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人に魅せたい生き方

いつもまわりに振り回されてばかり、人の目を気にしてばかりな自分を卒業したい。
だけど、だからって自分の魅せたい自分であることをやめたくない。

学校に行ったら当たり前におはようと言われて、今日の髪型いいねとか今日はメガネなんだねとか言われたりする。
みんなが私を見てる。一日に6時間もそんな場所で過ごさなきゃ行けないんだから、疲労はとんでもないことになる。
今、私、変な顔してないかな?しっかり首を立てて足を閉じて、目が合ったら不自然にならないように少し笑う。

人がコソコソ話す。人の顔がいいだとか悪いだとかを話しているのだ。不安になる。
それと同時に、少し期待もする。そしてまた、疲れる。

学校が嫌いなんじゃない。むしろ、たのしい。人と話す時、大きく神経をすり減らして「完璧な」会話をすることは私の自信につながる。
上手なお話は人を惹きつける。
それに満足を感じる私と、面倒くさがる私がいる。人が周りに来ることは私のお話が上手だったことを表すが、別に来て欲しくてお話をしたのではない。しかしこれをやめることはできない。

私は上手くお話できるんだから、それを発揮したくて仕方がない。
大人しい人とも派手な人とも波長を合わせて、不快感を与えずに、その人、その空気、その状況に合わせて話を盛り上げることはほとんどの人はできないと思っている。これはパフォーマンスだ。その後その人とどうこうなりたくてやっているわけではない。全ては自己満と自意識過剰にすぎないのだ。

人に来て欲しくて見た目を整えているのではない。でも、それによってしか自分の見た目を確認することはできない。そしてそれは会話も同じ。
大きな矛盾を抱えて、私は全てを知っているのだと言わんばかりに、教室という小さな籠に囚われている自分がみえる。正解に辿り着けるだろうか。

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