蛇の婿【胆沢の民話㉛】岩手/民俗
昔、あるところに、母と娘が住んでおりました。
娘が年頃になったので、それはそれは綺麗になって、母でさえ、うっとりと眺めるほどでありました。
この上は立派な婿を迎えて、娘に劣らないほど美しい孫を産んでくれたらと、楽しい想像をする母になっておりました。
それは生暖かい春の夜でありました。
楽しい夕食後の語らいが終わると、母と娘は各々の寝室に引き取りました。
それから何刻か、母は隣の娘の部屋から漏れてくる話し声に、目が覚めました。
話し声といっても、それはよそをはばかるヒソヒソ声でした。
母は今頃不思議だ、誰か娘の部屋に来ているのかと、耳をそばだてて扉に寄りました。
しかしヒソヒソ声は娘のものだけで、それも何を言っているのか分からないほど低く、相手の声は男か女かほとんど聞こえませんでした。
母は心配になりました。
年頃になっている娘に悪い虫でもついたら、せっかく楽しんでいる母の夢を壊すことにもなります。
まんじりともせず朝を迎えた母は、娘に昨夜のことを聞こうとしましたが、いやいや待てよ、もう少し様子を見てからと、その日は聞かずにおきました。
しかし夜になって起こる、娘の寝室からのむつ言(仲睦まじく交し合う言葉)らしいヒソヒソ声は、それからも毎夜のように続きました。
母はついに我慢しきれなくなって、娘に尋ねました。
それに対して娘は、悪びれる風もなく、美しくて若い男が通って来ることを話しました。
娘の話から数えてみると、母が気が付いた頃よりすでに十日以上も前から、件の若い男が通っていたことになりました。
「それで何か変わったことでもないのか。」
母が慌てて聞くのに対して、娘は割合に冷静でした。
「そうね。」
と小首をかしげながら考えていましたが、
「そう言われてみると、なんだか体が冷たい感じがしたわ。」
「それ、それ!」
母はうろたえながら、
「それは当たり前よ、普通の人間でないかもしれないよ。」
とやや冷静さを取り戻しながら、
「今夜も来たなら、その男の着物の裾に、長い糸を縫い付けておけ。」
と言い付けました。
その夜も美しい若い男は、娘のもとに通って来ました。
娘は母の言い付け通り、男の着物の裾に長い糸を縫い付けました。
男は帰る時、
「なんだか今夜は気持ちが悪い。」
と言っていました。
翌朝になって、母は娘の部屋から引かれた糸をたどっていきました。
その糸は田を越え畑を越えて、随分遠くまでありました。
やがてその糸は林の中に入りました。
その林は、昼でも暗い程、巨木の繁っている森でありました。
その森の真ん中頃に洞穴があって、糸はその洞穴の中に吸い込まれるように入っていっておりました。
ここだな、と母は洞穴の前に立って、中を覗き込みました。
すると中から話し声がいたしました。
「そうだから人間の所へ通うんじゃないと言ったんじゃないか。
生き体にクロガネを刺されたら、そこから腐って死んでしまうんだよ。
大変なことになったな。」
「俺ばかり死ぬってこともない。
あの娘も死ぬことだろう。
あの娘の腹に千匹の俺の子種を宿してきたからな。」
「しかしそれはどうかな、人間ってなかなか利巧だからな。
ショウブとヨモギで湯を立てて入れば、子種なんか簡単に下りてしまうってこと、知っているかもしれないからな。」
それを聞くと母は驚いて、一目散に駈け出しました。
そして家に急いで入るなり、風呂を焚きました。
それにショウブとヨモギを採ってきて入れました。
沸いた風呂にやがて娘が入ることでありましょう。
そして蛇の母の言った通り、蛇の子種は娘の体から全部下りてしまうことと思います。
美しい娘には、母の望み通り、立派なお婿さんが迎えられることでありましょう。