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早稲田の古文 夏期集中講座 第12回 源家長日記について Part 2

では実際に入試問題を見てみることにしましょう。早稲田法学部2012年度の問題です。和歌所の人々が平安宮の内裏で花見に集まったところです。まずは定家の歌です。

年を経て みゆきに慣れし 花の蔭
ふりゆく身をも あはれとや思ふ

定家の歌は幽玄体か有心体かを念頭において解釈すべきでしょう。「ふりゆく身」とは何かが一番の問題です。「年を経る」ことと「ふりゆく身」は重ね合わせて考えるべきでしょう。一種の無常観から、「老(ふ)りゆくわが身」と考えて、いつも御幸の時に同じ姿を見せてくれる花の恒常性と老いゆく我が身の無常声を対比したものととらえるべきでしょう。

問一ノニは㋒の…このまま老いていく私のことを気の毒に思ってくれるか、を正解とすべきでしょう。

一方、和歌所の主たる存在である後鳥羽上皇の歌は、「御製」という言葉の後に、

天つ風 しばし吹き閉じよ 花桜
雲と散りまがふ 雲の通ひ路

とあることから、この歌と次の歌に注目しないといけないでしょう。上皇は散ってしまった花を御硯の蓋に搔き集めて、摂政殿(藤原良経)に歌と共に送ったようです。なぜならそのあとに御返し、として歌があるからです。

上皇が摂政殿に送った歌は

今日だにも 庭を盛りと うつる花
消えずはありとも 雪とかも見よ

というもので、盛りの花は今日を限りに散ってしまったが雪のような美しさを花びらは残しています、御覧ください、とでも言いたいのでしょう。上皇は従者に花と御製の歌を持たせて摂政殿の屋敷に向かわせたようです。ここに作者である源家長も摂政殿の屋敷に参上したようです。日記ですから、何の前置きもなく、ただ「参る」とあるのは作者と考えてよいでしょう。

ここで傍線4の解釈が問題となります。「分け参りてこのよしを仲資朝臣もて啓し侍りしかば、出でさせ給ひて、御てづから取らせ給ふ。御返し、

誘はれぬ 人の為とや 残りけむ
明日より先の 花の白雪

最後の和歌が摂政殿の後鳥羽上皇の歌に対する御返しの歌であることは明らかです。

花見に誘われなかった私のために花は散っても白雪の美しさを私に届けてくれたのでしょうか。明日からはこの白雪の花の美しさを楽しめそうです。と言いたかったのでしょうか。上皇の花は今日だけの盛りだったのですよという歌に、明日から盛りの美しさを残した白雪を楽しめそうです、と言いたかったのだと思います。

上皇様から使いを通してとは言え、直接、下賜された花と歌ですから失礼があってはいけません。自ら屋敷の外に出向いていって直接「てづから」受け取りなさったのでしょう。

問一ノ七は㋔の…摂政殿が出ていらっしゃって、御自身でお取りになった、という部分を重視して正解とすべきでしょう。<終>



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