見出し画像

ダンゴの話【胆沢の民話⑲】岩手/民俗

『ダンゴの話』

参考文献:「いさわの民話と伝説」 胆沢町教育委員会

ある村外れの森蔭に、ポツンと一軒小屋が建っていました。その小屋に母一人子一人の親子が慎ましく住んでおりました。

夫に死なれた母は、乳飲み子の太郎に最大の期待をかけて一生懸命励みましたが、育った太郎は母の頼みとはとんと違い、15になっても西も東も分からないという馬鹿者でありました。

母は一時は運命の残酷さに悲観し、太郎を殺して自分も死のうとしましたが、生命の尊さを悟り、これも自分に課せられた天の試練だと諦め、ただただ一生懸命に働きました。

幸い裁縫の天分があったので、他人からの頼まれものが多いことから実入りも多く、生活に事欠くことはありませんでした。

馬鹿な太郎には、常人には相手になれないと見えて、一人の友達もありませんでした。ですから仕事とてない太郎は毎日のように、草を抜いては川に流したり、小鳥や蝶々を追って火を暮らすより他ありませんでした。

たまに、使い歩きに出すことはあっても、三度に二度は間違うという失敗をしでかしていました。

丁度その日は、急ぎの仕立物を4つほども抱えて、母は夜もろくろく寝ずに働いていました。今日までという期限の物が2つもあり、ようやく1つだけは仕上がっておりました。早速できあがった分を先様に届けなければならないと思いながらも、次の分をすぐ始めなければ、その分は今日できあがりません。それにできあがった物の届け先は、かなりの遠距離にあります。その往復に費やす時間を思うと気は焦るばかりでした。

母はその時、ふと太郎のことを思い出しました。藁をも掴むという諺(ことわざ)がありますが、藁よりも頼りにならない太郎でしたが、今はただ太郎に頼むしか方法はありませんでした。

途中に蛇が出てきたり、小鳥が飛んでいたりすると間違いがあるので、くれぐれも注意するよう念を押して使いに出しました。

幸い間違いなく太郎は目的の家に着き、仕立物の風呂敷を差し出しました。先方では2、3日の余裕をみての頼み物でしたが、早くできあがってきたので、すっかり喜び太郎に御馳走してやると云いました。

大きな丼に山盛りにして出された小さい丸い形のものは、太郎は何であるか分かりませんでした。まさか食物であるとは分かりませんので、もじもじしていると、食べなさいと勧められるので一つつまんで口に入れると、柔らかい口応えがありました。数回噛んでいるうちにそのものが舌の上に溶けて、何とも言えない甘さが口中に広がりました。

太郎はむしゃくしゃに食べ、たちまち丼を空にしてしまいました。

「まあ、そんなに好きかえ。」

と、その家のおかみさんは空の丼を見ながら、呆れたように言いました。太郎はこんなに美味いものを食ったことはありませんでした。また食いたいものだと思いました。母に頼んでこしらえて貰って食べようと思いました。それにしてもこれは何というものだろうと考えました。見たことも聞いたこともないものを、太郎にわかるはずはありません。

太郎はおそるおそるおかみさんに尋ねてみました。それはダンゴというものでした。太郎は忘れては大変ですから、口の中でダンゴダンゴと言いました。そしてろくにお礼もせずその家を出てしまいました。

その家を出るとおおっぴらにダンゴダンゴと声高に言いました。森にはいつものように小鳥がさえずっていました。路を蛇も横切りました。しかし太郎はそれを見向きもせずダンゴダンゴと高々に言いながら、ひたすら道を急ぎました。忘れたら母に頼むことができないからです。

巾(はば)広い流れに出ました。太郎は勢いをつけ飛び越えました。その時太郎の口からダンゴでなく、ドッコイショの声が出ました。ドッコイショ、ドッコイショと太郎の高い声が彼の家に入るまで続きました。

太郎は家に入るなり、母にドッコイショを作って食わしてくれとせがみました。母は何を言うかと相手にしませんでした。太郎はあんまりうるさく言うものだから、母もつい腹を立て物差しを振り回しました。物差しは大きい弧を描いて太郎の額に当たりました。太郎は悲鳴を上げて額をかばいました。とみるみる額が隆起しました。瘤ができたのでした。

母はかつて言ったことのない憎々しげな言葉で言いました。

「それ、あんまり分からず屋だからダンゴのような瘤ができた。」

太郎はハッとしました。そうだダンゴだ。ドッコイショではない。ダンゴだと叫びました。母は太郎の瘤の手当てをしながら、早速ダンゴをこしらえて食べさせると言いましたとさ。

少しでもサポートしていただけるととっても助かります!