一簟の食、一瓢の飲。論語の言葉ですが、禅語として禅林句集に採用されています。食べるものも満足になく荒屋に住んでいたのに何故、顔回は楽しそうだったのか?顔回は聖人に至る道を楽しんでいたからだと近思録に書かれています。禅の道も同じです。肥えた豚であるより飢えたソクラテスであれ、です。

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