連付けて理解すること。
イ 生物の進化について,観察,実験などを通して探究し,生物の進化についての特徴を見いだして表現すること。

―というわけで進化のお話―

 この単元に入るときは必ず聞くんです,「進化って,そもそも何?」って。
 ポケモンの「進化」が生物学でいうところの進化ではないというのは,多くの方はどこかで耳にしています。でも,いざ「何?」と聞かれると言葉にできない方が多い。

 おおむね,次の2点を答えられるようになっておきましょう。あ,一字一句そのまま言える必要はありませんよ。お手元の生物の教科書や学参を参考に,その意味するところが腑に落ちれば,表現の仕方には幅があって構いません。

① 生物の形質が,長い年月・世代をかけて変化すること
② ある生物集団における,任意の対立遺伝子の遺伝子頻度が,世代間で異なること

 ①はピンときやすいかもしれません。②はちょっと何を言っているのか分からないかもしれませんが,今はそのままで結構です。ちょっとだけお話しておくと,②の積み重ねが①に繋がります。ちょっとだけ,詳しくみていきましょう。

① 生物の形質が,長い年月・世代をかけて変化すること
 アダムとイヴを引き合いに出さない限り,私たちヒトは,今のヒトの形をもってポンッと地球上に現れたのではありません。契機はおよそ2億2500万年前,中生代三畳紀。40億年前の太古代に,水で満ちあふれた海であらわれた原始の生命は,中生代三畳紀にはすでに陸上の乾燥に耐性をもつ仕組み(ヘビのウロコなど)を獲得していました。陸上は水中に比べて環境(気温や湿度など)の変化が激しいとはいえ,動物にとっては未開の地でしたから,乾燥に耐えることができれば,あまり他の生物に邪魔されたりせずに子孫を残すことができたのかもしれません。乾燥に適応した多種多様な爬虫類が闊歩していたこの時代,爬虫類の多様性の辺縁で,「最初の哺乳類」と言われるアデロバシレウスが登場します。見た目はネズミ。ちょっと鼻が尖り気味。哺乳類のように体毛があって,頭蓋骨の形が現生の哺乳類のそれに近くって,でも卵生でした。
 哺乳類の進化は,このアデロバシレウスから始まります。より古い時代の地層から別の化石が出ない限りは―ですが,現状はここから始まるとされます。「進化」とはすなわち,「生物の形質が,長い年月・世代をかけて変化すること」でしたよね。約2億2500万年をかけて,哺乳類はネズミのような姿から,現生のヒトのような姿に進化してきました。

 「ネズミのような姿のままの生物は?」進化とはそういうものです。2億年をかけたって,変わらないものは変わらない。同じような環境で,同じように暮らして不都合がなければ,同じような姿のままでいるわけです。もう少し実例を挙げてみましょうか。

 私たちヒトは,サルから進化したとよく言われます。この「サル」という言葉が実は厄介モノで,そこには「現生のサル」と「「現生のサル」っぽい昔の生き物」が混じっています。例えば,いまどこかの森にいる「現生のサル」が,あと何百万年かしたらヒトっぽい何かになるのかといえば,きっとそうではありません。「ヒトはサルから進化した」は,正確には「ヒトと「現生のサル」が,同じ祖先から進化した」と言うべきです(この「同じ祖先」には,すべての哺乳類の共通祖先として,前述のアデロバシレウスも含まれます)。あくまで「サルから進化した」と言いたいなら,せめて「昔のサルから進化した」にしましょうか。
 「現生のサル」と「「現生のサル」っぽい生き物」は,ヒトと「「現生のサル」っぽい昔の生き物」よりも,互いによく似ています。それもそうで,「現生のサル」は「「現生のサル」っぽい生き物」と恐らく同様に,森の中で生活をしているのです。同じような環境で,同じように暮らして不都合がなければ,同じような姿のままでいるわけです。一方のヒトは,「「現生のサル」っぽい昔の生き物」とは違って,樹から降りて,森を出て生活しています。互いに異なる環境で暮らしているのですから,それ相応に姿も変わるのです。

