幼い頃の記憶

私は幼い頃から、親の機嫌を伺って生きてきた。家では父の怒鳴り声が響いていた。父は気に入らないことがあると怒鳴り、暴力を振るう人間だ。父が帰ってくる車の音がすると部屋に逃げて息を潜めた。

母はそんな父に怯え、毎日のように「死にたい」と言っていた。それと同時に子供たちを守らなきゃという母の強い責任感も感じた。母の苦しみ、覚悟は私にとって重圧だった。母の疲れ切った顔を見るのも悲しそうな顔を見るのも辛かった。母を助けたい、その一心で生きてきた気がする。

学校にいる間中、私はいつも母が自殺しているのではないかと心配した。家のドアを開けるときの緊張感は今でも忘れられない。もし母がいなかったらどうしよう。首でも吊っていたらどうしよう。もし父が怒り狂っていたらどうしよう。そんな不安が常に頭をよぎった。学校以外はなるべく家にいるようにした。友達からの誘いを断って母のそばから離れなかった。

母が悲しむことが分かっていたから。

父が母に暴力を振るう姿を見るのは耐えがたい苦痛だった。不穏な空気を感じるたび、私は家中の刃物を隠した。夜中に目が覚めると、薄暗いキッチンの前で父が母に往復ビンタをしている光景が目に飛び込んできた。無力な母に対し、父は何度もビンタを繰り返していた。その瞬間、私は凍りついて何もできなかった。目の前で傷ついている人を助けることができない無力感に打ちひしがれ私はどんどん無気力になっていった。

心の支えとなるはずの祖父母もまた、怖い存在だった。祖父母は私に対して父と母の悪口を言うことが常であり、遊びに行くたびに母が理不尽に怒られる姿を目の当たりにしていた。祖父母の家に行くときはいつも憂鬱だった。また母の悲しい顔を見なくちゃいけない。またあの怒鳴り声を聞かなきゃいけない。

ある日、いつものように祖父母の家に遊びに行った。予想通り祖父母の説教と悪口が始まった。私はただ俯いて聞いているしかなかった。その日、父が祖父母の説教に口ごたえをしたことで事態は急変した。祖父が怒り狂い「縁を切る」と言って私たち家族は家を追い出されたのだ。祖父母の家を後にする道すがら、私は何が起きたのか理解できずにいた。恐怖と縁を切れた嬉しさが入り混じっていたような気がする。


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