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息子は私の鏡なのか?

毎日、幼稚園の送迎に1時間以上かかっていることに、だいぶ疲れていた。

とくに頭痛に見舞われている日は、注意力も散漫になっている中で、息子を追いかけるのは困難であることを思い知った。

心に余白があれば、見守っていられる。
けれど、私はそこまで人間として成熟していない。

時に苦々しく見つめてしまう自分が嫌だった。

昨日から東京は雨。

昨日と今日の2日間は夫が出張で遅いため、朝も晩も私が迎えに行かねばならない。そんな時に、雨のおかげで車で行ける嬉しさよ。

実際は、車に乗せるまでに30分くらいかかったけれど。それもご愛嬌。

息子のストライダーに付き合わないですむと考えたら、恵みの雨とはこのことかと真剣に手を合わせて感謝した。

それくらい、追い込まれていたことに気づいた。

息子は気が済むまで踏切や電車を見れば、自分から進み出す。

ただ、辛抱強く待てずに

「早く行こうよ」

と言ってしまうと、頑なになり余計に時間がかかってしまう……。

最近は電車が通り過ぎて遮断機が開くと、一目散に踏切内に入り込み、しゃがみこんで線路内を観察している。

電車が遠ざかる様子や、視線の先にある踏切を見るのが好きなのだ。

一方で、私は周りの視線にヒヤヒヤする。

踏切内にとどまったら危ないだろう

なんで子どもに注意しないんだ

そんな言われてもいないことを、脳内で再生してしまう。まだまだ人の目が気になるようだ。

それでも、以前よりはだいぶフラットになっている。

息子は声をかけても、絶対に動かないのを知っているから。

どう思われてもいいや!

息子と私の安全だけは確保して、他の方のご迷惑にならないように、息子の好きなようにさせている。

そんな息子を見て、ふと思ったのだ。

私もこんなふうにして、自由に過ごしていたことを。

独身のころ、私は土日になると風来坊のようにあちこち旅をして回った。平日の仕事があまりにも忙しすぎて、休日で心を調整していたのだ。

そのため、土日はいろんな場所を訪れた。

・友達に会いに県外へ泊まりがけでお出かけ
・ソロ山登りのため、泊まりで遠出
・観劇やライブを見るため遠征

当時の土日は、びっしりと予定が詰まっていて、休養日がまるでなかった。
家にじっとしているのが、性に合わないのだ。

その名残は未だにあって、予定が空いているとどんどん予定を詰め込んでしまう。

外部に刺激を求めているのだろう。

そんな私に、母は

土日はどこに行くの?
家にいるの?
体を休めているの?

と、心配の言葉をかけた。

それでも半ば無視して、私は平日のストレスを免罪符にして、フラフラと遊び回っていた。

きっと母もヤキモキしていただろう。

しかし、黙って見守ってくれていた。
多分、言っても仕方ない、大人だし任せよう、と思っていたのだと推測される。

そんなやりたいことに忠実だった自分を、今、息子が体現してるような気がする。

私は、母の視点を学ぶことになっている。
その因果よ。

よく、思考が現実をつくると言われている。
私の潜在意識にあるマイペースにやりたいことを突き詰めたい想いを、息子が現実化しているのかもしれない。

実際、私はフリーランスになってから、学べるチャンスがあれば行動してきた。
そして今は、行動に加速がかかっている。

もしかしたら、夫も苦々しく思っていたのかな…

そんな想像もしてみた。

私の空想がすべて真実とは限らないけれど、あながち間違いでもなさそうだ。

息子の行動も、もしかしたら私の中に解決の糸口があるのかもしれない。

今は暫定解が出ないから、このまま思考の海に漂うことにする。

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