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第7章 政府の対策は「切り札」に程遠く:人口減少問題に関する調査報告書 人口減少社会の展望と対策

人口減少問題に関する調査報告書 「人口減少社会の展望と対策」は公的データをベースとして、人口減少に伴う社会の変化をさまざまな角度から可視化することを第一の目的とする。また、コロナ禍による新たな変化の分析も加える。その上で、人口減少社会に耐え得る社会を築いていくための提言を行うものである。

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■少子化対策ではなく「子育て支援策」

 少子高齢化および人口減少が進む状況に対して、政府や企業がこれまで対策を講じてこなかったわけではない。だが、そのほとんどが「切り札」には程遠く、中には問題の本質を正しく認識していないものもある。

 少子化、高齢化、勤労世代の減少の順に、それぞれのポイントを見ていこう。

 最初は少子化対策だ。政府の本格的な対応は1994年のエンゼルプランに始まった。以降、さまざまな方針が示されてきたが、「待機児童ゼロ」に代表されるように政策の中心は「育児と仕事の両立」であった。

 子供が生まれてこない状況の打開が問われているにもかかわらず、「出産後」の子育て支援策に力点が置かれてきたのである。結婚支援など「出産前」の課題にも取り組むようになったのは、最近のことだ。

 効果が不透明な施策も多い。菅義偉政権が打ち出した不妊治療への健康保険適用の拡大もその一つである。保険の適用で治療費の自己負担が減れば、経済的理由から不妊治療を断念する人が減ることは確かであり、全く意味がないわけではない。

 だが、治療を受ける人数や1人当たりの治療機会が多くなるのに比例して、妊娠に結びつく確率が大きくなるわけではない。不妊の要因は一つではないが、一般的には年齢が上がるにつれて妊娠しづらくなるのである。不妊に悩む人が増加した背景には晩婚による晩産が進んだこともあり、こうした点に手を付けることなく不妊治療の自己負担の軽減のみを先行しても効果は限定的であろう。

 政府が有効な手立てを講じてこられなかった結果、出産可能な年齢の女性数の激減が避けられない状況となってしまった。もはやどんな政策を講じたとしても即効性はなく、出生数が横這いになるのには何十年といった単位の時間を要する。少子化対策は気の遠くなるような時間をかけて地道に実施していくしかなくなったのである。むしろ、「出生数が減る」ということを前提としながら社会を機能させていく方策を練り上げることが急がれる。

■社会保障財源に偏った高齢者対策

 次に、高齢化対策だ。少子高齢化の影響が最も表れやすい社会保障制度の改革を中心として取り組みが図られてきた。高齢者の増大に伴い財源不足が懸念されることから、まずは消費税の社会保障目的税化が行われた。同時に、各制度の負担増やサービスカットが実施された。年金制度についてはマクロ経済スライドが導入され、高齢者医療や介護保険については利用者負担割合の引き上げなどが行われてきた。

 だが、財源の確保策にとらわれ過ぎており、一人暮らしや高齢者のみの世帯が増えるといった高齢者の暮らしぶりの変化を的確にとらえていない。このため、〝老老介護〟〝買い物難民〟や〝通院難民〟孤独死といった新たな課題を生む結果となった。

 そうした中で最も実態と乖離した政策が、在宅医療・在宅介護を促した「地域包括ケアシステム」だ。

 政府は、社会保障費の抑制策の一つとして社会的入院をなくすために、「老後も住み慣れた地域で暮らし続けられるように」という方針を掲げ、医療・介護を「病院完結型」から「地域完結型」へと誘導してきたが、その具体的な受け皿だ。24時間対応の訪問サービスを中心に、医療や介護・生活支援などを一体的に提供する。

 だが、マンパワーに限りがあるため実際には医療や介護サービスを受けられる時間は一日の中のわずかな時間であり、それ以外のケアは家族や地域の支えがあることを前提としている。

 これは三世帯同居や世帯内の世代交代が当たり前だった時代の発想に基づくものである。現実には、高齢者の一人暮らしや高齢者のみという世帯が増えているのであり、「頼ることのできる家族」や「地域の支え合い」がないことが課題となっている。