 当時,乾燥化の進む地球では森林面積の減少が続き,森の外での生活を強いられた・あるいは試した「「現生のサル」っぽい昔の生き物」がたくさんいたかもしれません。森の外はサバンナで,すでにチーターの祖先がガゼルの祖先を追い回していたでしょうから,そこでの生活が上手くいかなかった個体がほとんどであったでしょう。ただ,その生活がたまたま,なんとか上手くいった,「「現生のサル」っぽい昔の生き物」の集団がいたんでしょうね。

 なお,これまでの話は,アデロバシレウスや「「現生のサル」っぽい昔の生き物」の姿がヒトと大きく異なるという前提でお話をしていますが,骨格や臓器などは,言ってしまえば似たようなものです。変わるところは変わる,変わらないところは変わらない。さも,哺乳類という分類の背後にその原型,すなわちプラトン的なイデアを見いだせるかのように…―このあたりの内容をちゃんと知ろうと思って,ちょうど倉谷滋の『進化する形』を読んでいるところです。これ以上喋ってはいけない。まだ私は分かってない。



② ある生物集団における,任意の対立遺伝子の遺伝子頻度が,世代間で異なること
 進化の定義,2つ目。対立遺伝子…?遺伝子頻度…?
 ちょっと困りました。進化の定義について扱う上で,遺伝子についての話を避けて通るわけにはいきません。中学理科や生物基礎の学習はバッチリ,という前提に立って,不特定多数(少数?)の方がご覧になるnoteを記すのも変な話なので,ちょっとだけぼかして書くようにしましょう。

 ①で取り扱った進化の定義は,いわば「現象」です。化石として出土する昔の生き物と,今の生き物の形が明らかに違うが,しかし共通点もある。そういった観察を繰り返すことで,生き物の形は長い時間をかけて変わってきたんだなとしています。
 一方,②で取り扱う進化の定義は,いわば「仕組み」です。なぜ・どうしてそんなことが起こるのか。1859年―いまから151年前にダーウィンが発表した『種の起源』では「自然選択」が提唱されました。1859年ですよ,1859年。遺伝学の祖メンデルが,こんにち「メンデルの法則」と呼ばれる法則を発表するのが6年後の1865年ですよ。その研究が当時,生命現象に数学的手法を用いるという斬新な発想(メンデルは『ドップラー効果』のドップラーから物理・数学を学んでいる)から日の目を見ず,コレンスら別の科学者によってメンデルの法則の再発見がなされたのが1890年代の頃ですから,ダーウィンや,同時期に同様の着想にいたっていたウォレスは,遺伝学の基礎なく「自然選択」を提唱したことになります。

 いったん,遺伝子という文字列を使うことなく,①にならって進化の一例を挙げてみることにしましょう。「工業暗化」と称される事例があります。
 オオシモフリエダシャクという蛾がいます。多くは白地に黒の模様をもつ蛾で,ぱっと見の黒さには個体によってばらつきがあります(白地が目立つ個体もいれば,黒っぽく見える個体もいるということです。個体差,というやつです)。
 舞台はイギリス,工業化の進むマンチェスター市。工業化に伴って,当時は煤煙なんか規制せずモクモク出していましたから,白っぽい樹皮をもつ樹木も煤けてしまうわけです。
 白っぽい樹皮には元々,白地の目立つオオシモフリエダシャクが多くいました。白っぽいほど樹皮に同化して鳥などに狙われにくいので,白っぽい方が生存や繁殖に有利だったのでしょう。しかし,街の工業化に伴って樹皮が煤けてしまうと,すぐに黒っぽいオオシモフリエダシャクが増えました。黒っぽいほうが生存や繁殖に有利だったというわけです。このように,A. 生物集団の中に個体差があって,かつB. 個体差によって生存や繁殖に有利・不利がある場合,その集団を構成する個体に「自然選択」がはたらいて,「生物集団の中で,ある姿をもっている個体の割合が増加する」という現象が起こります。オオシモフリエダシャクは,街の工業化に伴って体色を黒く変化させたように見えるため,この現象を「工業暗化」と呼ぶんです。

