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ゴールデンウィークの分裂と断片。

今回のnoteは藤原による「ゴールデンウィークの分裂と断片。」です。


気温が高くなった五月に逃げ場はない。

僕と、高校生の制服の、白いシャツが陽射しを反射する。眼鏡で集まった太陽が黒目を焦がす。それは虫眼鏡で紙を燃やした、あの夏に似ている。

子供が頬を紅潮させてアスファルトに座り込んでいる。何やら作戦を立てている。メガネをかけたアイツが、年下の弟分に、来い、と言って走り去る。七分丈のズボンの裾が揺れる。

銃弾が三発、僕の右肩から胸を突き抜けた。
その痛みが何かを麻痺させた。晒されないはずの肉に風が吹いた。
銃声が鳴る、それは扉を叩くことだった。
僕は掠れた声で、B型だ、と言った。
血は見えなかった。汗が目に膜を張っていた。

風が吹けばいいと思っていた。
予感がすればいいと思っていた。
それは、今が今として機能する、生活に実感がある、何とでも言える。

何かが僕を突き抜けた時、僕の晒されない肉体に風が吹く。僕はそれを知った。

ツツジが咲いていた。横目に、自転車を漕いだ。
朝焼けだった。焼けたのは朝なのか夜なのか考えた。赤信号を無視して、言葉遊びだ、と思った。
僕が行きたいのがシチリアなのかシベリアなのか、それも言葉遊びだった。
僕は東京で、どうしようもなく自転車を漕ぐ。
アスファルトが薄くぼやけて、驚く。
東京など、日向と日陰しかないと思っていた。
そこに、どちらでもない、淡いが、ある。
冷たい風が吹いた。東京は熱風しかないはず。
自転車を漕いでいるからだった。

風が吹かないならば、走るしかないだろう。
洗濯物を竿にかけて走る、あの少年のように。


遠くに、中庭の学生の話し声が聞こえる。

俺は西棟5階、文芸学科資料室で集中して中上健次を読んでいる。

コロナの為に開けた窓からその声たちが聞こえて、それは風に運ばれたのに風は吹いていなかったのだが、ふと顔を上げる。

集中が途切れ、新学期の春の何かが、削がれた集中の中に入り込んでくる。

その声たちは若者特有の高さと朗らかさと何かの予感の満ちた爽やかさが伴っている。彼らの苦悩にすら、想像する。

対面形式が始まった学校の、そして、スケートボードがアスファルトを滑る、やけに大きな、ゴーっという音。

学校や病院の、窓についている、赤い逆三角が目に入る。あれは、何故ついているのだろう。

本を閉じる。

西棟と東棟を繋ぐ渡り廊下を抜け、東棟4階テラスの喫煙所へと行く。

最近は対面になったこともあり昼間は常に混んでいて話し声がするが、誰もおらず、声に出して、おぉ、と言ってみる。
教室に沢山の人がいると、それだけで頭が痛くなる。
耳鳴りのように、うねり、あるいは轟音。
煙草が吸いたくなる。
喫煙所に行くと、馬鹿なことを大声で話している、耳鳴り。
俺は初めて、煙草を止めたい、と思う。

毎日必死に生きている、御茶ノ水橋の整備を思い出す、コンクリートを叩き固める、身体が揺れる、それすら誰かの話し声が掻き消す。

こんな空きコマを皆んなが過ごして教室に来ると思うと、頭がクラつく。


遥か北へと続く幹線道路の右車線を自転車で進めば流れ行く貨物車輌のハイビームがやけに眩しい。あの頃彼女は十七歳で僕も十七歳だった。何もかもが変わってしまったのは双方なのだろうが、それを確かめる術はなく、それが彼女を思い出し続ける理由に他ならないのだった。

雪降る街に生まれた彼女が東京で過ごした時期の断片的な記憶は輪郭と声を失っても全てが消えることはなかった。彼女の置いていった曲を僕は何となく聴いて初めて、そういえば、などと思うのだった。あれから四年が経った。短くはない年月だった。

僕らのあの十代が結果として全てが損なわれてしまったとしても、損なわれる以前には形を成して確かな暖かさがあったのだと少なくとも僕が思えるように僕らは互いの二十代の始まりを生きていくべきなのだと思う。

あの頃彼女に対して無力だった僕は今でも勿論無力に甘んじていて、だからこそ彼女の底冷えする十二月の始まりの夜だけはいつになっても損なわれてほしくないと遠くから祈るだけだった。僕に対して彼女がそうであるように、彼女に何があっても僕はそれを確かめられないのだけれど。

忘れないでほしい、と言った彼女との最後の細やかな約束を僕は守り続けている。彼女がその約束を忘れてしまっていたとしても。

僕は彼女を幾度となく思い返した。彼女とのアルバムに続きのページは無かった。それは彼女とのアルバムが完成されたからではなく、単純に続きの風景が失われたからだった。

僕の夢には他の女性が出てくるようになった。彼女は毎日同じように夢に出てきて、僕とは一言も話さなかった。それは彼女の声を知らないからだった。
僕はこれからも繰り返し誰かに恋をするのかもしれない。それを恋と呼ぶのかも知らないままに。
ただ単純にそれは同じ問題なのだろうと思う。
君との関係においてもそう、僕と彼女らの問題ではなく、彼女らが僕の生活に現れないのだから、それは僕だけの問題なのだ。
だから、いつまでも夢を見ている。


真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである

「シーシュポスの神話」/アルベール・カミュ

僕は、本当にそうだと思う、と言った。
部屋で、一人で、文庫本に。
でもね、カミュ、どうやら皆んなが皆んなそれを第一に生きているわけじゃないらしいよ。


休みの日、家にいる時は僕は21時に寝て4時に鳥の鳴き声で起きる。睡眠薬を飲んでいるからであり、不眠症であるからであり、そして夜が怖いからだった。
ただ、君もそうであるなら、束の間の眠りに出てくる君もそうであるなら、朝まで一緒に過ごしたいと思う。
夜道を送って、部屋に一人きりにさせるより、その方がずっと優しいと思う。
君が、そう望まないのなら、別にいいけど。

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