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業界注目のEC事業からの転換、社内起業で、町工場の「ものづくり技術」を繋ぐ〜新潟 MGNET〜

エスイノベーションの大杉です。事業承継をきっかけにイノベーションを起こした企業にインタビューする「地域からはじめる事業承継」 今回は、新潟県燕市の「株式会社MGNET」です。家業の武田金型製作所から独立し、子会社MGNETを設立した武田修美社長。飛躍的な売上を記録した事業を、躊躇無く切り離し目指した「ものづくり」のデザインとは。また、親族承継への想いも語って下さいました。

株式会社 MGNET 代表取締役 武田修美 

2000年 専門学校卒業 自動車メーカー入社
2004年 武田金型製作所入社
2005年 武田金型製作所マルチメディア事業部 設立
2006年 名刺入れ専門店mgnet開設
2011年  武田金型製作所より独立 MGNET創業 
ものづくりの街に生まれて

ー 「ものづくり」の街で育った幼少期

燕三条エリアは、住宅地の中に工場が点在し、独特な雰囲気がありますよね。燕三条エリアには約4000社の工場があると言われていて、当然、周りには、親が経営者という子供たちが沢山いました。みんな、親の仕事を自慢してましたね。「お父さんの工場は、鎚起銅器!洋食器!溶接!」って。でも、うちは工場に行くたびに作ってる物が違う…。「金型ってなに?」「いったいうちは何屋?」いつも伝えられないもどかしさがあり、小さな頃は「金型屋」という家業がコンプレックスでした。

MGNET 武田修美 社長


ー 進学、就職の選択は?

両親からは、家業を継いで欲しいとは言われませんでした。むしろ親戚や取引先の方が「せがれはいつ継ぐのか?」という雰囲気で。仕事が嫌というより、周りから固められる事への反発で真逆を攻めました(笑)工業ではなく商業!専門学校で会計を学び。武田金型製作所が金型を作っていた自動車メーカーの競合社だったトヨタ自動車に就職しました。この選択肢であれば、世間も武田金型製作所の息子は、違う方向に行ったんだなと納得するだろうと…。

武田金型製作所(1978年創業)

自動車メーカーから、家業「武田金型製作所」へ

ー 自動車メーカーでのお仕事はいかがでしたか?

営業を担当していました、ですが就職して2年目に、特定疾患(サルコイドーシス)と診断され。続けて脳の病気が見つかり、余儀なく退職となりました。目眩でベッドから起き上がる事もできず、闘病中は「生きる意味はあるのか」と自分を追い詰める日々でした。実は、結婚を約束した彼女がいたのですが、両家で結婚を破談にするかどうかの話合いが行われていて…。でも、彼女はそれを断ったんですね。母に「彼女は、病気も全て受け入れ、あなたと一緒にいる事を選んでくれたよ」と諭され。ここから「彼女の為にも生きてやる!」と考え方を変えました。すると特定疾患の悪性腫瘍が消滅し始めたんです。

ー 前向きな気持ちは免疫力を高めると言いますが、映画のようです…

その後、父の勧めもあり、リハビリを兼ね武田金型製作所で働き始めました。あれだけ家業に反発するような選択をしてきた私に、両親の優しさを感じました。最初の仕事は、ベッドの上でもできる伝票整理と、父が作ったマグネシウム素材の名刺入れの販売です。外出もままならなかったので、独学でマグネシウムグッズを扱うネットショップを立ち上げました!

初期のマグネシウム名刺入れ

SEO制覇!EC業界からも注目の存在!

ー ネットショップの反響はいかがでしたか?

初年度の売り上げは11個でした…。当時(2004年)は、ECサイトにようやく中小企業が乗り出した頃という時代背景もありますが、父に認めてもらいたい一心で、ここから必死でWEB制作とマーケティングを学びました。

そこで、名刺入れを必要としている人に、名刺入れを届けるという、当たり前の事ができていなかったと気づきました。そもそもマグネシウムの名刺入れを欲しがるマニアックな人は少数派ですよね(笑)すぐに社内にマルチメディア事業部を立ち上げ、「名刺入れ専門サイトmgnet」を開設しました。名刺入れ=男性のビジネスマンという概念を取払い、発想をギフトに変え。サイト開設3年目で「名刺入れ」と検索すると一番最初にヒットするSEOを制覇。広告費ゼロで、開設4年目には月の売上1100万円を達成、3万個の名刺入れを販売し、EC業界でも注目される存在となりました。


ー 目覚ましい躍進ですね!

実は、この時点で問題が…。会社の一部門として、会計処理できないほどの売り上げになってしまっていて。武田金型製作所に内包していくのが難しいと経理から指摘を受けました。金型製造業と、名刺の小売業では、そもそも消費税計算が異なるので、一つの企業が並行して業務を行う限界を迎えていたんです。ここで初めて、父に「名刺入れ専門サイトmgnet」を武田金型製作所から切り離し、起業したいと打ち明けました。

ー お父様の反応は?

