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第24回 藤原隆信の歌集(1) 【早稲田の古文・夏期集中講座】 

早稲田大学文学部の2019年入試で、歌人・藤原隆信の歌集が出題されました。
藤原隆信の父は、有名な歌人の藤原俊成です。しかし、義理の父でした。
実父は出家していたため、母が俊成と再婚したからです。
母は美福門院加賀です。
2018年の文学部入試では、俊成が亡き妻をしのんだ歌が出題されました。
二年続けて、俊成・定家といった新古今和歌集に出てくる著名な歌人が出題されたことになります。
これを見ても、「過去問学習がいかに効果的か」わかるでしょう。

隆信は、美福門院加賀の連れ子でした。他に兄弟はいなかったようなので、孤独感を味わっていたのでしょう。
母が俊成と再婚すると、俊成との間に、中将成家や定家、さらに妹まで生まれたので、彼の孤立感はさらに深まったようです。
「母とも三年間会えなかった」というような一文も見られるからです。

隆信は、その後、母と再会を果たすのですが、懐かしむ間もなく、母が亡くなってしまいます。
臨終の時になって、やっと母との仲を回復し、死後の供養を約束します。
いよいよ山奥にある法性寺に埋葬することになった時、彼は次のように歌いました。

三とせまで 恋ひつつ見つる 面影を あかでや苔の 下に朽ちなむ

(訳)
三年間もの間、恋い慕っていた母の面影というものを、ほとんど拝見せずに墓で朽ちはててしまうのだろうか。

子供たちは、みな母の喪に服して籠っていたのですが、隆信は「定家はことのほか、母に愛されていたようだ」と書いています。
定家と隆信は、同じ屋敷に住んでいながら、ほとんど顔を合せることはなかったようです。
意思の疎通ですら、和歌のやりとりで行っているからです。

隆信は、定家に向けて、次のような歌を送っています。

数ならぬ 身にだにあまる かなしさは 君をとふべき 言の葉もなし

(訳)
私の悲しみは、ものの数ではないのに、母に愛されたあなたの方が悲しみは深いでしょう。その悲しみに送る言葉もございません、

それに対する、定家の返歌は、次のようなものでした。

墨染めに 同じたもとを やつしても 我をやとへと 思ひ置きけむ

(訳)
(定家も隆信も)同じ喪服でありながら、母は私のことだけを慰めてやりなさいと思っていたのだろうか。二人とも同じではないか。

隆信は、再び、定家の返歌に続けます。

やつれぬる 袖にもなほや まさるらん 思ひ置きけむ 色の深さは

ここでは、喪服の色の深さを見比べて、「同じ喪服でも、母は定家様のことを深く思いやっていたのですよ」と言っています。

春も過ぎ、四月一日になった時、隆信は、定家に歌を送っています。

ことしこそ 惜しまで春を 過ぐしつれ まさる別れに 心くだけて

(訳)
春を惜しんで、いろいろ恒例行事があったのに、今年は母の死でそれどころではなかったですね。

四月二日は「四十九日」だったので、定家からの返歌は次のようなものでした。

過ぎ果つる 名残こそげに かなしけれ 昨日のながめ 明日のほどなさ

(訳)
過ぎ去った思い出こそ、悲しいものです。昨日はもの思いにふけっておりました。明日は早くも四十九日です。

藤原隆信は「似絵にせえ(肖像画)」の名手としても有名でした。
神護寺にある国宝「源頼朝像」「平重盛像」「藤原光能像」といった作品は、『神護寺略記』の中で隆信の作と伝えられています。
日本史の資料集にも出てくるので、見たことがある人も多いでしょう。
近年この説はほぼ否定されているようなのですが、絵がうまかったのは事実だと思います。

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