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優先すべきは周りの目線ではない。息子の興味関心が大切!

今日は図書館デー。
わが家は2週間に1度、訪問するのがルーティンになっている。

この図書館に来られることを、息子はとても楽しみにしている。
なぜなら、エスカレーターとエレベーターに乗れるから。


それは、突然始まる。

「ママとエスカレーターにいく!」

そして、そこから飽きるまでエンドレスで移動が続く。
時間にして、30分~1時間。

正直に言ってしまうと、私はイヤだった。
なぜなら、周りの目を気にしていたから。

「母親なのに、静止できてない」
「しつけができていなくて、遊ばせている悪い母親だ」
「みんなが使う物を遊び場にしている」

そんなふうに見られているような気がして、とにかく怖かったのだ。

自分が他人からジャッジされ、母親失格の烙印を押されているよう…

かといって、無理やり止めれば、息子は反抗して癇癪を起す。
図書館は嫌な場所と思ってしまうかもしれない。

その狭間でずっと揺れていた。
そのため、私の暫定解は適度に自由にさせて、その後は半ば強制的に連れて帰っていた。

結局は自分の保身のために……。

周りから白い目で見られないように、息子を諭す素振りも見せたり、以下のような弁明をしたりしていた。

「もうおしまいにしよう」
「あと1周したらおしまいね」

息子より自分を優先していた。
ごめんね、息子よ。

それが、今日は周りの視点が気にならなかった。
なぜだろう……。

それは、息子の好きな理由や様子を理解できたから。

たとえば、息子がエスカレーターやエレベーターに乗りたがるのは、興味関心があるから。それに、好奇心を抱き、ワクワクしている様子が伝わるのだ。

エレベーターが下の階から来る間、透明のガラス扉に近づいて、じーっと覗き込んでいる。

エスカレーターに乗り込むときは、フラットな地面から階段状に突出してくる様子をジーっと観察していた。上手く乗れるようタイミングを合わせて足をのせたり、動く手すりに合わせて体を移動したり。

とにかく、よく観察していることに気づいた。

そこで、息子の目になって、どんな世界を見ているのか想像してみた。

エスカレーターは、見えない階に移動してくれる。
エレベーターはボタンを押すと、乗れる箱がちゃんと来てくれる。
機械が動きながら形を変える。

そんなことに面白さと不思議さを感じているのでは?
と、思ったんです。

息子は遊びを通して、不思議な気持ちを探求していた。

電車好きな子が観察するように。
微妙に異なる色合いを作るために、絵の具を重ねるように。

その分野は子どもによって異なる。

「面白い」と思えるから没頭できる。
「不思議」と思える心は豊かだ。
「体験したい」行動に移せるのはステキなことだ。

そんなことを芯から思えた。

だから、もし誰かから咎められても、

「この子は、エスカレーターが大好きなんです。実際に乗ることで、面白さや不思議さを観察して、体感しています。自分の中にある興味関心の種を育てているってステキではありませんか?私は彼を応援します。」

そんなことを真正面から言いたい。

そんなことを投げかけたい。

なんでも、周りに丁度いい人生ではなく、好きなこと追求していく。そんな没入力を息子から学んだ。

ありがとう。

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