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さよなら鉄道 鉄オタだった20年 中編



※この記事は『さよなら鉄道 鉄オタだった20年 前編』の続きです。前編の記事をご覧の上で読んで貰えると嬉しいです。
https://note.com/open_eel3950/n/nce3093ba7d6c 前編
https://note.com/open_eel3950/n/n9506f7221024  後編

※なお記事の長文化を防ぐ為、後編で書こうとしていた内容を2つに分けさせていただきます。よって、この記事は「中編」になります。

前編では、鉄道を好きになった幼少期〜鉄道を趣味に持つことに葛藤した中学生時代までを記しました。
中編では、私に鉄道以外の趣味ができた話、私が好きな鉄道とは何だったのかを記し、この趣味から離れる決意をした理由を記していきます。

前編に比べとても専門的な話になりますが、この話本筋で大切なところなので、興味ある方、前編を面白いと思って頂けた方は是非読んで貰えたら幸いです。
鉄道や地理に造詣が深くない方にもなるべく楽しんでもらえるよう、「詳しく」を目標に書いていきますので、何卒お付き合いください。

中編・後編まえがき - 並行在来線問題とは?
この問題は簡単に言うと、
①新幹線が新しく(延伸)開業する。

②開業区間に並行するJRの在来線の利用者が新幹線にシフトし、在来線での採算が取れなくなる。(赤字になる)

③この時、JRはその線区を運営から切り離す。
沿線の民間企業や県、自治体が出資して鉄道事業を引き継ぐ会社を立てるが、その後様々な問題が起きる。

という話になります。

これは、
新幹線停車駅に選ばれなかった駅、自治体の衰退であったり、
経営分離区間から分岐していた支線をどうするかであったり、
JR貨物だけはそこを経由せざるを得なかったり、
新事業者の会社運営をどう支えるかであったり、
様々な問題を引き起こす訳です。


高校時代 - 鉄道に関連した趣味とそれ以外の趣味

前書きが長くなってしまいましたが、私は中学の終わり頃にこの並行在来線問題に興味を持ちました。
この頃はコロナウィルスの影響で中学最後なのに登校が少なく、いつ高校が始まるかも分からず、家で「いつかまた外出できるようになったら旅行したいなぁ」と考えながら地図を見る事が多くなりました。
地図を見ていると、自分がかつて父に連れっていって貰った北陸のいくつか街が、新幹線に並行しているのに新幹線駅が設置されてない事実を実感しました。
新幹線が延伸された事実とその駅名だけは知っていましたが、地理的にどうなっているのかは詳しく知りませんでした。
そこから私は地図をよく見るようになり、「ここは昔こういう市町村だったんだぁ」とか自分が住む地域の事についても深く考えるようになって、日本地理が一つの趣味になりました。

前編で書いた通りで、私は小4までコミュニケーションの大切さを知りませんでした。ただ、高校生になる頃〜高校生活を送る頃には「流行りのものにちょっとでも触れる」「自分から鉄道の詳細な話は友人にふらない」この2つをモットーにしていた事もあり、またしても幸運な事に友人に恵まれました。
高校も運動部でした、一応鉄研は存在したらしいです。

ただ、趣味は「日本地理」でした。人に言える明確な趣味ができた訳ですが、依然会話が弾む趣味かと問われるのならばそうではありませんでした。
人と話す事が大事な事に気づいてから、音楽の話で盛り上がってる友達同士を多く見てきました。なので音楽の話で人と盛り上がったら楽しいだろうなという思いが心の底にありました。

高3になった時、遂に鉄道と全く関係ない趣味ができました。
学年が上がったばっかりの時、同級生がストーリーに載せていたある韓流アイドルの美貌に惹かれ、歌にも惹かれ、しっかりハマりました。
18年間鉄道か、そこが元になった日本地理しか関心の無かった私でもハマるくらいKPOPは魅力的なんだなぁと驚くと同時に、友人と明確な共通の趣味について話せるようになりとても嬉しかったです。先述の通り音楽の話を友人としたいと言うのがあったので、嬉しさは尚更です。

