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【祖母の一周忌】全部受け入れて生きていく

こんにちは。ライターの冨田裕子(とみたひろこ)です。

早いもので1年も折り返し地点。
この1年は今までと比較できないくらい、本当にいろんなことがありました。

全くの門外漢からライターの世界へ。

自分の力量のなさから、案件に落ちることも続いた。
また、大舞台で前に出る経験もさせてもらった。
ものすごく活躍している方とも、知り合いになれた。

人生において、こんな激変もそうそうないでしょう。

毎日、同じような毎日を過ごして、必死に生きていた公務員時代とは異なる、高揚感と焦燥感。

常に表裏一体の陰陽の感情や現象。
スピードの速いこの世界で生きていく覚悟。

知らない世界を知るのは楽しい!
と純粋に思っていた、年初とは異なる気持ちもあります。

でも、概ね楽しいです!
基本、単純だし、自分でいうのもなんだけど素直に生きているから。

だから、こんな大変化をもたらしてくれた祖母には大感謝なわけです。
祖母の死から、自分の人生を大きく転換することを決めました。

祖母の他界から1年が経過し、考えていることを言語化してみます。

ウォーキング中にふと思い出す

6月29日

いつものように子どもたちを送り出し、習慣のウォーキングに出発する。

梅雨なのかしら?
と疑いたくなるような晴れ模様。

8時半過ぎにはすでに日差しも強く、ツバの広い帽子がかかせません。

滝汗を流して、最近開拓した新しいルートを辿りながら、
「もうすぐ7月かぁ」
と、1人ごちる。

そして気づく。
祖母の命日を忘れていたことに!!!

最近、息子の体調不良が毎週のように続いていて、お世話や通院、幼稚園とのやりとり、食べられる物は何かと思案していた。

もうすぐ祖母の命日だな。

と週末には覚えていたのに、タスクが増えると忘却の彼方に行ってしまったようです。

息子が元気になり、ようやく登園。
ホッと一息つくも、新しい案件に思考を割く。

スケジューリングを考えたり、
ラボトークの日程を調整したり。

やることは次々と湧いてくる。

それでも、ウォーキングは肩の力が抜けるリフレッシュタイム。リラックスしたら、忘却の彼方から大切なことが顔を覗かせたみたい。

「あー忘れてた!!ばあちゃん、ごめん!!」

ちょうど、よく行く神社の近くにいたので、
神社からお祈りと宣言。

ばあちゃんはいつでも見ててくれている気がする。だって、こんなに心が温かいから。

罪悪感と生きた1年間

1年前はシンガポールに住んでいた。

世の中は、まだコロナが明けきっていなかったので、簡単に国をまたぐのは難しかった。

何より2歳と4歳の子を置いていくわけにはいかない。

「ばあちゃん!!ごめん、私は行けない。
子どもたちとここで祈るね。」
心で唱えた。

ばあちゃんに言うより、自分に言い聞かせてた。そう唱えることで、自分を肯定したかったのだ。
これでいいのだと。

本音は飛んでいきたかった。

ばあちゃんは厳しくも愛情深い人だった。

子どもだって容赦はしない。
ばあちゃん家に行くと、働き手にカウントされる。真面目に働かないと、叱られた。

でもいつだって味方でいてくれた。


強く記憶に残っているのは、小学1年生の夏休み。

夏休みになると、姉と2人でばあちゃんの家に1週間ほど泊まるのが恒例であった。
母は大自然での生活が、子どもたちにいい経験になると考えたらしい。

ばあちゃん家は周りに3件しか家がないほど、超田舎で、自然と田んぼと畑しかなかった。

母の思惑どおりに行けばいいけれど、なかなかうまく行かないのが世の常。

宿題して、農作業を手伝う。
それが日課。

モタモタしていると怒られて、よく泣いた。
怖くて、寂しくて、ばあちゃんの目をかいくぐって自宅に電話した。

「あさがお、咲いてる?」

本当は母に甘えたいのに、そんな言葉しか出てこなかった。
母に、あさがおのお世話を託していたので、それを口実に話したのだ。

「青色の花が1個咲いてるよ。」

自宅で咲くあさがおを想像しながら、それを見つめる母の笑顔を思い出して泣きそうになる。 

後ろ髪を引かれる思いで、電話を切った。
そんな光景を30年以上経った今でも、ありありと思い出す。
相当、強烈な経験だったのだろう。


そんな強いばあちゃんと最後に会ったのは、2度目のシンガポール行きが決まった直前。

「家族で一緒に暮らせるのが1番だよ。
仕事より大事なんだと、ばあちゃんは思うぞ」

今思うと予言めいたことを言っていたけど、ブレない思いは確実に私に受け継がれている。

たくさんの言葉を授け、経験をさせてくれた、ばあちゃんの最期を見られなかったのは本当に苦しい選択だった。

心がずっと整理できなかった。
正直今でも、まだ腹落ちしていない。

『でも仕方ない。
これが最善の選択だった。
でも・・・』

これの繰り返し。

1年経った、私の落としどころはここ。
全部受け入れて生きていく。

ばあちゃんに今、伝えたいこと

ばあちゃんへ

元気ですか?
あれから、1年が経ったんだよ。

信じられる?

あの日も梅の収穫をして、畑仕事をしてたね。
翌日のために梅の仕込みをしていて、明日が来るのを1mmも疑わなかったよね。

まさか、その夜に倒れて、そのまま旅立ってしまうなんて。
誰一人として想像していなかったよ。

幕引きが呆気なさ過ぎて、驚いていたよ。
突然の訃報に、心の準備なんて皆無だったから、受け入れるまでに心がぐちゃぐちゃになった。心が空っぽになったけど、ばあちゃんらしい最期だったと私は思う。

「いつか、ばあちゃんも死ぬから」
直接的な言葉で、よく私たちに話していたね。

いつ、その時が来てもいいようにと、葬儀代を自分で準備し、さらには子どもたち、孫、ひ孫の分のお香典を自分で用意するなんて、アッパレだよ。

生き方がカッコよすぎて、しびれてます。

90歳を超えて、毎日3時間以上も畑仕事をして、内職もして。

「絶対に誰にも迷惑かけたくない!」

その一心で、朝起きたらベッドの中で、手のひらをグーパーしたり、膝や肘を曲げたり、念入りにストレッチをしてたよね。

日々の努力を惜しまなかったのを知っています。

1度はケガをして寝たきりになったのに、「自分の身の回りのことは自分でする!」と自力でリハビリして、最終的には普通に動けるようになるんだから、その本物の精神力を見習いたいと思う。

行動を示し続けてくれたからこそ、私も健康だけは大切にしようと強く心がけています。
たくさんの学びをありがとう。

私はシンガポールから戻り、公務員を辞めました。今は東京に住んで、ライターとして活動しています。

とにかく今に集中して、やれることを行動しているつもり。もちろん、まだまだ成長していくから見ててね。

でも・・・
本当は自分の言葉で伝えたかった。
励ましてもらいたかった。
もっといろんな話がしたかった。

私は、ばあちゃんとの記憶を抱えて生きていくから、私の新しい挑戦を一緒に見てほしい。

私が自分に甘くなったら、あの厳しい口調で諭してください。
きっぱりと道を示してほしい。

いつかは笑って思い出せる日が来るのかな。
先のことは分からないけど、今は涙が流れるままに、傷ついた自分の心を慰めていくよ。

本当にありがとう。
どうかそちらでも元気で。

追伸:じいちゃんや会いたい人には会えた?
そちらでも、ばあちゃんの代名詞でもある、愛情深い剛腕をふるってください。

ひろこより

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