 家族がいても、第4章でも指摘したように、これまで在宅介護の中心的担い手であった40代、50代の女性の有業率は高くなっており、仕事と介護の両立は現実的ではない。

 地域包括ケアシステムをメインにすえた在宅ケアは、炊事や掃除、洗濯といった日々の暮らしに欠かせない仕事をする人がいなければ、政府の思惑通りには機能しない。

 地域包括ケアシステムは、一部には効果的に運用されているところもあるが、全国的な広がりを欠く。無理に推進したならば介護離職という別の問題が深刻化する。それどころか、医師の高齢化に伴って「無医村」エリアの拡大が懸念されている。地域包括ケアシステムの主軸たる医師の不在が広がればそもそも成り立たなくなる。

 このままでは行き詰まりは避けられない。少子化が避けられない以上、在宅よりむしろ集中的なケアのほうが現実的だ。実態を踏まえた根本的な政策見直しが急がれる。

■当て込み切れない外国人とAI

 最後に、勤労世代の減少への対策だ。これについては、政府の政策は大きく分類して(1)外国人労働者の受け入れ拡大、(2)人工知能(AI)による省力化、(3)女性の活躍推進、(4)高齢者の就業拡大―の4点に分けられる。

 いずれも当座の措置としては有用ではあったが、勤労世代が1000万人以上減っていく状況を考えると、解決策とするには程遠い。

 まずは外国人労働者の受け入れ拡大だ。結論を先に述べれば、安定的に来日するとは限らない。言い換えるならば、どれぐらい当て込んでいいのか分からないということだ。

 日本は移民や単純労働を認めていないため、政府はかねてより途上国の人々に技能や知識を身に付けてもらう目的である外国人技能実習制度の実習生や学生アルバイトを「実質的な単純労働者」として〝黙認〟してきた経緯がある。

 近年は、介護福祉士の資格を取得した留学生が日本で働き続けられるよう在留資格に「介護」を追加したり、一定の日本語能力と技能を持つ外国人を対象とした「特定技能1号」、「特定技能2号」を新設して、家族の帯同を含めた事実上の永住を認めたりする法改正を行い、積極的に受け入れ拡大を図っている。

 いずれも、人手不足の解消策として外国人に期待する企業などからの要望が強いためだ。

 しかしながら、第3章でも指摘したように、コンピューターの発展・普及に伴ってDXが可能となり、開発途上国でも仕事が創出されるようになった。

 しかも、世界規模で少子高齢化が進んでいるため、日本に人材を送り出してきた国も今後は働き手不足に見舞われる。自国の勤労世代が減っていくことが想定されるのに、他国に人材を送り出す余裕を持つ国は年々減少していくだろう。

 一方で先進各国では少子高齢化が深刻化するので、日本と同じく外国人労働者への依存度が強くなる。すでに韓国や台湾をはじめ少子化が進む多くの国々は外国人労働者の受け入れに積極姿勢を示しており、介護人材などをめぐって〝争奪戦〟の様相を呈し始めている。人手不足を外国人労働者で解消しようというのならば、どこの国から、どれぐらいの規模を当て込めるのかを明確にしなければならない。

 外国人労働者をめぐっては、コロナ禍が証明したように、ある日突如として来日できなくなったり、一斉に帰国したりするといったことも起こり得る。

 これまで日本企業が外国人労働者に期待していたのは、人件費の安さであったが、これも崩れ始めている。OECD(経済協力開発機構)によれば、2019年の日本の平均賃金は3万8617ドルで、OECDの平均4万8587ドルよりかなり低水準だ。米国の6万5836ドル、ドイツの5万3638ドルと大差がついており、韓国の4万2285ドルよりも低い。もはや日本の賃金水準は開発途上国の労働者にとって「魅力的な国」とは言い切れず、外国人労働者受け入れ国との人材の争奪戦に勝てるとは限らない状況になっているのだ。

