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吐露するための場所 | いいねはなんかいいなと思ったから

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最近の記事

褒められるとイライラする

最近やたらと褒めてくる人がいる。仕事の都合で知り合った経営者。お前は頑張っているだの、その環境で良くやっているだの。尊敬するだの。 そういう言葉を言われる度に、やめてくれ、私はそんなできた人間じゃない。褒められるに値しないと叫び出したくなる。

    • 結婚?しょうもないね

      私ぐらいの年齢になれば周りは結婚・出産。友達からの結婚報告にうんざりする。顔に笑顔を貼り付けて口角を上げて「おめでとう!」と言う。お前らの結婚事情に興味などねぇよ。その度に言われる「nも彼氏作りなよ!nには幸せになってほしい」あぁー鬱陶しい。別にお前なんぞに私の幸せを願ってもらう筋合いねぇよ。そんなこと言ってるお前、クソみたいな恋愛してんぞ。不幸なのはどっちだよ。 結婚して男に養ってもらうなんてしょうもない、彼氏なんていらないと言っていたあの子。彼氏ができた途端にフリーター

      • 人生ってなんだよ

        人生ってなんだ。勝手にこの世に産み落とされて理不尽な苦しみを背負わされ。一般的な幸せすら手に入れることができない。身を粉にして働き、休みが来れば泥のように眠る。誰かと恋愛する気持ちなんて今更ない。友達とワイワイする元気なんてない。 ただ息をして、そこに私がいるということを誰からも認知されずに時間を消費していくだけ。私が頑張って働いた先に何があるというのか。何もない。恋愛だって上手くできない。愛されなかった体験から過度に愛情を求めて自分も相手も苦しくなってしまう恋愛しかしてこ

        • 私は本当に今ここにいますか

          昔の記憶が薄い。人間はストレスがかかるとその時の記憶がすっぽりと抜け落ちたり、記憶がぼんやりするらしい。きっとそのせいでしょう。小さい頃から高校生くらいまでの記憶がほとんどない。成人を迎えてから現在までの記憶もほとんどない…全部やん。 最近は昨日のこともさっきのとことも思い出せない。まるで頭にモヤがかかっているみたいで思い出そうとしても思い出せない。今日何したとか、何食べたとか、さっき何考えてたとか。ストレスが多い時程この症状が現れる気がする。 覚えてる記憶は両親にゴミ袋

        褒められるとイライラする

          壊してください

          私は最近?変な性癖があることを自覚してしまった。病んで病んでドン底まで落ちてしまった時、誰かに無性に傷つけられたくなる。それは言葉の暴力でも良いし、身体的な暴力でも良い。 ドン底のドン底、立ち上がれなくなるまで突き落とされたい。理由は分からない。誰よりも自分が一番暴力が嫌いなはずなのに。めちゃくちゃにされたくてたまらなくなる。誰か壊して。

          壊してください

          頼りにされてる私は偽り

          友達からは頼りになる、nが居るから頑張れるなど言われる。nが仕事バリバリしてるの見て転職したとも言われた。いつもありがとうだそうだ… そんな言葉をかけられる度に思う。その私は偽りで、本当の私はあり得ないくらいに弱い。金曜日は仕事をサボったし、精神科に通院していて重度鬱と診断されている。仕事だってバリバリしているわけではない。ただ自分がやるしかないからやっているだけ。熱意なんてどこにもない。 加えて安月給だ。生活もギリギリで心にも体にもどこにも余裕などない。睡眠薬を飲まない

          頼りにされてる私は偽り

          会社サボった

          金曜日、もうメンタルが限界で会社休んだ。メンタル限界で休むなんて世間ではサボりに該当するんだろうな。だから実質私の休みはサボり。 会社を立て直すために慣れない営業に行って取ってきた仕事。現場からはブーイング。本当にできるのかなんて私が1番思ってる。工場長のアンタにまでそんなこと言われたらどうすればいい。率先して考えるのが工場長の仕事だろ。給料に見合った仕事しろよ。 社長のそばにずっといたはずのアイツ。頼りない役に立たない上司。何年働いてるの?いつになったら使い物になるの?

          会社サボった

          目に見える傷がほしい

          目に見える傷ってさ、例えば骨折したとか、例えば熱が出たとかさ、目に見える不幸のこと。私は昔から目に見えない傷ばかりつけられてきた。心も体もボロボロ。 この目に見えない傷のせいで誰かに相談するとかできなかった。元々自己肯定感が低いのも邪魔して余計にね。まず目に見えなすぎて何から話していいか分からない。そもそも私の話なんか誰も聞いてくれるわけない。でも苦しいのは事実。人前ではニコニコ。心は限界。家族にも話せない。毎晩毎晩胸が張り裂けそうな苦しさに耐えてた。いつか自傷をするように

          目に見える傷がほしい

          本当は前なんて向いていない

          前回の記事で前を向いてうんたらかんたらと書いたが、私は前なんて向けていない。向きたくても向けないのが現状だ。 自分の力ではどうすることもできない現実にぶつかり続けてきた。社会人になっても尚、そんな環境に置かれるとは思ってもみなかった。いや本当は気づいていた。しかし私はそのレールから外れる勇気が無かったのだ。 そのレールから外れるということは家族と縁を切るということ。あんなに恐怖を植え付けられた家族なのに縁を切る勇気がないのだ。 母と離れるのが寂しい。でも私が母を連れて出

          本当は前なんて向いていない

          幼い頃の記憶

          私は幼い頃から、親の機嫌を伺って生きてきた。家では父の怒鳴り声が響いていた。父は気に入らないことがあると怒鳴り、暴力を振るう人間だ。父が帰ってくる車の音がすると部屋に逃げて息を潜めた。 母はそんな父に怯え、毎日のように「死にたい」と言っていた。それと同時に子供たちを守らなきゃという母の強い責任感も感じた。母の苦しみ、覚悟は私にとって重圧だった。母の疲れ切った顔を見るのも悲しそうな顔を見るのも辛かった。母を助けたい、その一心で生きてきた気がする。 学校にいる間中、私はいつも

          幼い頃の記憶