今まで鉄道、ゲームの攻略、流行りの中からハマった歌のリピート(ここまでの18年好きと言えるアーティストはバンド1つしかいなかった。音楽に関してはそのバンドの歌か、流行りのうち自分がハマった歌のMVを繰り返し見るという、明らかに少数派な視聴をしていた。)かだった私のYoutubeの半分は、KPOPのコンテンツになりました。

鉄道に全てが染まっていた中、違う色が見え始めました。

大学生 - 鉄道との決別

KPOPという明らかに人気のある趣味を持ち始め、大学の今もその話で友人と盛り上がっています。
並行在来線問題から地図、そして地域へと興味が移った大学生の今、かつてのように無駄に駅をおぼえたりはしなくなりました。ダイヤ改正や路線廃線に関するネットニュース等は見ますが、新駅の具体的な位置とかまでは追わなくなりました。
あとで地図を見ている際、「これがあの新駅か!」みたいな事もありますが。
ただ、ダイヤ改正を追うのは今年で最後にしようと思います。
使う路線の増発などの、生活上必要な鉄道情報は駅の掲示で分かるし、何より私の好きだった鉄道はもうないに等しいのだから。

私が好きだった鉄道

ここまでは、私が鉄道にどう接してきたかを記してきました。ここからは、私がどんな鉄道が好きだったかについて記していきます。
今までより専門的な話になりますが、この話の本筋と深く関わるところなので、是非お付き合い下さい。

一言で言えば、国鉄らしさが残っているJRが大好きでした。

1.新幹線駅と地方都市を連絡する在来線特急。
2.特急の車両を使った快速や普通列車。
3.行楽地へ行く為の臨時″快速”。
4.観光需要の為に長距離を走る在来線特急。

近年、これら全てが漸減の一途を辿っています。
番号を振ったのは、鉄道に詳しくない読者の方にも少しでも分かりやすく伝えたいからです。

1について

これは名前の通りで、都心から新幹線に乗って、わりと都心よりの地方の駅まで行く。そこから在来線特急に乗り継いで、目的地を目指すと言う事です。(逆も然り)

例を挙げるなら、東京から越後湯沢まで上越新幹線に乗り、越後湯沢から富山、金沢等の北陸主要都市まで、在来線特急「はくたか」で移動する話が分かりやすいかと思います。

これは新幹線が目的地まで開業してしまえば、在来線特急が役割を終える事は容易に想像して貰えるかも知れません。

新幹線ができるまでの「繋ぎの役」と一言で言えばそれで終わりです。しかし、そんな終わる運命が確定していた特急でも、在来線を高速で駆け抜け、沿線住民からとても愛されていた事実に浪漫と魅力を感じていました。

そして、延伸時に新幹線駅が設置されない街にとって、その存在はとても大きなものです。これこそが先述の並行在来線問題です。

2について

かつては、特急の車両を使った普通列車や快速列車が各地に存在しました。特急料金を支払わずに快適な車両に乗れるのだから、お金を稼げるようになったらいつか乗ってみたいと思っていました。
バイトができる年齢になった今、そのような電車は大きく数を減らしました。そりゃあ近くの車庫にいる普通の車両で走らせた方が、やりくりは楽だと思います。
ただそんな特別さが、私は好きでした。

3について

2の内容と似ていますが、観光シーズンになればそこに向かう臨時列車が走ります。
特急の車両を使った快速が、鎌倉や富士急ハイランドなどの観光地に向けて多く走っていました。小学生の私は、金銭的には負担なく、でも快適な臨時快速で、自分でお金を稼げるようになったら各地を旅したいなと夢見ていました。
お金を稼げるようになった今、それらのほぼ全てが特急料金を取られる特急に様変わりしていました。”快速“じゃないので当然料金も高いです。
高速バスや格安航空が台頭した今、特急に客を誘導しないとJRもやっていけないのかもしれません。ただ夢見ていた私からすれば、そこにワクワクはなく、会社の採算という利用者からしたら嫌な面が色濃く強く映ります。

4について

ある特定の需要を拾う為に、長距離を走る在来線の特急が昔は多かったです。
例えば、先程の越後湯沢から金沢を結ぶ特急「はくたか」は1往復だけ福井発着の便があって、東京対北陸三県の需要を一気に拾えるようになっていました。