 次に、AIによる省力化を考えよう。いつの時代も人間が行うには危険な仕事や、きつい仕事を中心に機械に置き換えられてきた。人口減少社会にあっても新しいテクノロジーは人々の仕事を楽にし、暮らしを快適なものにしていくことだろう。また定型的な仕事を中心に「中スキル」の業務の多くはAIに置き換わっていく。

 コロナ禍の副産物としてデジタル改革の機運は高まっている。政府は現在、「Society(ソサエティ)5.0」を掲げており、IoT(Interment of Things)ですべての人とモノがつながり、AIがビッグデータを解析しさまざまな情報や知識を共有するといったことは、当たり前のこととなってくるだろう。

 それどころか、AIが人間の能力を超える存在として語られることが少なくない。人員削減どころかAIに仕事を奪われた失業者で街が溢れかえるといったことを懸念し、ベーシックインカムの導入を唱える専門家もいる。

 だが、毎年数十万人もの勤労世代が減っていく状況をカバーし得るレベルに技術力が達する見通しは立っていない。人々が「仕事を奪われる」ことを真剣に心配しなければならない段階までには相当の時間がかかりそうだ。

 「Society5.0」の代表的な事例として自動運転技術がある。自動車業界は100年に一度の転換点にあるとされ、「CASE」といった次世代技術への対応を迫られ、AIを活用した未来の車の開発に世界各国のメーカーがしのぎを削っている。ハンドルを握りアクセルを踏まなければ進まない旧来の車と、手放しで目的地まで運んでくれる未来の車とを多くの消費者が選択できる時代は遠からず到来するだろう。

 だが、自動運転の車が誕生したからといって、それがドライバー不足を解決するとは限らない。例えば、トラックによる配達だ。AIが動かす無人のトラックが自宅前に到着したとして、荷台から各戸に届ける荷物を選り分ける技術はまだない。これからは高齢者の一人暮らしも増える。冷蔵庫や洗濯機を玄関先に置いて帰られたのでは困るが、自動運転のトラックが冷蔵庫や洗濯機を設置場所まで運び込み、使用できる状態にセットすることはできない。古くなった冷蔵庫や洗濯機は回収し、持ち帰ることも不可能だ。

 高速道路などにおいてA地点からB地点までは無人走行によってドライバーの人数を減らすことができるかもしれないが、顧客の手元に荷物を届ける最後のところではどうしても人手が必要となる。ドライバー不足を劇的に解消する策としては、現時点では大きくは当て込めない。

 ドローンや空飛ぶタクシーへの期待も大きいが、多くのドローンが飛ぶようになったら不慮の事故が起こる確率も大きくなる。ドローンの場合、運べる荷物の重さにも限度がある。

 ほとんど飛行していない現在のような状況で、認可を受けた専門事業者が飛ばすということと、多くの企業がそれぞれにビジネスツールとして飛ばすということは全く異なる。ドローンや空飛ぶ自動車が、人手不足の解消策としての効果を発揮し得るほどに大空を飛び回るというのは非現実的だと言わざるを得ない。

 もちろん、すべてのテクノロジーの進歩を否定しているのではない。人口減少に伴う人手不足を解消するほどの技術レベルに達するのを待っていたのでは、勤労世代は大きく減ってしまうということを認識しておく必要があるということだ。

■女性や高齢者頼みには限界も

 女性の活躍推進はどうだろうか。「高齢者」と「障がい者」も含めて、政府は「一億総活躍の推進」と名付けて強力に推進してきた。働く意欲があるのに、機会に恵まれない人が活躍できる社会の実現は急がれる。

 これまで若い男性が就くのが当たり前とされてきた体力を使うような仕事にも、多くの女性が進出するようになった。意欲と能力のある人が希望する分野にどんどんチャレンジし、仕事におけるさまざまな垣根が低くなってきたことは歓迎すべきことである。

 しかしながら、政府が旗を振るまでもなく女性の就業は進んでいる。内閣府の「男女共同参画白書」(2020年)によれば、15~64歳の就業者の増減は、男性が2008年以降概ね減少が続いているのに対し、女性は2013年以降増加している。就業率を見ると、とりわけ女性の上昇が著しく2019年は15~64歳が70.9%、25~44歳で77.7%であった。