「会社を創るなんて甘い世界じゃない…」父からは猛反対されました。起業の苦労を知っている父だからこその本音です。苦労知らずの2代目が会社を潰してしまう…製造業でもよくある話です。だから経営の経験がないまま、将来、武田金型製作所を継ぐことは避けたかった。父が大事にしてきた会社を良い状態で承継する為にも、私には会社経営の経験が必要でした。父を説得し、2011年に株式会社MGNETを設立しました。

2011年株式会社MGNET 設立

ー MGNETでの名刺入れ販売事業はいかがでしたか?

売上は好調でしたが、経営は順調とは言えませんでした。EC事業は、売上が現金化されるのに時間がかかる為キャッシュフローが滞り、債務超過に陥りがちです。ECプラットフォームを利用した場合、利益率にも限界があり。4年連続で赤字となりました。当時、EC業界ではちやほやされましたが、父からは「社長としては良いかもしれないが、経営者としてはゼロ点だ!」って言われましたね。でも父の言葉で、原点に立ち返ることができました。本当に自分がやりたかった事はお金を稼ぐことじゃない。地域に「ものづくり」の可能性を伝えることだと。結果、9割の売上を捨て、EC事業から撤退しました。

ー 名刺専門サイトからの撤退!!!

やるなら徹底してやるタイプなんで(笑)当時、楽天市場では、トップレベルのレビューの高さでしたし、サイトを買わせて欲しいという話もありました。周りのEC事業の方から本気で止られましたね。


ー 事業はどのように変化していったのですか?

「MGNET」を立ち上げた時、社名には「Make Good Networks」というコーポレートメッセージを込めていました。燕三条に「ものづくり」をしたい人を呼び込み、携わる人の環境を整え、仕事への肯定的価値を高める。それには、「ものをつくる」だけではなく、「ものづくり」の価値を理解し、伝え次世代に繋いでいく事が必要です。例えば、一つの製品を完成させるまで、私たちが、職人や工場を選定し、お客様のアイディアを形にするまでをお手伝いしたり。また、地域のブランディングサポートにも力を入れています。「もの・こと・まち」それらの価値や魅力を最大化し、最適化し、よりよい環境をデザインしています。

「ものづくり」作りたいことを形にする自社製品事業
「ことづくり」ものの根本的な価値を見極める商品開発
「まちづくり」街の次世代を担う(ひと)の環境づくりを行う地域資源事業


ー 印象的なサポートはありますか?

「ことづくり」として、初めてブランディングサポートをさせていただいたのが、株式会社中野科学です。金属表面処理を専門とする会社で、塗料や染料を使用せずに、光の干渉現象を利用し、ステンレスを鮮やかな色に見せる技術を持っています。主に、カトラリーや食器、半導体製造装置部品や医療機器などに用いられている技術なのですが、とにかく美しい。この技術が中野科学をきっと違う世界に連れて行くと確信しました。ただ、プロダクト化して量産するのではなく、ナレッジとしてもインカムが生まれるような仕組みを提案させて頂きました。

テーブルウェアブランド「As it is」
インテリア国際見本市「インテリアライフスタイルリビング」ベストバイヤーズチョイス受賞


MGNETのこれから


ー 経営者から見た燕三条の魅力

これだけ、多くの工場がありますから、ストーリーも様々、事業承継の形も、一社として同じ所がないはずです。さらに、燕三条は、尊敬できる経営者が身近に存在します。時に悩んだとしても「答えがない事も答えなんだ」って精神的にも近い距離で、教えてくれる魅力的な地域です。

ー 親族承継への思い

いづれは「武田金型製作所」の事業を承継する事になるでしょう。目指しているのは、ネオ金型業界。この話をすると、いつも母がため息をついて「頼むから普通に商売してくれ」って言うんですが(笑)実は、金型業界は金型レスが進んでいます。金型屋は金型を作るだけが概念でないし、どんな業界も、見方次第で変化を遂げられる時代です。金型が必要なくなるにはどうしたら良いのか?って目線で行けたら面白いですよね。あとは父が認めてくれるタイミングですね。

FACTORY FRONT
燕三条のものづくりが感じられるオープンファクトリー型施設(MGNET拠点)

ー Make Good Networks へ

現在、社員は7名、兼業・副業・学生スタッフも合わせるとメンバーは13名となりました。実は、現在のスタッフで「ものづくり」を希望して入社した人はいなくて。「ものづくり」を意識していない人が、興味を示し変わっていく過程を大事にしています。人類の文明は物を作ることで発展してきました「ものづくり」に貢献する人が地域に沢山生まれることは、社会的意義であり、自分たちの大義でもあります。まずは自分たちが生まれ育った燕三条を起点とし「ものづくり」をアップデートする、多岐にわたる事業を追求して行きます!

小さな頃、家業の「金型」をうまく伝えられなかった原体験が、MGNETの立ち上げに繋がったという武田社長。燕三条がまだまだ秘めいている職人技を、これから、どのように繋ぎ、見せ、伝えてくれるのかMGNETのこれからに期待しています。(エスイノベーション株式会社・大杉りさ)

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