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3月における愛の証明 (日記)

辞令をもらったとき、ああやっぱりそうなるのねと思った。

ある店舗に応援に行き続けること1週間。応援先の店舗が、所属店舗になった。

応援に行ってきます、と言ったきりになってしまった前の店舗を思う。いろいろなことが、あまりに突然すぎた。

見送られもせず、お別れも言えず、言われず、餞別もなく。それがわたしの異動だった。

新卒で入社して2年間働き続けた店だった。何度も泣いて、それでも優しさをもらって、必死にしがみついてきた店だった。

あのとき、あえて荷物を店に残しておいてよかったと思う。
「無期限で応援」その響きに嫌な予感はしていたから。
「荷物を取りに行く」という理由がなければ店に行けない、臆病な自分をよく分かっていたから。


大阪駅の大丸でお菓子を買う。
お店全体へのぶんと、我らが鮮魚メンバーへのぶんと、同期のぶんと。
おかげで紙袋をたくさん抱える形になってしまった。けれど見渡せば、わたしと同じようなひとがたくさんいた。

ああそうか、別れの季節なんだな。

大丸を出て大阪駅を歩く。ふいに振り袖姿の女の子たちに目を奪われる。
綺麗に結わえた髪に咲く花たち。

ああいいな、いい青春だな。
思わず嫉妬してしまうようなきらびやかな彼女たち。
親友と会うことのなかった私の卒業式を思う。

それから、花束を抱えたスーツ姿のひとがこれまたたくさんいる。

ああいいな、わたしもああいう花束を貰ってみたいな。
明確な別れがなかったわたしの異動を思う。

こんなにも花に囲まれた大阪駅を、わたしは見たことがなかった。
こんなにもたくさんの花が、別れを歌っている。でもその別れには愛がある。私が欲しくてたまらなかった愛が。


「異動が決まったので、挨拶にきました」
「へぇ、異動になったの」
これなのだ。わたしが異動になったことすら店のひとは知らないのだ。

わたしと同じように、応援先から帰れずにそのま異動になった先輩がいた。先輩が異動して1ヶ月ほどたってから「そういえばあの人最近見ませんね」なんて会話があったりする。なんてさみしい。

わたしはそうはなりたくなかった。できることならちゃんとお別れしたかった。もっというなら餞別が、愛が欲しかった。

同期と話して、主任と話して、パートさんと話して。その空間があまりに懐かしくて。

今まであまりに当たり前で、もっというとつまらない日常だったもの。もう自分には関係ないのだと思ったとたん、寂しくなる。

主任とパートさんの何気ない軽口も、仕事のやりとりでさえも。

「あ、長居するのもアレなんで、じゃあ」

我ながらコミュ症の自分を恨む。もっと言いたいこと伝えたいことがあったはずなのに、半分も伝えられなかった。

わたしの2年間が、ぬるりと終わっていく。

これでよかったのだろうか。なんかだめな気がする。手紙でも書けばよかった。話すのは苦手だから。

ああ、花束がほしいな。

そう思って帰りに花屋へ行く。色とりどりの花はとっても綺麗で、胸が締めつけられるほど欲しくなる。

こういうのを、誰かから貰いたかったな。
愛の証明を欲しがる自分がちょっと情けない。

けれど、こんなぬるっとした異動があっていいのだろうか。やっぱりさみしい。

枯れるのを見るのが嫌で、けっきょく花は買わなかった。
かわりに紅茶とケーキを買って、それをお供にこれを書いている。

ああ、やっぱり手紙でも書けばよかったなあ、なんて思いながら。

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