 女性の社会進出を確認する指標の一つに年齢階級別労働力率がある。5歳階級別で見ると、日本では女性の就業率が子育て期に著しく下がる「M字カーブ」が顕著に見られ、長年の課題であった。M字の底となる年齢階級も上昇しており、1979年は25~29歳(48.2%)、30~34歳(47.5%)がM字の底となっていた。ところが、2019年は25~29歳が85.1%で全齢階級別の中で最も高くなっている。M字カーブの底は30~34歳の(77.5%)、35~39歳(76.7%)なので、底を見つけるのに苦労するほどだ。育児休業を取得した女性も増えており、出産は就業継続の障害ではなくなりつつある。

 だが、M字カーブの底が浅くなったということは、「伸びしろ」も小さい。毎年何十万人ものペースで勤労世代が減っていく状況を女性就業者の伸びでカバーすることはできないということだ。

 進んでいないのは就業ではなく、女性に立ちはだかる「見えない壁」の解消である。「M字カーブ」に代わって、女性活躍の課題を示す新たなキーワードとなっているのが「L字カーブ」である。内閣府の資料によれば、女性の正規雇用率は20代後半でピークを迎え、以降は右肩下がりに減っていく。この女性の正規雇用率を5歳年齢階級別に折れ線グラフしてみると、その形がアルファベットの大文字の「L」を横倒しにしたように見えるためにこう名付けられたのだ。子育てが一段落した後の再就職は以前に比べればハードルが低くなったとはいえ、その実像は非正規雇用が主な受け皿になっているということだ。

 女性の働き方は、いまだにフルタイムの正規雇用とパートタイムの非正規雇用とに二極化しており、柔軟な働き方がなかなか選択できない。

 女性の活躍推進の本質は、雇用形態が制約されたり、責任ある立場への登用を妨げられたりといった状況を打破し、能力と意欲に見合うチャンスを広げることにある。そもそも勤労世代の減少を〝穴埋め〟するための政策ではない。

 一方、高齢者の就業拡大である。この10年ほどを見るだけでも大きな伸びを示している。総務省の「統計トピックス」によれば、2019年の高齢の就業者数は過去最高の892万人となり。2004年以降、16年連続で増加してきた。2009年の565万人と比べて327万人増えた。

 団塊世代の影響を受けるため、2013~2016年は65~69歳で増加し、2017年以降は70歳以上で増加している。2019年の就業率を見ても、65~69歳は48.4%、70歳以上は17.2%で上昇傾向にある。

 就業者総数に占める割合も過去最高の13.3%であり、いまや「無くてはならない存在」となっている。

 「働けるうちは働きたい」という高齢者は多い。高年齢者雇用安定法も70歳までの就業機会の確保を企業の努力義務として課している。しかしながら、高齢者の場合には健康面への配慮が不可欠だ。一昔前に比べれば、同じ年齢でも身体的には若々しい人が増えてきたからといって、肉体が本当に若返ったわけではない。

 同一人物であっても、加齢に伴ってすべてが若い頃と同じようにできるわけではないのである。若い人にしかできない仕事もあれば、高齢者のほうが向く仕事も少なくない。

 もとより、これから増える高齢者というのは「年配の高齢者」が中心だ。2040年には65歳以上の高齢者が3920万6000人となり高齢化率は35.3%となるが、このうち80歳以上が1578万人を数える。60代後半の「若い高齢者」は減り始めており、勤労世代が減っていくのを穴埋めできるわけではない。

 「女性」にしても「高齢者」にしても就業者数が増えることで、勤労世代の目減り分をある程度はカバーする。これまで若い男性が就業していたような職種に進出するケースも増えるだろう。だが、同時に人数的拡大には限界もあるということだ。

 むろん、政府が進めてきたこれら4つの方策は、当座の人手不足を解消するための方策としては有用であり、否定されるものではない。

 だが、いずれも現状の勤労世代の規模を維持しようという発想に基づいている。ことの本質は勤労世代が減ることを前提としてどうするかという点にある。現状維持の発想を根底から変えない限り、いずれ行き詰まる。

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