 ここで改めて1つ確認を。工業暗化は,「進化」の一例です。この進化は,街の工業化という短い年月の間に引き起こされたものでした。つまり,ある現象を「進化」と呼ぶためには,億オーダーの年月は必要条件ではないということです。

 ここで,「進化」という言葉についてもう一度考えてみましょう。ゲーム内のキャラクターが姿かたちを大きく変えることを「進化」と言うことがありますが,言わずもがな,あれは生物学で言うところの進化ではありません。あれは「変態」などといいます。
 進化とは,ある種の生物の集団に個体差があるとき,ある特定の“かたち”をもつ個体の割合が変化することを言います。ゲーム内では,進化という言葉を「個体」に対して使っていますが,生物学では進化という言葉を「集団」に対して使います。
 しかし一方で,「自然選択」という言葉は,概ね個体に対して使います。自然選択とは,個体が自然に選択されるということなんです。これが進化のややこしいところ。

 オオシモフリエダシャクの「集団」が,白っぽい個体が多い状態から,黒っぽい個体が多い状態に変化した―これは「進化」です。
 その際,白っぽいある「個体」が捕食されて子孫を残せなくなり,黒っぽいある「個体」が捕食を免れて子孫を残せた―これが「自然選択」です。
 個体ごとに自然選択がはたらき,結果として集団に進化を引き起こす―進化と自然選択という言葉の関係は,このような因果関係として把握しておいてもらえれば幸いです。

 …実は脱線していたので話を元に戻しましょう。「いったん,遺伝子という文字列を使うことなく,①にならって進化の一例を挙げてみることにしましょう。」と言ってオオシモフリエダシャクの話を進めたので,今度は遺伝子という文字列を使うことにします。
 オオシモフリエダシャクの白っぽさ⇔黒っぽさという“かたち”には,それを司る遺伝子があります。「翅の黒っぽさに個体差がある」ということは,「翅の色を黒くする遺伝子のはたらきに個体差がある」ということです。翅の色を黒っぽくする遺伝子が強くはたらけば,それ相応に黒っぽくなるというわけです。同様に,「翅の黒っぽい個体が生き残る」ということは,「翅を黒っぽくする遺伝子が受け継がれやすくなる」ということです。ここまで来ると,「自然選択は「個体」ではなく「遺伝子」にはたらくのではないか?」と考える方がおられるかもしれません。そういう議論を著書の中でしているのが,『利己的な遺伝子』で知られるリチャード・ドーキンスですね。


 すでに述べた通り,ダーウィンの頃はまだ,今の私たちが知っているような「遺伝子」の概念が浸透していない状況でした。当時議論された自然選択の多くが目に見える“かたち”についてのものです。しかし,その“かたち”を決めているものは何かといえば,今では遺伝子であるということが分かっています。
 「ある生物集団における,任意の対立遺伝子の遺伝子頻度が,世代間で異なること」という定義は,メンデル以降の科学者らが,進化の仕組みたる自然選択を遺伝子レベルで説明をつけた―とでも言えましょうか。

 ここいらで一度,②の総括をしましょう。

 進化という現象を説明する上で,先程はこのように書きました。

A. 生物集団の中に個体差があって,かつB. 個体差によって生存や繁殖に有利・不利がある場合,その集団を構成する個体に「自然選択」がはたらいて,「生物集団の中で,ある姿をもっている個体の割合が増加する」という現象が起こります。

 ここで挙げた条件A,Bに,次のように条件Cを加えます。

A. 生物集団の中に個体差があって,かつB. 個体差によって生存や繁殖に有利・不利があり,そしてC. 個体差の原因が遺伝子の差である場合,その集団を構成する個体に「自然選択」がはたらいて,「生物集団の中で,ある姿をもっている個体の割合が増加する」という現象が起こります。

