鴻鵠(おおとり)@私学受験の先生
文学的センスを磨くためには・・・ 【慶應高校の入試問題の傾向とは】
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文学的センスを磨くためには・・・ 【慶應高校の入試問題の傾向とは】

鴻鵠(おおとり)@私学受験の先生

慶應高校の入試問題(国語)を見てみると、大半が文庫や新書からの出題となっていることがわかります。

特に岩波文庫や岩波新書からの出題が目立っています。
例をあげると、
・泉鏡花「鏡花随筆集」(岩波文庫)・・・2021年出題
・志賀直哉「小僧の神様」(岩波文庫)・・・2019年出題
・寺田寅彦「寺田寅彦随筆集」(岩波文庫)・・・2016年出題
・夏目漱石「門」(岩波文庫)・・・2014年出題
・湯川秀樹「本の中の世界」(岩波新書)「荘子」・・・2006年出題

岩波書店以外から出版されているものでは、
・ヒュギーヌス著「ギリシャ神話集」 (講談社学術文庫)
・柳宗悦著「買物」(ちくま学芸文庫)
というような学術的な文庫シリーズから採用されています。

これらの出題傾向をみると、明治・大正時代の「近代文学」が採用されていることが、大きな特徴と言えるでしょう。
また、慶應の塾長だった小泉信三さんの「エッセイ集」から「私と福澤諭吉」(慶應大学出版会)も出題されています。
今後は、小泉信三さんの「読書論」(岩波文庫)や、『三田文学』の創始者である永井荷風などが書いた物が出題されるかもしれません。

実は、「小説」や「純文学」などと言った『物語文』は、とても指導しにくいものです。文学的センスというものは、教えたからと言って身につくものではないからです。
国語の苦手な生徒に、中学入試の対策として、物語文を勉強するように指導したことはありません。
特に、理科系タイプの生徒には、「やらなくていい」とまで言っています。

これに比べ、「論説文」のように、「筆者が、自分の主張や見解を、筋道立てて論理的に説明している文章」は、教えることができます。
なぜなら、そこには、主張を述べるための「論理的な手法」が存在するからです。
西洋音楽が教えやすいのは、「音楽理論に数学的論理性があるからだ」ということを耳にしたことがあります。
西洋音楽には、感性だけではなく、論理性が必要です。
そこには、一定の型や様式が存在しているため、教えることができるのです。
同じ事は、「論説文」の指導にもあてはまります。

では「文学的センス」(文学的感性)は、どのようにしたら身につくのでしょうか。
それは、他人から教わることができないものです。
そこに、近道はありません。
人に邪魔されることなく、長時間ひとりの世界で、一つの作品を集中して読みふけるという経験の中でしか、育むことができないからです。
国語が苦手な生徒に、勉強しないように指導している理由は、ここにあります。それは、小手先のテクニックでどうにかなるものではないのです。

小さな頃から、朝から晩まで、一冊の本を読んでいたというような経験がある子供は、自然と文学的なセンスが備わっています。
そのような子供にとって、本を読むことは、他の遊びと同じで「自ら進んでやりたいこと」です。
同じように本を読んでいたとしても、「先生に言われたから」「親に言われたから」というきっかけで、自主性もなくやっている読書では、このような感覚は身につきません。

自分のことを思い返してみても、「シートン動物記」や「ドリトル先生」に夢中になってしまい、気がついたら部屋が暗くなっていたということは、よくありました。
このような読書は、中学入試対策として、親や先生から言われてやっているものとは、全く異質なものであることは理解していただけるでしょう。

夏目漱石は、納戸の中で南画を見ながら、一人で空想にふけっていたと言います。
何でも管理したがる親の下で、「文学的センス」や「豊かな情緒」が身につくことはないでしょう。
「一人の世界で遊ぶことを容認する」ことこそが、最高の教育と言えるのかもしれません。

まずは、小学生のうちから、岩波新書などを利用して、論説文をきちんと学習することから始めると良いでしょう。それは、大学に行ってからも、専門書を読んだり、論文を書いたりする時に必ず役立ちます。

中学入試では、論説文を攻略することが合否の鍵を握っています。
受験生こそ、岩波新書を読むべきであるという理由は、ここにあります。


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鴻鵠(おおとり)@私学受験の先生
私学受験(中学・高校・大学)に携わって30年以上 進学塾→家庭教師として受験指導をしています。 趣味は読書(古書集め含む)