オープンプラットホーム通信 第186号(2022.8.20発行分)
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はじめまして。
NPO法人ウェルビーイングは、人々のwell-beingの実現するために自ら活動することを目指し、全国各地で活動している人たちを結び、集まり、分かち合い、元気になるオープンプラットホームの実現を目指しています。well-beingとは、「良好な状態、安寧、幸福」という意味です。
このメルマガでは、ウェルビーイングに集う理事や会員のそれぞれのウェルビーイングな日々やアンウェルビーイングな日々を綴ったエッセーをお届けします。
喫茶去 第85回 よいということ(4)
性善説というのがあります。人間の本来の性向が「善」であるという考え方です。この発想は東西にみられるいわば普遍的な主題ですが、とくに古代中国の孟子[もうし 前372頃-285頃]の「性善説」と荀子[じゅんし 前298頃-235頃]の「性悪説」の対比でよく知られているでしょう。これについて疑問に思うのは、宗教史の講義などでこの中国古代の思想家たちの文章にあたってみると、その両方がほとんど変わらないように見えることでした。たしかに孟子は杞柳[きりゅう、コブヤナギ]や湍水[たんすい、急流]を例にとって、討論相手の告子のあいまいな立場をやりこめながら、人間の本性はそのものが善であるから、仁義礼智の理念型にいたるには四つの入り口(四端)を大切にせよ(そうするだけでよい)というふうに議論をひろげてゆきます。この場合のかんどころは、「人々己に貴き者あり、思わざるのみ」の一句でした。自分には得がたい大切な何かがあるのだけれど、ひとはそのことに気づかないというのです。
よく知られた例をあげてみます。
四端のひとつ、惻隠[そくいん、憐み]についての話です。もし小さな子供が井戸に落ちそうになったら、だれしもが危ぶみおそれ同情の念をいだくでしょう。この惻隠の心はべつだん世間の評判への懸念とか、親にとりいろうとする利得の心根などではなく、ごく自然な感情の発露であり、そのおおもとに仁の本性がある、と云うのです。同じように羞悪・辞譲・是非の心はそれぞれ義・礼・智という徳性の糸口(四端)となって、われわれ人間の性(本性)が善であることを示していると主張します。この立場は、ところで、のちに性悪説とよばれるにいたった荀子の説明と何が異なるのでしょうか。人間が仁義礼智をもつにいたるのは、本性自然の産物ではなく、教育・学問・修養による作為ゆえだというのが荀子の説でした。つまり荀子の場合は、ひとのもつ善性は生得ではなく、後天的な努力によって構築されたものだという主張になります。
どこが違うのか、と思うのでした。
いや、いちおうの説明はたしかに違います。でも、ひとに解説してみると分かるのですが、これってそんなに大切な主題でしょうか。孟子はひとの性は善であるのにそのことに気づかないから、気づく工夫が必要だと考えて、四端という糸口にいたります。荀子はひとの性は悪であるから人為の努力が必要と主張します。うーむ。やはり同じではないのか。知恵だのみに辞典をくってみます。
性悪説(せいあくせつ)
紀元前3世紀ごろの中国の思想家荀子 (じゅんし)の説。「人間の本来の性質は悪であり、善とされるものは、偽 (い)(後天的に作為した結果)である」という文章で、『荀子』の第23章「性悪篇」は始まっている。戦国末に生きた荀子には、社会の荒廃、礼義の衰退が強く目に映り、前記のような文章を書くようになったのも無理はないかもしれない。しかし、そのあとに続く文を読むならば、彼の説く性悪説は孟子(孟軻(もうか))の性善と対立する考え方ではなく、実は人間の悪の面を強調し、人間が悪に走りやすい傾向を指摘した説にすぎないことがわかる。/たとえば、性悪説によれば、聖人君子の存在は説明できないはずであるが、これは精進努力した結果、悪を克服した人間像のことである、などと説明しているからである。荀子のいいたかったことは、人間の性悪そのものではなく、その性悪も努力しだいでは克服できるとして、努力の持続の重要さを主張しようとする点にあった。[福井文雅]『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
