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小樽に来たる!(2021/7/22)

 皆さまお久しぶりです。

 群馬の大学生組織で企画したイベントの参加のためこの度実家に帰ることになり、その途中に小樽に立ち寄りました。ちょっと肩の力を抜いて(いや、最近は抜き過ぎている?笑)気ままにぶらぶらしてみました。今回は、それで感じたことを備忘録も兼ねて記そうと思います。

①運河とリノベーションまちづくり

 午前10時くらいに小樽駅に到着。まず向かったのは、小樽運河でした。小樽市総合博物館運河館で、江戸後期の北前船、ニシン漁、北海道の物流拠点としての「北海道の心臓」の歴史を知りました。

 特に印象に残ったのが「鰊盛業屏風」の展示で、移動(JR)でぼんやりと眺めていた張碓あたりの海岸の様子っぽく思いました(本当に屏風の風景がそこかは分かりませんが、ただ、展示内容から張碓あたりは鰊漁が盛んだったということは確認しています!)。ちょっと古びた、言い方を悪くすればぼろぼろの小屋が建っていたけれど、元はニシン漁関連の小屋だったのだろうか…?

 それはそうと、昭和後期から物流の中心の役目を終え、斜陽となっていったという歴史が小樽にはありました。まあ高度経済成長とそれ以後の時代を通して、まず主に各都道府県庁所在地に賑わいが集中し、さらに大都市にヒト・モノ・コトが集中していった、という物語は日本のほとんどでお馴染みではあります。

 ポイントだなあと思ったのは、モータリゼーションの一環として運河の一部が埋め立てられ、倉庫が取り壊され始めたとき、市民有志が立ち上がって運河の景観を保存する運動を始めた、ということです。

 自分がその時にいたとして…と考えた時、小樽という街には、①運河を埋め立て、時代の潮流にあった形で発展を模索する ②「『運河とともに、その時代を、この地で生きてきた』」(河村茂「北海道・小樽 埋立・保存の対立転じ「観光都市」創生ー市民の思いを結集、反対運動からまちづくりへと止揚ー」https://www.reinet.or.jp/pdf/chihousousei/report/No10-2015july.pdf)という思いを第一に、運河をより心に寄りそったかたちの「資産」としていく という二つの考え方がありました。当然②は修羅の道だと思います。「運河は残しておいても損失だ」という意見に対して「こころ」の話、主観的な話をすることの何と心細いことか。

 小樽は、もちろん両者の紛糾した議論を経て、それに運河を半分埋め立てつつ散策路を整備する、という妥協を通して、ではありますが、結果として概ね②の方向に動いていきました。その方向づけには、運河を文化資産として活用するための、例えば石造倉庫を店舗とするリノベーションに代表されるような工夫が貢献したようです。結果、運河景観に新しい文化や賑わいが付与され、現在小樽は観光都市として再出発しています。

 僕は正直、観光都市化させようとしてあれこれ方策を練るようなまちづくりは見ていて苦手です。今の地域課題は「観光施設に人を呼び込んで、消費活動によりまちの経済循環をよくする」という段階よりも深いレベルにある気がするし、選択と集中の雰囲気がすると特に違和感があります(今僕が感じているもやもや自体はまだ「もやもや」であってもうちょっと正確に問題の姿を捉える段階を踏む必要がある)。ただ、小樽の事例はそういう「観光化」より先に「運河とともに…」の「こころ」の部分があったのだと思います。

 「こころ」のよりどころの喪失は、もちろん小樽の問題のだけではなく、少なくとも僕が断言できる限りで言えば、日本全国的な問題です。人には人の「よりどころ」が、地域には地域の「よりどころ」が、国には国の「よりどころ」があると思っています。僕たちのこころが、よりどころとしているものは何だろうか。僕たちが失いたくないと心の底から思っていて、行動の原動力となるものは何か。まだまだはっきりと見えてこないこの問題に僕はまだしばらくもやもやし続けるだろうと考えるのです。

②硝子の街

 運河に沿って東へ行き、お昼を食べた後は堺町へ。そしたら、めちゃくちゃ風鈴が飾ってありました。夏。でも、小樽で風鈴がめちゃくちゃ飾ってあるということには、夏であるという以上の意味がありました。

 小樽は(訪ねるまで恥ずかしながら知らなかったのだが)硝子で有名らしい。「大正硝子館」で、スタッフの方に小樽とガラスの歴史について聞いてみたら、なるほどな、という回答が返ってきました。

「ニシン漁で使う浮き球の需要があって、硝子製造が盛んになったんです。北一硝子さんが硝子製の石油ランプなどを販売し、また観光面でもその拠点となったことで、平成になって技術継承の環境面から全国的に硝子作家が集う『硝子の街』になったんですよ。」

 ここにもニシン漁が絡んでいたのか! という驚き。特に人の技が絡む物事において、一朝一夕で技は根付かないから「硝子の街」には何か理由があるのだろうとは思っていたけれど、納得のいく答えでした。

 北前船の港・ニシン漁の拠点から「北海道の心臓」そして、市民の力がきっかけで消滅を免れた運河と、夏の暑さを忘れさせる美しい音が響く街へ。万物は流転する。特にニシン漁のくだりから硝子の街への展開は鮮やか。街としての、社会としてのしなやかさの一端を見れた気になってより涼やかな気になりました。

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