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銀椀裏に雪を盛る 【『碧巌録』第十三則】

擧僧問巴陵。
如何是提婆宗。
巴陵云。
銀椀裏盛雪。

す、そう巴陵はりょうう。
如何いかなるか提婆宗だいばしゅう
巴陵はりょういわく、
銀椀ぎんわんゆきる。

大森曹玄著『碧巌録』(タチバナ教養文庫)

「白銀のお椀に雪を盛る」という情景を表しているためか、夏の氷水を連想させ涼しさを感じさせることから、この言葉は夏の茶会で、掛け軸としてかけられることが多いそうです。
巴陵はりょう禅師の言葉は、詩的で美しいものとして知られています。
提婆宗とは理論仏教の一派です。宗祖の提婆尊者は学者としてだけではなく、雄弁家でもありました。
冒頭に紹介した「僧」は、巴陵禅師の力量を試そうとしたのでしょう。
もし、巴陵禅師が理論仏教の細かい分析的見識を縷々るる披瀝ひれきしたならば、ここぞとばかりに、「禅は言葉ではない。不立文字だ!」とやりこめるつもりだったはずです。
しかし、巴陵禅師はその底意を見抜いていました。
白銀のお椀に純白の雪を盛れば、椀と雪とはそれぞれ別々のものですが、共に白色であるため、見分けがつきにくく、まるで同じもののように見えます。
これと同様に、禅の修行というもの、悟りというもの、そして内面性(=仏性、霊性、聖性)というものは、何の奇をてらうこともなく、あくまでも自然であり、日常生活の中にあって、一挙手一投足、全ての振る舞いに現れている、ということを、この「一言」で表現したのです。
巴陵禅師が表現した世界は、茶道や能楽、華道に通じるものなのかもしれません。
そこには、くだくだしい説明などはありません。
「銀」という硬質で目立たない金属がもつ「永続性」と、
「雪」のように、すぐに解けて消える儚い存在という「無常観」との対比が素晴らしく、まさに「わびさび」の世界とも言える水墨画のような情景が思い浮かぶことでしょう。
これが「きん椀」や「木椀」では、このような世界観にはなりません。
「銀椀」だからこそ、暑さや寒さといった周囲の環境に全く左右されない、
「自己本性のゆるぎない堅牢さ」が表現できるのです。
派手さはなくとも実力がある人のことを「いぶし銀」と譬えるように、磨き上げられた内面性の見事さを表現する時に、昔から「銀」が譬えとして使われてきました。
生半可な悟りしか得ていない禅僧の問いかけに対して、瞬時に「銀椀裏盛雪銀椀に雪を盛る」と返した巴陵禅師の境地が、いかに本物であったかが、この逸話からも知ることができます。
「銀」は磨かないと、すぐに黒く錆び付いてしまいます。
それ故に、常に切磋琢磨していくことが要求されます。
日々のありふれた生活の中に修行があるという禅の考え方は、「銀椀」でこそ表現することができるのです。

「銀椀に雪を盛る」という禅語が表現する世界に思いを馳せる時、ふと幼い頃に読んだ下村湖人の『次郎物語』を思い出します。
自分を曲げず、学校でトラブルばかりを起こしていた次郎は、恩師である朝倉先生が主宰する「白鳥会」に参加します。
白鳥会は、「白、蘆花に入る」という言葉がスローガンとなっています。
これは、禅語にある「白、蘆花に入る」をモチーフにしているのかもしれません。
「蘆花」とは、秋に白い花を咲かせるあしの花のことです。
真っ白な花の中に、白馬(あるいは白鳥)が入ると、同じ白色であるため、見分けがつかなくなる情景を描写した言葉です。

秋の茶会によく掛けられる一軸である。(中略)
白馬は白馬であり、芦花は芦花であり、それぞれ独立した別個の存在であるが、白馬が芦花の波の中に入れば、同じ白色とて両者が一つに溶けあって見分けがつかず、不二ふに一如いちにょとなる。(中略)
風雅な句として鑑賞するにとどめず、せめて茶室における主客の不即不離・不二一如の関係を説いたものととっておくべきであろう。
主と客とはそれぞれに独立した別個の二つの人格でありながら、しかも主は客の、客は主の心を心として互いに和し敬しあい、主客不二・賓主一如の浄土を四畳半内に建立してこそ、『白馬 芦花に入る』や『銀椀裏に雪を盛る』の軸に恥じない茶境というものである。

芳賀幸四郎著『新版一行物』(淡交社)

子供の頃に夢中で読んだ本のことは、どんなに歳を重ねても鮮明に覚えているものです。
このような体験は、その人の一生を左右するほど、大きなものだと言えるでしょう。
『次郎物語』に出てくる「白鳥、蘆花に入る」が心に刻まれていたからこそ、その後に学んだ「白馬、蘆花に入る」や「銀椀に雪を盛る」という禅語が、同じくらいの重さをもって、自らの人生にどっしりと根付きました。
人生に多くの言葉は必要ありません。
多くの書も不要です。
『論語』に出てくる言葉や、『碧巌録』や『無門関』にある禅語のような短い言葉の中に、読み手の人格や価値観を形成する偉大なる力が宿っていることを肌身で感じることは、人生において重要なことだと言えるでしょう。



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