今日の心動いたこと ・久々に中高時代の塾のコミュニティに顔出し。教育に思いのある高校生たちと「多様な学び」とか「そもそも学ぶとは」みたいなことを議論できた。 僕は「学ぶ」がもっと日常的なものだったらいいな、と思ってるということを率直に伝えた。 今日のゆとりある行動 ・銭湯行った。あたたかかった。
わからないことを「わからない」と言うことができないことが多いタイプです。 「わからない」のは恥ではなく、「何がわからないのか」を突き詰めることが大切なんだなと思います。
すーぐ日録風note更新しませんでした。 家について眠くなって寝てしまうか、タスクの残りをし終えたらそろそろ寝たい時間になってるかのどっちかです。 ただ、自分が思ったことを記録しておきたいと思ってるので、あまり怠けずやりたいですね…。 12月に入る前にようやく自動車教習所を卒業しました。 帰省したときに学科試験をうけて問題なければ、晴れて運転免許をもつことになりそうです。 息抜きにTwitterに入り浸りがちな人間で、この人(吉谷光平さん, @kakikurage)の漫画
ふりかえってみた。 あくまで日録「風」です(後から記憶を思い起こして書いている)。 たまに支離滅裂なこと書いてたらすみません。 11月14日(火) 2限、3限、5限で授業。合間に利根沼田夢大学の夢大生募集情報リリースのための作業。 沼田市でお世話になっている人の一人Mさんの投稿からTVアニメ「菜なれ花なれ」の舞台に沼田が採用されていそうだと知る。 主人公(?)が通っている学校の外観は母校・高高(高崎高校)っぽいのもあり大興奮。沼田から高崎高校に進学してる人の物語とか7
継続とはとても難しいこと。 最近めちゃくちゃ思います。 前回の投稿が10月23日。 忙しかったと言ってしまえばそこまでなので言い訳しません。 札幌では雪が降り始めました。 まだ積もってはいないですが、もうそろそろ朝が辛くなってきますね。 利根沼田では、今週土曜日に白沢町にて(一社)ちもり(六本木ユウジ理事長)主催事業「山育フォーラム2023」が行われます。 当日は札幌から帰省し、高校時代の同級生でごりごり配信会社で活躍する佐藤博久くんと、円滑にオンライン対応できるよう
今週末は北大交響楽団で、秋の定期演奏会にむけて練習。 本番の客演指揮者である大河内雅彦先生は、単なる演奏技術についてだけでなく、音楽家としての心構えみたいなものもディスカッションしてくれた。 さて、私は本質的に自己中心的な人間だ。 少し、自分語り。 小さいとき。 私は人の話を聞かない人間だった。 小学校二年生のときから歴史が好きで、 誰かに自分の知識を知ってほしいという鼻持ちならない人間だった。 同世代の子には話など通じないからとうに諦めていて、 その親世代の人たちをつかま
最近、やりたいことが多すぎる。 ずっと言っているのはnoteを使いこなして考えていることを発信したり、誰かのことばに触れたりしたい。 ちょっと自分でも意外なのは、本当に余裕あれば遊び半分で、歴史シュミレーションゲームをプレイしながら歴史について少し解説してるような動画つくりたいと思ってる私がいること。完全に趣味として。遊び感覚でまだまだ知らないことを知りたいという欲があるんだな。 見過ごせないのは、同世代や自分より若い世代と語り合ったり彼らが成長するのをサポートして一緒に未
退魔 大橋弘典 地下鉄の網の底より夏に入る 九輪草ふいに喋つてあとは黙 軽業師しか棲めない国のあぢさゐ咲く 団長の影踏んでゐる水馬 空梅雨の笙あをあをと吹きわたる 蟻に眼や離島はつちのやはらかさ 火のやうに落つる汗なり祖霊殿 短夜やグリコのをとこ身を攀ぢる アイスクリーム上階に焼肉屋 蚊をとるや兄に懇意の占ひ師 アベリアや爬虫類館くたびれて 小学生の砂絵に章魚の生きうつし 白馬から夕立を見通してゐる 七月や檻のあちらの麻酔針 中背に羽の拗れて晩夏の木
皆さまお久しぶりです。 群馬の大学生組織で企画したイベントの参加のためこの度実家に帰ることになり、その途中に小樽に立ち寄りました。ちょっと肩の力を抜いて(いや、最近は抜き過ぎている?笑)気ままにぶらぶらしてみました。今回は、それで感じたことを備忘録も兼ねて記そうと思います。 ①運河とリノベーションまちづくり 午前10時くらいに小樽駅に到着。まず向かったのは、小樽運河でした。小樽市総合博物館運河館で、江戸後期の北前船、ニシン漁、北海道の物流拠点としての「北海道の心臓」の
今回は、「クリエイティブ」に関する文章を書きました。夢大の経験をもとにしています。拙文ですが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。 4月より北海道大学の学生となった。読者の皆様には、これからもよろしくお願いいたします。 さて、私は高校生の頃、利根沼田夢大学という活動をしていた。よく地元でも、高校でも「なにそれ?」と聞かれた。そして僕はその度に説明に苦労したものだ(聞いてみたら、一緒にやってきた一つ下のスタッフも「説明できないっすよね」と言っていた。同感)。 僕としては
今日で世間から「高校生」と言われる日が終わる。人生の一つの節目だから、この3年間について自分の言葉で振り返ろうと思う。まずは高校三年間の自分の核である「心躍るまちづくり」について書こうと思ったが、あまりに長い物語なので、こちらはゆっくりと区切りながら後日書いていこうと思っている。ということで今日は、俳句と短歌の活動について振り返りたい。 最初に、高校三年間自選10句・10首を上げる(他のSNSであげているものと同じ)。 腕のよき大工のタオル東風のいろ 大空の向こうの春
先日、黒岩徳将さんを通して、著者の安里さんより連絡があり『式日』を送っていただいた。頂いた手紙の安里さんの字は、装丁と同じ青色のペンで書かれた字だった。 ひいふつとゆふまぐれくる氷かな 句集の出だしたるこの句、矢の速さ即ち光・音の速さの感覚を呼び覚ます。どことなく寂寥たる夕闇だが、そこには「氷」の冷たさがある。五感をそばだてて読み進めることを促されるような、緊張感のある句だ。 『式日』を読みすごいと思ったのは、安里さんの抽斗の多さである。 ぼうたんの闌けたるに
つい最近、友人と「理想」と「現実」の扱い方について、Twitter上で、短めですが意見を交換しました。もしくは帰納的思考、演繹的思考の整理といっても良いかもしれません。思考し行動するとき、「理想」を重視して組み立てる面と「現実」を見ろ! という面とがありますが、私たちはどのようにするのが良いのだろう、というのが大まかなテーマ。 結論としては、特に派手なものではないけれど、「理想」と「現実」の間に思考や行動が存在し、どちらも等しく重視しなければならないよね、ということでした
主張することは可能性を狭めることでもある、と思います。 「これはAだと思う!」と言ってしまえば「こいつはこれをAだと思う人間なんだな」という像だけが先行していくから。結果、それをAでないと思う人とは相入れない存在になっていく。 だけど、そんなに「ひとりの人間」という存在は割り切ったものではないんじゃ? と思うんです。 大抵は、Aだ、と思う部分もあっても別にBだ思う心の余白があるのではないでしょうか。そしてそのBは、どれほどAとほとんど重複していてもAそのものではない。BにはA