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mRNAワクチン2/2 mRNAワクチンのお話。

 前回は,“そもそもワクチンとは”ということを,免疫記憶とB細胞に絞ってお話しました。従来の不活化ワクチンや生ワクチンは,体外から入れた異物に対して免疫記憶を成立させ,二度目以降の同じ異物の侵入に備えるということでした。
 mRNAワクチンもワクチンなので,私達の身体にすでに備わっている免疫のシステムを利用し,二度目以降の異物の侵入に備える点は同じです。従来のワクチンと違う点は,異物そのものを体外から接種するのではなく,異物の「設計図」を接種し,異物を体内で作らせるという点です。さて,少し細かく見ていくことにしましょう。

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 さて,mRNAの前にタンパク質の話。前提として大切なので,この話をしないわけにはいきません。
 すべての生き物の体内では,さまざまなタンパク質がはたらいています。
 例えば筋肉。力こぶを作る上腕二頭筋,あるいはスーパーで売られている鶏モモ肉。その中では,主にアクチンとミオシンという2種類のタンパク質がはたらいており,これらが協調することで筋肉は収縮と弛緩を繰り返すことができます。
 例えば酵素。口の中―すなわち体の外でデンプンを分解するアミラーゼ,あるいは肝臓の細胞内でお酒のエタノールを分解するアルコール脱水素酵素。これらはタンパク質であり,体内・体外で起こる様々な化学反応を促進することができます。

 ここでは4つのタンパク質を例に挙げましたが,ヒトのタンパク質は10万種類にも及ぶと言われています。ヒトだけでなく,すべての生き物がこのタンパク質という物質を日々利用して生きており,いわゆる「生命現象」と呼ばれるモノには何かしらのタンパク質が関与しています。

 ではこのタンパク質は,どのように作られるのでしょうか。

 私達ヒトの細胞の中には,核と呼ばれる構造があり,DNAはその中に保管されています。DNAの情報がmRNAに写し取られ,mRNAの情報をもとにタンパク質の構成要素であるアミノ酸が…やめましょう,これなら教科書読むほうがいい。

 ちょっとした例え話を試みてみましょう。核を,活版印刷会社とします。この会社では,様々なタンパク質の設計図を印刷しています。核の外には,タンパク質の設計図をもとにタンパク質を合成する工場があるとしてください。
 活版印刷で用いられる文字の型,すなわち活字の並びはDNAに相当し,その並びの一部が活版として「印刷」され,タンパク質の設計図となります。この設計図がmRNAです。活字そのものは印刷会社にとって非常に大切なものなので,遺伝子としてDNAそのものを核の外に持ち出すことはできません。DNAからmRNAを印刷し,mRNAは核の外にあるタンパク質合成工場に運ばれて情報が読み取られ,タンパク質が合成されるというわけです。ここで,活版であるDNAからmRNAが印刷される過程を“転写”,設計図であるmRNAから情報が読み取られ,タンパク質が合成される過程を“翻訳”と言います。

 活版や設計図の仕様や,転写と翻訳のシステムは,生き物の種を問わずよく似ています。ですから,例えばヒトのアミラーゼのDNA(活版)を酵母に注入すると,その酵母の中でヒトのアミラーゼのmRNA(設計図)が印刷され,ヒトのアミラーゼが合成されるようになります。つまり,酵母の中にあるタンパク質合成工場は,ヒトのタンパク質の設計図も受付可能であるということです。

 …ということは,ですよ。細胞に,外部から設計図を注入しても,タンパク質合成工場はそれを受け付けてくれるということですよ。ならば,ヒトの細胞にあるタンパク質合成工場に,ウイルス断片などの異物の設計図を渡せば,その細胞は異物をせっせと作るようになるということです。これがmRNAワクチンです。不活化ワクチンや生ワクチンのように異物そのものを注射するのではなく,mRNAワクチンは異物の設計図を注射し,私達の細胞に異物を合成させるわけです。その異物には,他のワクチンと同様に免疫記憶が成立し,二度目以降の侵入に備えることができるというわけです。

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 「mRNAワクチンによってヒトの遺伝子が書き換わることはないのか」
 ないです
。すでに見てきたように,すべての生き物には,DNA→mRNA→タンパク質という,情報の流れがあります。これを“セントラルドグマ”といい,原則としてこの流れは一方通行です。つまり,mRNAからDNAが合成されたりはしません。mRNAワクチンによってヒトのDNAが書き換わらないというのは,このためです。例外的に,エイズウイルスなどはmRNAからDNAを合成し,私達の細胞の核の中にニセの活版を作ることができます(今は投薬で抑え込めるとはいえ,だからHIVは厄介なんです)が,新型コロナウイルスにそんなことはできないことは分かっていますし,mRNAワクチンの成分にそれを可能にするものはありません。

 「注入したmRNAが体内に残ることはないのか」
 ないです。
もともと,mRNAは非常に壊れやすい物質です。mRNAは,タンパク質合成工場に運ばれて情報を読み取られた後,速やかに分解されます。生き物の細胞はタンパク質を,必要なときに・必要な種類を・必要な量だけ無駄なく作るので,mRNAは速やかに分解される方が都合がいいのです。

 「どうしてこんなに早くできたのか」
 mRNAワクチンだからこその理由があります。
新型コロナウイルスの遺伝情報は,2020年1月にはすでに解読が終了し,全世界に公開されました。mRNAワクチンの有効成分はその名の通りmRNAであり,mRNAそのものは遺伝情報の解読が済めばすぐに人工合成することができます。つまり,作り方さえ確立すれば,ワクチンの製造にウイルスが必要ない。
 例えばインフルエンザワクチンは,ニワトリの卵にインフルエンザウイルスを接種・培養してから抽出し,不活性化して作ります。ウイルス培養用のニワトリから育てないといけないので,手間がすごくかかります。でもmRNAを合成するだけなら,ニワトリから育てるような手間は要りません。異物を作るのは,とてつもなく精密なタンパク質合成工場である,私達の細胞に任せればよいのです。

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 私はワクチン接種の優先順位が低いカテゴリに入るのですが,なるたけ早く接種したいと考えています。私自身の感染リスクを下げるだけでなく,私の近くにいる大切な人のリスクを下げることに繋がるからです。
 ウイルスはヒトの体内で増殖します。大気中で増殖することはありません。したがって,あるヒト集団におけるワクチンの接種率が向上することは,ウイルス増殖装置として機能するヒトの数が減少することを意味します。増殖する場を失ったウイルスは,やがてそのヒト集団において収束に向かいます。
 医学的理由等々で,ワクチンを接種できない人がいます。そういう人を,その周囲の人がワクチンを接種することで守るのが公衆衛生です。私は私自身を守りますし,電車やバスで隣に座った人や,牛丼屋さんで前に座った人がたまたま医学的理由等でワクチンを接種できない人であったならば,その人を私から守ります。私がワクチンを接種することで自身と公衆に与えられるメリットは,私1人が何らかの副反応に遭うデメリットを差し引いて余りあると判断します。

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 ところで,「ウイルス感染した人」って違和感ありませんか?人口に膾炙した表現ではあるんですが,たぶん正しくは「ウイルス感染した人」ですよね。「ウイルスに感染した人」だと,ウイルスの中に人が入ったように読めるんですけど,この“に”の用法はいったい何なんでしょう。教えて偉い人。

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