うーん。なるほど。儒教的です(あたりまえか)。でも、もしそうなら、いったいなぜこの問題(人間の本性論)がその後の儒教史のなかで途切れることのない主題として論じられてきたのだろう。分からないのは、実感できにくいのは、孟子はなぜ性善説にこだわり、分かりにくい比喩(コブヤナギや急流のたとえは分かりにくいことでも知られています)を用いてまでコトバを費やしたのでしょうか。じつはこの主題、二年半前の西日本宗教学会で話をし、今年の日本宗教学会でもう一度とりあげようとしている際中なのです。あと一月後になって、いま書いてみて、なんにも進んでいないことが自分にもわかって正直なところビックリしています。学会のほうは、宋代の朱熹[しゅき 1130-1200]による踏みこんだ解説とその後の日本的展開(近世儒学の地図)を語るので「学問的なかたち」は整うからよいのです。でも根っこのところがイケマセン。いったい何がどう腑に落ちないのかを、いまいちどやってみないとイケマセン。
☆☆筆者のプロフィール☆☆
関 一敏
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ
感じ考え組み立てる 第61回 養生と健康と衛生,研究ノート
プチプチやポリ袋の助けを借りて様々なことを、分かりやすく示す試みを続けています。特に先月から今月にかけては、健康教育の成立過程に関連して、三つの言葉(養生、健康、衛生)の使われ方を考えていました。明治から大正の時代に、この三つの言葉が、日常生活で、どのように使い分けられているのかを知りたかったのですが、適切な文献が見当たりません。この時期の新聞記事や文学作品を検討したら、手がかりが得られそうですが、対象となる資料が膨大過ぎて、手がつけられません。
そこで、日本語の言葉の来歴を調べるとき、必ず参照する『日本国語大辞典』をチェックすると、「養生法」の項に、二つの文学作品の用例が挙げられていました。二つの作品とは〈正岡子規;墨汁一滴,1901〉と〈夏目漱石;こころ,1914〉です。これは面白そうだと思ったので、調べた結果、以下のことが分かりました。
➤『墨汁一滴』の分析
正岡子規(1867-1902)が、結核を患って亡くなる前年、1901年の1月16日から7月2日にかけて病床で書いた日記が墨汁一滴です。この日記のPDFファイルについて、養生・衛生・健康をキーワードとして出現回数を調べたところ、養生は9回、衛生と健康は各1回出現していました。
➤➤墨汁一滴にみる養生
(四月二十日)「・・あるいは某医師の養生法は山師流の養生法に非ず、我家族の一人は現にこの法を用ゐて十年の痼疾とみに癒えたる例あり、・・」(五月三日)「ある人いふ勲位官名の肩書をふりまはして何々養生法などいふ杜撰の説をなし世人を毒するは医界の罪人といはざるべからず、・・・蜜柑は袋共に食へとか、芋の養分は中よりも外皮に多しとか、途方もなき養生法をとなへて人の腸胃を害すること驚き入つたる次第なり、・・・先頃手紙してこの養生法を余に勧めたる人あり。その時引札やうのものをも共に贈られたり。養生法の引札すら既に変てこなるに、その上に引札の末半分は三十一文字に並べられたる養生法の訓示を以て埋められたるを見ていよいよ山師流のやり方なる事を看破せり。世の中に道徳の歌、教育の歌、あるいはこの養生法の歌の如き者多くあれどかかる歌など作る者に真の道徳家、真の教育家、真の医師ありし例なき事なり。今ある人の説を聞いて余の推測の違はざるを知れり。」
➤➤墨汁一滴にみる衛生
(五月九日)「噛まずに呑み込めば美味を感ぜざるのみならず、腸胃直ただちに痛みて痙攣けいれんを起す。是ここにおいて衛生上の営養と快心的の娯楽と一時に奪ひ去られ、衰弱とみに加はり昼夜悶々もんもん、忽たちまち例の問題は起る『人間は何が故に生きて居らざるべからざるか』」
➤➤墨汁一滴にみる健康
(七月一日)「健康な人は蚊が少し出たばかりの事で大騒ぎやつてうるさがつて居る。病人は蒲団の上に寐たきり腹や腰の痛さに堪へかねて時々わめく、熱が出盛ると全体が苦しいから絶えずうなる、蚊なんどは四方八方から全軍をこぞつて刺しに来る。・・・」
◆『こころ』の分析
夏目漱石の『こころ』については,上記と同様に調べた結果,養生は3回、健康は10回出現していました。他方、衛生は現れませんでした。使用の詳細は省略します。
