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優しい言葉を発する裏側に、人から認められたい想いがありました。

「優しい人間でありたい」

そう願ってきた私は、人にかける言葉を吟味してきました。

その裏返しは、人から優しくされたかったから。

だから、どんな言葉をかければ角が立たないか考え抜いて生きてきました。
その上、これだけギブしたのだからと、見返りを求めていました。

めちゃくちゃ腹黒くて、打算的ですよね。

自分の本音より、相手にとって耳心地のいい言葉を使う方が骨身に染みて、デフォルトになっていました。

そのおかげで、いい友達と出会った反面、断れなくて仕事が山積みだったこともあります。自分の言葉で疲弊する現実を作り上げていたんです。

それでも変われなかったのは、

・誰かに必要とされたかったから
・人に否定されるのが怖かったから
・自分の意見に自信がなかったから

だから、人にとって耳ざわりのいい言葉をチョイスしてきました。
正解を求めていたんです。外側に。
言い換えると、徹底的に自分を否定する人生でした。

だからでしょうか。

私は自分の意見を言うのが苦手な人間でした。


大学生のとき。
仲が良かったSの家にお邪魔しました。

よく一緒にいたTとYとともに。
3人とも同じサークルの仲間でした。

ある日、Sの家のこたつに入って、おしゃべりに花を咲かせます。私を除いて。

そう、私は彼女たちの会話についていけませんでした。

それは、うまく言葉が出なかったから。

相手にどう評価されるかを第一義にしていた私は、いつも怯えていたのです。

・私の言葉が正解かどうか
・みんなから同調されるか

評価軸を他人に委ねていたので、うまく言葉が出ませんでした。

頭で何度も熟考。
暫定解を口に出そうとするけど、自信がなくて飲み込み続ける。

すると、話そうとするころには話題が変わっていました……

おーつーも話してよ!

そう言われて、

うん

と言うのが精いっぱい。

ただ、聞いている人。
うんうん頷いて、笑っている人。

私っている必要ある?
何しているんだろう…

自分の存在価値が分かりませんでした。
じっと、その場をやり過ごす。
そうすれば、変な波風も立たないし、受け入れられると思っていました。

でも、ずっと心は叫んでいました。

これは違う!
本当の私ではない!と。

8月に事故にあい、徹底的に自分と見つめ直すことにしました。
私はあの事故で、命を落とすかもしれませんでした。

そうすると、ずっとフタをしてきた私の本音が外に出てきました。

・私には意見がある
・他の人の顔色を伺った発言はもうしたくない
・言いたいことを言いたい
・それで、仲違いになったらご縁がなかっただけ
・本音で付き合える人と過ごしたい

今は、自分の本音に正直に生きています。
たとえ家族であっても同様。

だからか、気持ちが穏やかで晴れやか。
いつも幸せな気持ちに包まれています。

ただ、言葉の伝え方は工夫しています。
なんでもストレートに言うと、不用意に相手を傷つけますから。

私のアイデンティティは変わらず「優しい人間」でありたい。

その根底には、尽きることない愛があることに気づきました。
プラスもマイナスも全部受け止める心。
この愛を、言葉に乗せて伝えたい。

これが私の生きる道。
さぁ、あなたはどんな言葉を発しますか?


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