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酒米のおむすび | すきなもの編

「蔵開き」で登場した、酒米(さかまい)のおむすび。
これを書くまでに、ずいぶん時間が過ぎてしまいましたが、今回は、この酒米のおむすびのお話です。

大田酒造さんの半蔵まつりにて振舞われていた「おむすび」。ひとり1個までかな?と思っていたのですが、何個もいただくことができました。量として、小ぶりのお茶碗一膳分はいただいたかもしれません。
わたしって、わんぱく・・・。

酒米はうるち米より水分を含みやすいと聞いたことがあります。
慣れない私が炊いたら、びちゃびちゃの緩いごはんになってしまうかもしれませんが、そこは酒米を熟知している蔵人の皆さんですから、良い塩梅に炊いてありました。
 *炊くというより、蒸してあったのかもしれません。日本酒の製造工程の 
 「蒸米」の技術だったのかも。ちゃんと、質問しておけばよかった。。
ほんのり温かさが残るおむすびは、ぴかぴか光って甘みがあって、おかずがいらないくらいの美味しさでした。
あの味は、癖になる!そして、また食べたい!


美味しい酒米むすびを食べながら、祖母の言葉を思い出しました。

わたしの母方の先祖は造り酒屋をしていました。
年貢米で醸造していたというので、かなり昔の話になります。
いろいろあって廃業してしまうのですが、祖母が言うには、
「酒蔵なんて、そうそう続くものではない」と。

酒造りに必要なのは、お米と水。日本酒の成分の80%は水だと言われるくらい、水はとても大切です。日本酒つくりを調べてみると、お米の50倍の量の水が必要と書いてあります。
洗米から始まり、浸漬(水を吸収させること)、仕込み、割水。
瓶詰めにされるまでの工程で大量の水が必要なんですね。

このように作られる日本酒のことを、祖母はこう言いました。
「普通に『ごはん』として炊いたら、たくさんの人が食べられる。たくさんの人がお腹を満たすことができる。水もたくさん使う。その水で喉を潤したり、生活にも使える。いろんな人が使える。それをお酒にしてしまうのだから、それは大変なこと」
”うち”の酒造りが途絶えたことを残念に思うというより、因果なこととして受け止めているようでした。
たしかに、祖母が言うことはもっともです。
お酒にしてしまえば、特定の人しか楽しめない。でも、それを単に「ごはん(お米)」と「水」のままであれば、いろんな人が満たされるのです。
それをお酒にして売っていたことを、罪とまでは言わなかったですが、それが続かない原因の一つと言っていました。
要は因縁、因果ということです。

また「お酒は神様事には欠かせない」とも祖母は言っており、そもそもは人のためというより、神事で使われるものだということも教えられたように思います。

とはいえ、何百年も続いている蔵はいくらでもあります。
そのような蔵に対して祖母は、
「よほどしっかりされているから続いてみえる。それはとても立派なことで、真似できることではない。」と、尊敬の念で話していました。
”しっかりされている”がどのようなことなのかは、はっきり言わなかったし、わたしも聞き直しませんでしたが、自然などあらゆることへの感謝を深く捧げているということなのだろうと、わたしは解釈しています。

伊賀で酒米のおむすびを食べて、日本酒を飲んで思ったことは、とても贅沢なものをいただいているということです。
伊賀のお酒に出会い、蔵まつりに何度かお邪魔してから、お酒の飲み方が変わりました。
もともと、お腹いっぱいになったら飲まない。料理と美味しくいただくをモットーにしていて、酒だったらなんでも良いというスタンスでは飲んでいませんが、よりいっそう、その思いが強くなりました。
丁寧に造られているのですから、いただく側としても丁寧に向き合って、これからも楽しみたいです。

わたしの先祖が酒蔵を始めたきっかけですが、当事者が誰も残っていませんので真相は闇ですが、年貢米はどのように使ってもよかったようなので、米のまま保存するより、または、米を他の物に変えてしまうより、酒にしたほうが都合が良かったのかもしれません。

今、こうして子孫が日本酒好きとして生まれ、その美味しさを楽しんでいること。これも因縁なのかもしれません。
わたしが住まう地方も、まもなく梅雨入りします。
半蔵「金魚ラベル」を良く冷やして、夏越の払いにしたいと思います。

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