ふたつの文学作品のいずれにも現れた養生と健康の使用を比較すると、場面によって使い分けられていたことは確かです。また墨汁一滴の四月二十日の内容からは、○○流の養生法など、当時すでに幾つもの養生法があったことが、うかがえました。養生には,それを大切にする人の生活に関連して,哲学のようなものが感じられます。それに対して健康は、ある人の状態を判断する、より客観的な概念と位置づけられていたように感じました。
さて、以上の文中には、プチプチは出て来ません。しかし、養生や健康などの言葉の使用が変化した背景、当時の時代の状況を考える上で、プチプチはとても役立ちました。
☆☆筆者のプロフィール☆☆
守山正樹
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ
ドクター・マコ At Home! (アット・ホーム) 第135回 甲子園のお話 022年最新版♪ああ~栄冠は君に輝く(入場行進曲)について
2,3年前のNHKの朝ドラ「エール」で歌が注目されたのがこの曲です。つまり、このドラマの主人公のモデル=古関裕而さんが作曲したものですが。山崎育三郎さん演じる歌手が戦後、自分を見失って酒浸りになり、この歌をうたって立ち直る。それが人生の応援歌のように、今の世を生きる人に響いたようです。
さてこの歌の歌詞は、1948年に公募、5252編から選ばれました。選ばれた作詞者は、加賀大介さん。
彼は大好きな野球をしていて足を怪我し、16歳で右足を切断。この歌詞も、最初は妻道子さんの名前で応募したことなど、当時は有名なエピソードでした。
彼の娘の、新川淑恵さんは父の加賀さんから、勉強も家事もしっかりと求められ、「一生の仕事を持ちなさい」と何度も言われたそうです。そして新川さんは小学校の教員になり、36年刊勤め上げました。その後、お父さんは、短歌や小説を書き続け、文学賞をとって東京に行きたいと願いました。しかし、その願いも叶わず58歳でガンで亡くなってしまいます。
この歌について戻ると。
微笑む希望、青春の賛歌。美しくにおえる健康。この曲の歌詞は、すごくきらめいています。川上は高校時代は『帰宅部』だったので、この時代に何の思い出もありませんが、部活で汗を流し、試合で泣き笑いをした人たちには、その記憶を呼び覚まさせる曲でしょう。
娘の新川さんは言います。「思い描く夢はかなわないかもしれない。でも夢に向かってがんばる。それが生きていくことだよって、背中を押してくれる歌なんですね」
加賀さんが逝った翌74年、同じ町内で生まれたのが大リーガーになった松井秀喜さん。松井さんが通った浜小学校で新川さんは長く働き、校長を務めました。松井さんを育てた星稜高校野球部元監督の山下智茂さんも「球場でこの歌を聞くと、やったるぞ~と気持ちがのってくる」と話します。春夏合わせて甲子園出場25回の名将。簑島高校との延長18回の名勝負があり、阪神大震災の95年夏は準優勝。ただ、優勝はありません。「人生はつねに敗者復活戦。鍛えられた強い精神力でこれからのいろんな闘いにぶつかってほしい。心に甲子園はある」そうだよね、みんな、敗者復活戦を闘っているんですよね。
もがいて、もがいて生きていく。その証かしが栄冠なのだ、と加賀さんが言っている気がしませんか?
☆☆筆者のプロフィール☆☆
川上 誠
勤務先:川上歯科医院
編集者後記
今月もメルマガをお読みいただきありがとうございました。
今年は実家で初めて落花生を育てています。
皆さんは落花生の実がどのようになるのかご存知ですか?
落花生は、花が咲くと翌日にその花が枯れ花が落ち、花の根本からつる(子房柄)が地面の方に向かって伸びます。地上ではつるの先端部分は膨らまないのですが、土に潜ると先端部が肥大していき、それが落花生の実になるそうです。落花生の名前の由来はその実の付け方にあるのです。
夏前に植えた落花生はすくすくと成長していると母から連絡がありました。収穫が楽しみです。
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(いわい こずえ)
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編集:NPO法人ウェルビーイングいわい こずえ jimukyoku@well-being.or.jp
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