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「楽しかった?」と確認するのはもうやめる

「楽しかった?」と訊いた瞬間の違和感

先日、家族で旅行に行ってきました。
そこでつい発してしまった自分の言葉に違和感を感じました。
それは、子ども(小1・7歳)への
「楽しかった?」
という問いかけ。
子どもは何も答えませんでした。

そこで今度は、
「楽しかったね」
と話しかけてみました。
そうすると、子どもは照れくさそうに笑っていました。

文字にしたらそんなに違わないのに意味は大きく違う

「楽しかった?」と「楽しかったね」
文字にすると違いは1文字だけ。
でも、この言葉たちが持つニュアンスというのはずいぶん違うように聞こえませんか?
子どもがもっと小さい頃は「楽しかった?」と問いかけてもここまで不自然な感じはしなかったのに、今はあの時とは違って感じるのはなぜなのでしょうか。

あの頃と今とは違うから

「楽しかった?」には相手の気持ちを確認するニュアンスがあります。
「楽しかったね」には相手と自分の気持ちを共有するニュアンスがあります。

幼い子どもたちは、あくまでも自分中心。
自分の気持ちを最優先に表現したがります。
というか、それしかありません。
だから「楽しかった?」と訊かれて、「楽しかったー!」と答えられたらきっと子どももそれでよかったのでしょう。

でも、少し成長してきた子どもは、誰かと思いを分かち合うとか、理解し合うということができるようになってきているのかもしれません。

「楽しかった?」という言葉には、発している側の思いは込められていません。
もちろん、親としては子どもが楽しんでくれるのが一番なので、純粋にそれを知りたいという気持ちがあるのは確かです。
でも、子どもからしたら「何で自分だけ訊かれるんだろう?ママは?」という気持ちが芽生えているのかもしれません。
楽しかったのは自分だけなのかな、と考えているかもしれません。

だけど、「楽しかったね」と言われれば、そこには相手の気持ちも存在していることが分かるので、安心して自分の気持ちも表現できます。
何より、同じ気持ちであるならば共感することとされることの心地よさも感じることができます。

「楽しかった?」の持つニュアンス

「楽しかった?」と大人が子どもに尋ねるニュアンスには、「楽しかったよね、楽しかったでしょ」というある種の押し付けや強要のような空気も孕んでしまうことがあります。
もちろん、大人にはそんな気は全然なかったとしても、です。
「楽しかった」と言わざるを得ない、こういうときには「楽しかった」と返さなくてはいけない、そんな空気になってしまっていませんか。

気持ちを確認して代弁する時期は終わった

子どもが、ある程度の年齢になってきたら、確認作業はいらないのかもしれません。
幼い頃は、本当は何が好きなのか、何に喜ぶのか分からないし、探り探りな部分があったことと、まだ十分に言葉を使えない子どもの代わりに気持ちを表現するヒントを与える意味でも、確認作業をしてしまいがちでした。
でもある程度の時期からは、同じ目線に立って気持ちを表現し合ったり、共感したりできたらいいのではないかな、と思います。

私がどんな気持ちだったのか、必ずしもすべての物事にポジティブな感想を持てるわけではないので、それも含めて正直に一人の人として伝えていくことで、自分の気持ちを素直に正しく伝え合う経験の機会を提供していきたいです。

子どもの気持ちは子どものもの、私の気持ちは私のもの

これから先は、本人の気持ちの表現は本人にまかせて、確認するような声かけは終わりにします。
私の気持ちは私の気持ちとして伝えて、その上で、共感するのか、別の感情を表現するのかは子ども本人に委ねます。
それぞれにそれぞれの感じ方、考えがあっていいと思えること、そしてそれを表現することの自由、みたいなことを理解してもらえたらと思います。

あなたはどうですか?

皆さんも「楽しかった?」と訊いてしまうことはありませんか?
そこには、子どもからの「楽しかった!」という答えを無意識のうちに期待してしまっていないか考えてみてください。
もし、お子さんが既に気持ちの表現をすることのできる段階ならば、大人も自分の気持ちを伝えてみて、伝え合う時間を過ごしてみませんか。

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