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生涯にわたって究めていく読書とは 【W・アーヴィング著『スケッチブック』】

「アメリカ文学の父」と評されるW・アーヴィングが著した『スケッチブック』は、彼の最高傑作と言われています。
その評判は、日本にも轟いており、戦前の旧制中学・旧制高校で英語教材として使われていたほどです。
東大の英文学教授で翻訳家でもあった朱牟田夏雄さんも、その著書の中で『スケッチブック』の一文を採用しています。

文章は典雅で明快、humourに富み、古来、作文の一つのお手本とされた模範的名文である。

朱牟田夏雄著『英文をいかに読むか』

自分がこの本と出会ったのは、中学か高校の頃まで遡ります。
角川文庫版として出版されていたもので、わずか137ページで価格は140円でした。全編収録されていたわけではないのですが、田部重治さんが翻訳されたものです。
その後、2014年~2015年にかけて、上下巻として岩波文庫から34編(全編)を収めたものが相次いで出版されたのを機に、早速買い求めました。
岩波文庫版は、素晴らしい挿絵もふんだんにあり、とても楽しい読み物になっています。
中でも、「イギリスの田園生活」や「ウエストミンスター寺院」は傑作と言えるでしょう。
本作の原文に最初に触れたのは、丸善でした。
それは、ペンギン社から出版されていた『The Legend of Sleepy Hollow and Other Stories』というタイトルのペーパーバックです。
表紙のイラストが良かったので思わず衝動買いしてしまったのですが、「スリーピーホロー」という首無し騎士の伝説は、その後ジョニーデップが主演した映画にもなりましたので、名前くらいは聞いたことがある方も多いでしょう。

このように「スケッチブック」に掲載されている多くの作品は、昔から、日本でも広く愛されてきました。

その中で、今回ご紹介したいのは、「ロスコー」という作品にある読書観、人生観です。

この世においてのみ生きる人々は、
逆境という渋面によって
意気沮喪そそうするかもしれない。
しかしロスコーのような人は
運命の逆境によって征服されるものではない。
逆境は、ただ彼を彼自身の財源へと追いやるだけであり、
彼自身の思想のいっそうすぐれた伴侶へと追いやるに過ぎない。
(中略)
ロスコー氏は周囲の世間と独立している。
彼は古人や後世の人と共に生きる。
読書三昧の幽居の快い交わりにおいて
古人と共に生き
未来の名声を求めて
高邁なる向上心を抱くことにおいて
後世人と交わるのである。
かくのごとく精神の孤独は、
その心の最高のよろこびの状態である。
そうした場合に、
かくのごとき精神は気高い黙想の訪れを受けるが、
この黙想は高貴な精神の固有の栄養物であり、
マナのように
天国からこの世の荒地あれちに送られたものである。
(中略)
純粋な思想と汚れない時間の
無言な、しかも雄弁な友が、
逆境の時には
どんなに親しいものになるかを知っているのは
学者だけである。
現世的なもの一切が、
身のまわりで無価値なものになった時、
これらだけが変わらぬ価値を留めている。

ワシントン・アーヴィング著『スケッチブック』田部重治訳(角川文庫)P.23~25

ほとんど仏教的とも言える深い「内省的」「哲学的」「宗教的」な価値観は、人生の後半を迎えた今読み返してみても、非常に読み応えのあるものです。
むしろ、今だからこそ、より実感できるものと言えるかもしれません。
自分の本棚を見渡しても、10代から20代に出会った本の中で、今なお色褪せない魅力を放ち光輝いているものは、このような深い価値観で貫かれたものばかりです。
これは、自分自身がそのようなことを考える年齢となったことも、少なからず影響しているでしょう。

人生において、希望や救い、生きる勇気を得るためには、深い内省的・哲学的・宗教的な価値観を内包している本と、どれだけ出会えるかにかかっています。
一生の中で与えられている時間は、無限ではありません。
これまでを思い返してみても、尊敬すべき優れた人物たちが薦めている書物をなぞるように読むだけでも、あっと言う間に時間が過ぎ去りました。
「これは!」と思えるようなものに到っては、原文・翻訳・研究文献などにもあたり『精読』することになるので、時間がいくらあっても足りません。
そのような時、先ほどの「ロスコー」にある読書観、人生観に触れることによって、ほっと安心できるひと時が得られるのです。

タイトル画像:
The Sketch Book of Geoffrey Crayon, Gent.
(Artist's Edition)
ROSCOE.

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