 なぜ,遺伝子のようなものまで持ち出して,C.を付け加える必要があるのか―それは,見た目の“かたち”の差が遺伝的なものとは限らないからです。筋トレして後天的に手に入れた逞しい筋肉などのように,遺伝しない“かたち”は,進化しないということですね。


***

 ざっと,高校生物で学習する進化について,だらだらと書いてみました。「生物の分類」の単元のことについても書きたいのですが,それは過去のこちらの記事(3部作↓)をご参照ください。


 高校生の皆さんが,もしここまで読んでおいでなら,この単元を学習する上で気をつけておいて欲しいことがあります。「進化」というのは,言葉に注意する単元だということです。例えばあなた,キリンの首が長いことに対する進化的な理由付けを,どうしますか?

「高いところの葉を食べるため」

 これ,不正解なんですよ。ミソは「〜ため」という部分。進化は目的をもちません。進化はサムシング・グレートが引き起こしているのではなく,ある“かたち”が「自然」に「選択」されて起こるのですから,そこに目的論を持ち込んではならんのですよ。
 ダーウィンの自然選択に則って書けば,一例としては

何らかの原因で,高いところの葉を食べられるようになったことが,たまたま,サバンナの環境では,食草をめぐる他の動物との競争において有利にはたらいたから」

 といったところでしょうか。あるいは,元々足の長かったキリンの祖先のうち,首の長いものは足を曲げずに水を飲むことができた(その方が,水を飲んでいるときに襲われてもすぐに逃げることができる)とか。

 どの遺伝子に何が起こって,結果としてどのような“かたち”が実現されているのかは,もっと掘り下げられるテーマでもありますね。例えば,植物の開花に関わる遺伝子については,こちらの記事(↓)で取り上げました。コケと高等植物で,共通の仕組みが見つかったというニュースでしたね。


***

 最後に。事故や病気等の事情がなく,機能としては子孫を残すことができるにも関わらず,自らの主義主張に基づいて子孫を残さない人のことを,生物学的におかしいと言う人がいます。十中八九,二言目には「種の存続」などと言います。

 まず,進化説をはじめ生物学は,人の主義主張の是非を判断する学問ではありません。それでも敢えて生物学を持ち出すのであれば,ヒトという生物の多様性や,生き物の性の多様性を引き合いに出し,そういう主張をするヒトがいることを認めるべきだと思います。
 そして,「種の存続」を生物学の文脈で持ち出すことも誤りです。種の存続なんてものを考えている動物はヒトしかいません。基本的に,生き物は自分のこと―自分の遺伝子を残すこと―しか考えていません。情けは人の為ならずとは,よく言ったものです。

 進化論は,優生学の名の下に濫用された歴史がありました。優生学が公の支持をなくした今でも,遺伝性疾患による差別,出生前診断など,「進化」や「遺伝子」の絡む倫理的課題はたくさんあります。ここで,そうした課題に対して,皆さん自身が実際に意思決定を下す場に立ったとき,理科の正しい知識は,その意思決定の質をある程度担保するはずです。
 高校で学習する「生物」という科目は,何も,生き物のことばかりではないんですよ。むしろ,「生物」という科目だからこそ,それを学習することで現代社会の様々な課題にもアプローチできる武器を1つ持てるとも言えます。

 話が不要に大きくなってしまいましたね,これ以上は言及いたしません。
 教科書の中の知識は,貴方が積極的に使ってこそ意味があるものだということを忘れずに,今日も,明日も,ちょっとだけ生き物の勉強をしてみましょうね。(結)

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