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学問の道を進む者の心得とは 【『論語』に学ぶ】

子曰く、ゆうなんじに之を知るをおしえんか。
之を知るを之を知るとし、
知らざるを知らずと為す。
これ知るなり。

子曰、由、誨女知之乎。知之爲知之、不知爲不知。是知也。

【現代語訳】
先生は言われた。
由よ、お前に『知る』ということを教えようか。
知っている事は知っているとし、
知らぬ事は知らぬとせよ、
それが知るということだ。
(知らぬ事を知っているとしておくと、ついにそれを知る機会を失うぞ。)

『新訳論語』穂積重遠訳註(講談社学術文庫)為政篇より

孔子は、知ったかぶりをすることを戒めました。
とかく歳を重ねると、見栄が邪魔をして「知らない」と言いづらいのか、自分が知っている蘊蓄などをたれることで、その場を煙に巻こうとしている人をよく見かけます。
「そんなの当たり前だろ」「そんなの常識だろ」と発言したり、思ったりするようになったら、気をつけた方がよいかもしれません。
新しいことを学ぶ姿勢を無くしてしまったら、もうそれは老化の始まりです。

子曰く、徳有る者は必ず言有り。
言有る者は必ずしも徳あらず。
仁者は必ず勇有り。
勇者は必ずしも仁有らず。

子曰、有德者必有言。有言者不必有德。仁者必有勇。勇者不必有仁。

【現代語訳】
先生は言われた。
徳のある人には必ずい言葉がある。
(なぜならば、心中に蓄積された盛徳がおのずから外にあふれ出て言葉となるからだ。)
しかし善い言葉のある人が必ずしも徳のある人ではない。
(なぜならば、言葉はその人の真情から出るものとばかりは限らず、口先のみのこともあるからだ)
仁者は必ず勇者である。
(なぜならば、心にわたくしなく正義を断行するからだ。)
しかし勇者は必ずしも仁者ではない。
(なぜならば、勇には正義によらぬ血気の勇もあるからだ。)

『新訳論語』穂積重遠訳註(講談社学術文庫)憲問篇より

同様に発言についても、慎重な姿勢を貫きました。
『老子』にもあるように「知る者は言わず。言う者は知らず。」というのが、真に知性と教養のある人の態度と言えるでしょう。
何か疑問点があるのであれば、それを書き留める形で言語化し、内的な思索を重ねていく思考の集中が求められます。
このような手間を惜しみ、時間をかけることを厭うようでは、大人のふるまいとは言えないでしょう。

子、怪力乱神を語らず。

子不語怪力亂神。

【現代語訳】
先生は、怪談や武勇伝、乱倫背徳の話や神仏霊験記を語られなかった。

『新訳論語』穂積重遠訳註(講談社学術文庫)述而篇より

孔子は、人として徳のある道を追い求めていたため、世の中を混乱させ惑わすような予言やお告げの類いは全く口にしませんでした。
注目すべきは、孔子が生きていた二千年以上前の時代から、世間の注目を集めるために大言壮語する者や派手なパフォーマンスをする扇動家が存在したという事実です。このような人たちは、いつの世でも登場してくるものであるということが興味深いところです。
怪しげな予言やお告げ、世間の流行などに安直に追従するようなこともなく、自律的に物事を考え、善悪を取捨選択し、善なるものだけを採り入れるようにすることが学問の道にいる人の態度と言えます。
孔子が実践していた人の道は、自己を省み、人の愚かさや弱さを常に考えることで磨きがかかっていったのかもしれません。
何か事を為し、口にするのであれば、最低限の前提として、愚かなことをしない、言わないという自制の心が必要となってきます。
そのような時こそ、学問の力が物を言うのです。

子曰く、われ言うこと無からんと欲す。
子貢曰く、子し言わずんば、則ち小子しょうし何をか述べん。
子曰く、天何をか言わんや。
四時しじ行われ、百物ひゃくぶつ生ず。
天何をか言わんや。

子曰、予欲無言。
子貢曰、子如不言、則小子何述焉。
子曰、天何言哉。四時行焉、百物生焉。天何言哉。

【現代語訳】
先生が言われた。
わしはもう何も言うまいと思う。
子貢が驚いて言った。
もし先生が何もおっしゃらなかったら、私ども門人は何をどころとして先生の教えを伝え広めることができましょうや。
そこで先生が言われた。
天は何か言うかね。
天は何も言わぬけれども、春夏秋冬の四季は時を違えず、
百物ひゃくぶつは日に日に成育する。
天は何か言うかね。

『新訳論語』穂積重遠訳註(講談社学術文庫)陽貨篇より

孔子が、いかに天の道(=真理)というものを追求していたかがわかる言葉です。純粋に追求していたからこそ、怪しげなものを遠ざけたのでしょう。
おのれちて礼にかえる」のが「仁」であるという孔子が貫いた自省の姿勢が教えてくれることは多いです。

誠は天の道なり。
之を誠にするは人の道なり。

【現代語訳】
誠こそが、この宇宙を支配する原理であり、これを具体的に実現することが、人間の務めである。

『中庸』より

学問の道の終極は、天の道を人の道として実践することと言えるかもしれません。
孔子は、「七十しちじゅうにしてこころほっする所に従いて、のりえず。」(為政篇)と言っています。
ここで言う「のり」とは規範やルールという意味ですが、これは天の道や人の道が融合した概念です。
このレベルに達するために、いったいどれほどの思索と修練が必要なのでしょうか。
果たして自分は、七十の齢を超えて、その域に達することができるのか、生涯をかけた挑戦は続きます。

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