もう一つ、「あずさ」の例を記しておきます。
前編で私の好きな特急だと記した「あずさ」は、「東京、新宿」から山梨県の甲府、長野県の諏訪地域を経て、同県下第二の都市である松本に至る特急です。
「あずさ」は1往復が松本より更に奥の大糸線という路線に乗り入れ、安曇野、北アルプス、スキーの需要を拾えるように考慮されています。

大糸線内では松本の先、
安曇野観光の拠点駅の豊科、穂高
北アルプス、立山への玄関口である信濃大町
スキー、キャンプ両方の需要がある白馬
栂池高原スキー場のある終点の南小谷
という5つの駅に停車して、観光需要を拾っています。

スキーが盛んだった頃は臨時便含めもっと大糸線に入る本数があり、スキー場に近接した簗場(やなば)、神城、信濃森上という駅に停まった便もあったらしいです。

でももう、鉄道(特に在来線)で長距離移動という時代でも無いんですよね。
細かい地域需要を大事にしている感じ、在来線で主要駅のみならず、沿線の街からの需要を回収しようとする心意気が好きでした。

スキーが盛んだった1990年代、都市圏から大糸線にはスキー客輸送の臨時列車「シュプール号」という列車が冬になると何往復も運転されていたらしいです。
どれも私が生まれる前の写真ですが、長い編成の客車や気動車までもが、確かに大糸線を走っている画像がネットに沢山あります。

ただそんなのは昔の話。
いま、大糸線に乗り入れる特急は定期が「あずさ」1往復、
夏の客の多い日だけ名古屋からやってくる白馬発着の臨時特急くらいしかありません。

来年のダイヤ改正で、大糸線の「あずさ」は遂に栂池高原のある南小谷を切り捨て、白馬が終点になります。
冬しか需要がない特急を定期で走らせるのは、会社運営のネックであることは十分に理解できる事です。
ただ、長距離移動の浪漫だったり、高速道路や飛行機では味わえない旅情だったりが失われることも、事実なのです。

幼い頃から好きだった特急が、観光需要のみではやっていけないという厳しい現実に晒され、区間短縮の対象になったのは本当にショックでした。

2010年に大糸線に乗り入れる特急が1往復に減らされた時、廃止理由が利用客減だった時点で、こうなる事は決まっていたのかも知れません。
自分が生まれる前に無くなった、「シュプール号」の廃止理由がバスへの敗北だった時点で、この未来は示されていたのかも知れません。

ただどうしても、やらせない思いってのはあります。

この通り、私の好きな鉄道はもう無いに等しいです。
私は、旅情だったり、特別感のある安い列車と言う、民営化された会社の運営的な側面では厳しい部分が大好きでした。

新幹線ができれば、国鉄からの歴史がある列車であろうが、160kmで在来線を駆ける特急であろうが無くなってしまう。
民営企業が採算を求めれば、国鉄からあった急行や快速は要らない存在になり、利用客を特急に誘導する値上げが行われる。

仕方ない事ではありますが、「好き」が無くなった事実に対し、自分の思い曲げる事はできません。

コラム - 糸魚川快速  

ここまで記してきた並行在来線、鉄道の浪漫について、一つ忘れられないエピソードを記しておきます。
前置きのルート説明がかなり長めですがご了承下さい。

北陸新幹線が金沢まで開業する前、

北陸から東京へのメインルートは
北陸の駅(金沢や富山)から「はくたか」という特急に乗り、終点の越後湯沢という駅まで行く。そこで上越新幹線に乗り換え、東京を目指すというものでした。

この「はくたか」を補完する役割を持った特急が、「北越」という列車でした。「越」の字から想像して貰えればと思いますが、終着は新潟。北陸〜新潟の都市間輸送を担っていました。

