ショウブとヨモギ【胆沢の民話㉖】岩手/民俗
『ショウブとヨモギ』
参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会
昔、爺さんと婆さんがあった。婆さんは何年か前に死んでしまった。
爺さんは常々、食わないで稼ぐごけ(後妻)さんほしいと言ってた。
そだから、誰もごけ婆様世話する人も無くていた。(紹介する人がいなかった)
そのうち誰が世話したどいうこともなく、どこからか、いい塩梅の婆様があって世話するようになった。
シマイ(炊事)はして爺さんさ食わせるども、我はいったいに(絶対に)ママ(食事)食わない婆様だった。
爺さんは毎日山さ稼ぎに行くのだが、気が付いてみると、奥さしまってた米が、余計減り方がひどい。
どっちゃにも(どうにも)不思議だと思って、ある日、途中から戻って桁(けた、柱の上に渡した木材)さ上って、隠れて見ていた。
したれば(そうしたところ)、婆さんはエレッコ(奥)さ行って、四斗五升俵出してきて研いで(1俵と5升ぶんの俵?)、斗入れ釜とか何とかの大釜で飯を煮ている。
何なぎぁがんべ(何をするのだろう)と思っていると、畑さ行ってカリビロ(ネギの古い品種)三抱えばかり取ってきて洗って二十人鍋さ、おつけ(汁)を煮た。
今度はサンバ(鯖)のすし漬け1コガ(桶)、コガがらみ(桶ごと)出してきて重石を取っ払った。
そして扉外してきて、煮た飯を握って扉さ並べた。
誰か呼ぶ(招待する)のだべがと思っていると、頭の髪を解いてザフンと両方さ分けたれば、頭の上が大きな穴になっていて、その穴さ両手で握った飯を入れ、オツケ(お汁)はヒシャクで汲んで入れる、すし漬けは手掴みで入れる。
そしてズッタリ(全部)入れてしまって、爺さんがいつも帰ってくる頃までには髪をちゃんと結って、知らないふりしていた。
爺さんも知らないふりして帰ったが、しばらくすると婆さんが腹が痛くなった。
「お爺さん、オラ腹痛くなった。」
と言う。爺さんは、
「それぁ大変だ、オレが呪じなって(まじなう、祈って病気を治療する)やるべ。」
と言うと、
「そんでぁ呪ってけらしやえ。」
と婆さんは腹を出した。お爺さんは、その腹をなぜ(なで)ながら、
「あーあ、四斗五升俵の祟りだか、カリビロ三把(わ)の祟りだか、サンバのすしあ祟ったなー。」
と言ったれば婆さんめぁ、
「何したって、このチンジ(爺め)。」
と言うなり扉外してきて、それに爺さんを乗せて、そいつを頭の上さ乗せて外さ走り出した。
ワラワラと走られる。これぁ化物だから連れて行かれたら命はないと思ったが、あんまり早くて下りられない。
何とかして逃げないばなんないと思っていたが、そのうちにもしばし馳せて(駆けて)山の方さ来た。
そのうちに木の枝の下を通った時、手を伸べて木の枝さ成っ下がった(ぶらさがった)。
婆はただ馳せるので、それを知らないで向うさ行ってしまった。
爺さんが下に降りたら、そこはショウブコ谷地(菖蒲が群生した湿地)だった。
爺さんは考えた、あの婆は化物だ。
化物じものはショウブコとユムギ(ヨモギ)を嫌うじがらと(というから)、そこでショウブコ取って、ショウブコ谷地から出はって、ユムギ取って家さ帰って、家のぐるげや(周り)の入り口さショウブコとユムギを挿した。
婆は我ぁ(自分の)巣だか家だかさ帰った。
そこには子だか、童(わらし)だか待っていた。
婆は帰って爺さんのいないの気付いた。
「なんだ、にっしゃ(お前ら)さ食わせべってさかなっこ取ってきたった、途中で落としたな。戻って持ってくるから待ってろな。」
と言って戻った。
探す探すと爺さんの家まで来て、爺さんが中にいることが判ったども、ショウブコとユムギで入られないで、爺さん助かったとさ。
婆になったのは山ババの化物だったとや。
そんで五月節句にはショウブコとユムギを家の入口のどごさ挿すのだとや。
ドンドハライ。