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「当たり前」を大切にする姿勢 【ソクラテスと孔子に学ぶ】

西洋哲学の祖と言われるソクラテスは、生涯著作を残しませんでした。
彼の言動や人物像は、弟子であるクセノポンとプラトンがソクラテスの死後に書いたものから知ることができます。
プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』によると、ソクラテスが独特な思想スタイルを形成するようになる大きなきっかけがありました。
ソクラテスの弟子カイレフォンが、当時、デルポイにあったアポロンの神託所で「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねました。
ここで「ソクラテスより智慧のある者はない」という神託が下ります。
それを聞いたソクラテスは、その託宣をすぐには信じませんでした。
彼には、一つの確信があったからです。

ひとり神のみが智慧をもつものであって、人間の知恵などというものは、これに比べるなら、ほとんど無にひとしいものである。

『ソクラテス』田中美知太郎著(岩波新書)

同時代の中国には、偉大なる思想家である孔子がいます。
孔子には、思想を進める上で、一つのスタイルがありました。

子怪力乱神を語らず。

『論語』述而篇

怪しいお告げや神がかり的なことは一切口にしなかったのです。
しかし、孔子に信仰心が無かったわけではありません。

子のやまいおもきなり。
子路祈らんことを請う。
子曰わく、これ有りや。
子路こたえて曰わく、之有り。
るいに曰わく、なんじを上下の神祇しんぎに祈ると。
子曰わく、きゅうの祈ること久し。

【現代語訳】
先生(孔子)が病気で病状が悪かったとき、子路は全快を祈りたいと先生に願い出た。
先生がおっしゃった、治癒を願い祈るという先例があるのかと。
子路は答えていった、ありますと。
そのひとの功績を述べて祈る文(るい)には、汝を天地の神々に祈るとありますと。
先生がおっしゃった、(そういうことであればすでに)私は長いこと祈っているよ。

『論語』述而篇

孔子は学問の道を本務としていました。
それは克己復礼であり、言葉より行動実践の誠実さであり、自己修養の道でした。
あくまでも、人としての当たり前の道というものを生涯貫き通したのです。

ソクラテスは神のお告げよりも、誰でも承認できる事実を信じました。
論理は、誰もが納得できる同意と承認の積み重ねが前提となります。
彼は、「市民として立派な人とはどういうものだろうか」という問いかけで、「財政や軍事、外交や民衆指導に優れた人ではないか」と何度も同意と承認を繰り返しています。
同意の積み重ねによる前提条件を問題とし、人間の経験をベースにした帰納的論法を実践したのです。
ソクラテスは、自分より智慧のある人間を見つけ出すことで、神託を反駁することを試みました。
しかし、それは「人間の無智を暴露する」という結果に終わります。
ここで有名なテーゼが出来上がります。
「人は己の無智を知らないが、ソクラテスは自己の無智を知っているが故に、ソクラテスは最高の智者なのだ」という『無智の知』として知られているものです。

人として当たり前の方法である常識的で良識のある思考を養うのは、意外にも簡単な道ではありません。
特に社会経験を積んでいる人ほど、難しくなるのではないでしょうか。
社会経験を積むことで、独善的な常識論や正義をふりかざし、他人を強引にねじ伏せようとする傾向が強まってしまうような気がします。
誰もが納得できる同意と承認を求めるという慎重さよりも、自己の論理を押し通そうとするケースの方が目立つからかもしれません。

ソクラテスは、結論から前提となる条件にさかのぼるという問答法を繰り返しました。
それは、全ての人が納得できる帰結から遡ることで前提を攻撃するという手法です。「根底におかるべき想定ヒュポテンス」を議論の対象としたのです。
孔子やソクラテスは、神に対する崇敬と信仰心を持ちながら、「偉大なる常識家」という姿勢を貫きました。
今から2500年前、古代ギリシャと中国という離れた地域で、同じような方法で思想を深め、真理を求めた人物が登場したという事実が非常に興味深いところです。

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