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生物と地理―例えばチェルノーゼムについて

 前回の記事で,「2022年から,高校課程に「地理総合」という科目が必修化します」という話をしました。あんな話やこんな話が面白いかもしれないなぁ…という気持ちを,少しだけ具体的にしてみたいと思います。
 
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 地理には「土壌」という項目があります。生物基礎の教科書にも土壌は登場し,概ね,「母岩由来の無機物と,生物由来の有機物が混ざったもの」と説明されています。
 
 ちょっとだけ,生物基礎における土壌について紹介しようと思います。ちょっとだけです。
 例えばここで,とある森林の形成されていた火山が噴火したとします。マグマの流出が起こり,そこに生える植物は,地上部はおろか土の中の種子や根っこなど,およそ生物由来と呼べるものがすべて焼き尽くされるようなことが起こったとしましょう。跡に残るのは,冷えて固まった溶岩のみ。当然これは無機物なので,無機物と有機物が混ざったものである土壌とは,とうてい呼べません。
 しかし,生き物がいなくなった環境というのは,いわば環境にできた“空き”です。ひとたび空きができれば,その空きの近くでぎりぎり焼失を免れたようなところから,そこを生育環境にしようと集まってくるのが生物というものです。とはいえ,そこには肝心の「土壌」がない。土壌がないので,草本植物(いわゆる草)はまだ育つことができません。草の代わりに,まずはコケ植物が生えます。コケ植物は生育しては枯れ,生育しては枯れを繰り返しますが,この過程で,コケ植物は光合成を行って,大気中の二酸化炭素と水から有機物を作ります。また,風や雨垂れは溶岩をも穿って砂粒を作り,砂粒は更に砕けて泥となり,コケ植物の枯死体などと混ざり合って薄い土壌を形成します。
 さて,土壌が形成された場所では,一般にコケ植物よりも草本植物の方が競争に強いとされています。それはなぜか。土壌があることは根を張れることを意味し,根を張れることは植物体をある程度の高さにまで成長させられることを意味し,ある程度の高さに成長できることは他の植物との光の奪い合いにおいて優位に立つことを意味するからです。土壌が形成される前は,草本植物は根を張ることができないのでコケ植物のほうが優位でしたが,土壌が形成された後は丈の高くなる草本植物の方が優位になります。さらに土壌が分厚く形成されると,今度は草本よりも高く成長する木本植物(いわゆる木)が優位になり,千年オーダーの年月を経て溶岩台地は再び森林となります。このように,何もないところから,コケと岩ばかりの荒れ地,草むら,そして森といったように植生が移り変わっていくことを,生物では「植生遷移」という内容で学習します。
 
 さてこの植生遷移ですが,日本のように十分な気温と降水量があるような場所では,概ねどこでも最終的には森林になります。これは言い換えれば,そこに森林が形成されるには十分な降水量と気温が必要であるということです(降水量と気温が,説明変数としての寄与が大きいということです)。つまり,乾燥の激しい地域や,寒さの厳しい地域では,植生遷移は草原や荒れ地で止まってしまったりします。
 例えばウクライナから中央シベリア…だけじゃないんですけど,そのあたりにかけて卓越する草原はステップと呼ばれ,野生ではイネ科を主として草しかほぼ生えません。ステップは,生物では草原の一つに数えられ,草原にはステップの他に木がまばらに生えるサバンナがあります。一方地理では,ステップ気候(BS)という乾燥気候の一つに数えられ,熱帯気候であるサバナ気候(Aw)とは気候区分が異なります(ここでは手元にある山川出版社さんの地理B用語集に準じて「サバナ気候」という言葉を使っていますが,どっちでもいいので統一してほしいところです)。地理ではさらに,このウクライナから中央シベリアにかけて発達する黒色の土壌として,「チェルノーゼム(ロシア語で“黒い土”)」を学習します。
 