はくたか停車駅
金沢
-(石動)-高岡-富山-(滑川)-(魚津)-(黒部)-(入善)-(泊)-(糸魚川)-直江津-(十日町)-(六日町)-越後湯沢

北越停車駅
金沢
-(津幡)-(石動)-高岡-(小杉)-富山-滑川-魚津-黒部-入善-泊-糸魚川-直江津-柿崎-柏崎-長岡-見附-東三条-加茂-新津-新潟

この2つの特急は金沢から直江津という駅の間で同じ区間を走っていた事がお分かり頂けると思います。
新潟県上越市にあるこの駅は、北陸からやってきた列車が新潟方面と東京方面に分かれる重要な駅でした。
北陸新幹線が金沢に伸びた時、直江津には新幹線駅は設置されず、ここより少し東京寄りの「脇野田」という駅を「上越妙高」という名前に改称して設置される事になりました。
(上越妙高も上越市。直江津との間に市の中心である高田地域を挟む形で、新幹線駅が設置された体裁。)

2015年の北陸新幹線金沢開業時、駅は
金沢-新高岡-富山-黒部宇奈月温泉-糸魚川-上越妙高-(至東京)
と設置されました

北陸と東京が一本で繋がり、
越後湯沢まで出る必要はなくなり「はくたか」は廃止。
金沢-糸魚川(直江津)で北陸新幹線と、長岡-新潟で上越新幹線と並行することになる「北越」もその役割を終えました。

そして、ここまで読んで頂いた方はもうお分かりだと思いますが、金沢〜直江津は北陸新幹線と並行する事になる為、JRの運営から切り離されました。

金沢〜直江津〜脇野田(上越妙高)〜長野と在来線がJRから切り離され、新潟県内は糸魚川、脇野田改め上越妙高が北陸新幹線の駅に選ばれました。

上越市は新潟県下第3の都市。新潟市への需要もあると判断され経営分離などそっちのけで、【第3都市上越〜第2都市長岡〜県都 新潟市】と結ぶ上越妙高〜新潟の新しい特急「しらゆき」が設定されました。


一方、「北越」を失った糸魚川市は東京と繋がった代わりに、新潟県下であるにも関わらず新潟市へ1本で到達する鉄道ルートを失った訳です。
この時地域住民への配慮で、糸魚川〜新潟に1往復だけ快速が設定されました。
朝に糸魚川発、夜に新潟発、いかにも県都への移動の為なのが分かるこの快速を、父が旅行に連れってくれた時に頼んで見せて貰った事があります。
(恐らく北陸新幹線金沢開業のダイヤ改正からそんな時間は経ってない時期)

夜の糸魚川行きの便を、直江津の2つ手前の駅で見せてもらいました。「私が好きだった鉄道 2について」で記した、特急の車両を使用した快速がまさにこの列車でした。
それは「北越」としての役割を終えた、485系という国鉄車両の最後の定期運用、鉄道が好きな人間からしたらどうしても見てみたいものでした。

19:30頃に入線してきた車内には、乗客が沢山乗っていました。降りた老婆の荷物運びを手伝う父を横目に、糸魚川を目指す快速を見送りました。
「直江津を発てば、次に止まるのはもうJRじゃない名立か。」
「客多くね」
他社に入る国鉄車両の快速、ワクワクするなぁ」
なんて事を考えていたのを、鮮明に覚えています。








ただ、この列車は2017年に呆気なく廃止されました。
経営分離区間の糸魚川〜直江津の客が少な過ぎたのが原因らしいです。

私が見た糸魚川快速の沢山の客は

大半が珍しがっていた鉄オタだったのでしょうか。

大半が上越市民で、直江津で降りるか乗り換えてしまったのでしょうか。

それとも最後の485系に夢を見過ぎた、並行在来線問題なんて言葉をまだ知らないクソガキの幻影だったのでしょうか。

中編結び

このように、私の好きだった鉄道はもうないに等しいです。
「好き」もないし、社会からは受け入れられ難いし、であれば離れようと考えた次第です。
ラスト・後編では、私が感じた社会との「ズレ」、鉄道が私に残してくれたものについて記していこうと考えています。

専門的で長い記事でしたが、お付き合い頂きありがとうございました。ラストも期待していて下さい。

新潟県の鉄道に詳しい方、北陸新幹線の並行在来線問題の当事者の方の声も聞いてみたいです。コメント待ってます!

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