森羅万象の言葉 【H・D・ソロー『森の生活』】
人の言葉がない静寂の中にいないと「自然の言葉」を聞くことができません。人の思いが自然の微かな言葉をかき消してしまうからです。
これは、中国北宋時代の詩人である蘇東坡が残した有名な詩です。
この言葉は、「東坡山谷、味噌醤油」と言われていたほど、日本にある五山の僧たちに愛され、禅語として昔から大切にされてきました。
谷川のせせらぎから仏道の真実の言葉を聞きとることができたのを見ても、蘇東坡がいかに深い霊覚者であったかがわかるでしょう。
この二宮尊徳の和歌を見ると、彼が日々の過酷な農作業の中でも、天地宇宙の法則にしっかりと耳を傾けていたことがわかります。
彼が薪を背負いながら本を読んでいる姿は、学校の銅像などでもよく目にしますが、彼の素晴らしさは、書物だけではなく、自然の言葉からも多くのものを得ていた点にあります。
これを禅門では「無舌の言語」というそうです。
「渓声便ち是れ広長舌」という境地は、無舌の言語を聞くことができなければ、真の意味では理解できないものなのかもしれません。
ソローが言っている「森羅万象の言葉」は、自然の言葉と置き換えてもよいでしょう。
日本人は、昔から自然が発している声に敏感な民族でした。
一枚の葉や風の音を聞くことで、天下の行く末を予見したように、「天地自然は全てお見通しである」ことを日本人は実感として知っていました。
静寂の境地、佳景寂寞とした「わび」「さび」の世界に通じる名歌ですが、これこそ、日本人が世界に誇れる感性の一つと言えるでしょう。
ソローは、アメリカの人ですが、この東洋的世界観をよく理解していました。彼の言動を見る限り、もしかしたら、現代の日本人よりも鋭い感性を持ち合わせていたかもしれません。
私たちも、本来の姿に立ち返るためにも、もっと自然の声に謙虚に耳を傾けるべきではないでしょうか。
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