 チェルノーゼムは,その表面に腐植(植物遺体がある程度,土壌昆虫や微生物に分解されたもの)が集積しており,とても肥沃な土壌として知られています。そこではコムギの栽培が盛んであり,ウクライナやロシアはコムギの輸出国としても上位にある国です。
 ではなぜ,ステップに肥沃なチェルノーゼムが発達するのでしょうか。それは,その場所の降水量が多すぎず少なすぎずであり,草本植物が優占する草原になるため―と考えることができます。他にもその成因を説明する要素はたくさんあるのですが,今回はこの点に絞って整理してみたいと思います。
 
 まずは地理的な話から。ステップ気候は乾燥気候ではありますが,砂漠のように雨が降らないわけではありません。2020年は,東京の年間降水量が1,590.0mm,ウクライナの首都キエフの年間降水量が611.1mmであり,東京の3分の1〜半分弱くらいの降水量があります(ちなみに,イネの栽培限界は年降水量1,000mm以上,コムギは年降水量500mm以上と言われます)。乾燥しすぎるとそもそも植物が育たなくなるので,腐植が形成されません。では,降水量が上がると,何が起こるでしょうか。
 ここからは生物的な話。一般に,降水量が増加すると,A. 腐植の中の栄養分が水に流されてしまい,そこでこれから生育する植物にとって利用可能でなくなってしまう,B. 草ではなく,木が生えてくる―といったことが起こります。
 A.は,草原土壌であるチェルノーゼムが肥沃である理由の1つとして分かりやすいと思います。そこに世界の小麦需要を支える肥沃な土壌が形成されるには,乾燥しすぎてもダメだし,かといって雨が降りすぎても良くない。雨量が少なくても多くても良くないということは,丁度いい雨量があるということです。
 B.は,すなわち草原の土壌の方が森林の土壌よりも肥沃であるということを意味します。木は,その質量の大部分は太い幹が占めており,土壌から吸収された栄養分は吸い上げられたまま,長い年月の間木の中に存在することになります。一方の草は,木のように茎(幹)が太くなるようなことは起こらず,毎年ある程度の量が枯れて土に還ります。森林と草原を比べると,単位面積あたりの落ち葉や落ち枝の量…つまり土に還って腐植になる量は草原の方が多いことが知られており,これが草原土壌の分厚い腐植層の形成に寄与します。
 
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 このように,あるテーマを複数の科目を切り口に検討するのは,個々の科目の理解がより広く・深くなるという点でも非常に面白い取り組みです。あるモノを,Aさんはこう見る,Bさんはこう見る,Cさんはこう見る―といったことを共有し合う活動は,自身に足りない視座を与えてくれるものですし,ひいては他者理解に寄与するものでもありましょう。
 嗚呼,やっぱり色んな科目の方と博物館に行きたいです。もちろん同じ科目の方とも行きたいです。


―追 伸―

 …さらに,チェルノーゼムの肥沃さを説明するのに,不慣れながら化学を持ち出すと,日本のように火山灰が土壌の性質に影響するところでは,アルミニウムAlがケイ素Siと結合してアロフェンと呼ばれる構造をつくり,葉緑素の合成に必要なマグネシウムMgなどの金属イオンを吸着することで土壌の栄養分を保持する力が高くなりますが,火入れなどの撹乱によって維持されたイネ科草本草原ではプラントオパールの形成にケイ素Siが吸収・利用されるため,土壌中でアロフェンを形成できず遊離したAlが腐植と結合し難分解性の腐植が形成されますが,ウクライナなどでは乾燥した氷期に形成されたカルシウムCa等に富む風積土が土壌の性質に大きく影響し,腐植にカルシウムCaが結合することで腐植が分解されやすく―すなわち植物に利用されやすくなりますが,夏に一斉に繁茂するイネ科草本が冬に枯れて腐植の供給が追いつくために,チェルノーゼムの肥沃な…いや,ここまで書いていながら自分がまったく分かってないことが分かります,やめておきましょう…

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