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地域からはじめる事業承継〜佐渡・天領盃〜

新潟には、ものづくり技術、古くからの伝統を受け継いだ企業が沢山あります。ですが、後継者が見つからず、廃業を選択せざるを得ないケースも。私たちエスイノベーション株式会社は、親族以外の後継者を見つける「第三者承継」という新たな選択肢を提案しています。

第1回目のコラムは、事業承継で酒蔵を買収した佐渡・天領盃の加登仙一社長のインタビュー。M&Aで天領盃を買収した時の年齢はわずか24歳。最年少蔵元の誕生は、日本酒業界の注目を集めました。

日本酒の消費量は減少傾向。経営難から事業継続を諦める酒蔵も多い中、なぜ酒蔵を買収したのか。財務の立て直し、従業員との融和、第三者承継で心がけるべきヒント、事業承継から4年目の心境を伺いました。

天領盃酒造 代表取締役 加登仙一  
1993年生まれ 千葉県出身
大学2年生でスイスに留学 
大学卒業後 三菱U F Jモルガン・スタンレー証券に就職
2018年 佐渡・天領盃をM&Aで買収 
24歳で 天領盃蔵元・代表取締役となる

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加登仙一社長



海外からの日本のイメージ=S A K E

日本酒との初めての出会いは、大学生時代の飲み会でした。
その頃の日本酒の知識といえば、「冷酒、熱燗」くらい。飲み方は「罰ゲーム!」ただ酔うための酒でしかなく、日本酒を嗜むという感覚ではなかったですね。

日本人なのに、日本酒がわからない…

日本酒を最初に意識したのは大学2年生の時のスイス留学が一番のきっかけです。当時、ブレイクダンスをしていたのですが、その仲間達と飲んだ時に、お国自慢が始まり。「日本酒って美味しいのか」と尋ねられたのですが、当然、これまでの日本酒との付き合いは罰ゲームだったわけで、全く語れず、ふと「日本酒っていったいどんな味なんだろう」と興味を持った事が始まりです。

早速、帰国後、日本酒バーを探し、マスターおすすめの日本酒(福島県の写楽・純米吟醸・五百万石)を紹介して貰いました。
そこで、日本酒ってこれまで自分自身が思ってきた物とは全く違う、めちゃくちゃ美味しい飲み物だと気がついたんです。これが大学3年生の時です。

販売でも、杜氏でもなく、蔵元になる!

その後、日本酒にのめり込み、あれこれ調べて行くうちに、日本酒業界が斜陽産業と知りました。生産量も減っている、さらに自分と同世代の若者たちの感覚は「美味しくない、二日酔いする、オヤジくさい」日本酒は昔のイメージで止まったまま。こんなに魅力的なのに。どうにかこの美味しさを広めたいと強く思うようになりました。


それには、メディアや販売、色々な方法があったのですが「作りたくなっちゃったんですよね(笑)」自分が美味しいと思えるお酒を造ってみたいと強く思うようになりました。

酒造製造免許の壁

酒蔵で修行から始めたら、自分が作りたい日本酒にたどり着くのに、何年かかるだろう…。だったら自分が社長(蔵元)になるしかない。
でも、酒造免許を取得するには、相当量の生産数が必要で、当時は大学生ですから資金面もゼロ。「酒蔵、作れないじゃん…」これが最初の壁です。今すぐには無理だけど、いつか必ず!そこで、大学卒業後の就職先は、酒蔵の経営者としての「経済や財務の知識」が学べる証券会社を選びました。

異端児だった証券会社時代

「この会社に長くいるつもりはありません」「会社が勧める株を売るつもりもありません」お客様にはこう話していました。まさに取引先の社長さんこそ、起業や経営の大先輩なんですよね。「僕が本当に良いと思うものだけを提案します、その代わり企業や経営の知識を教えて欲しい」と頼みました。お客様には、徹底的に財務内容を分析し、値上がりは緩やかだけれどもパフォーマンスの良い銘柄を提案し、酒蔵を経営する為のヒントを貰って帰るという日々を過ごしていました。

そんなある日、お客様との会話の中で「酒造免許が新しく降りないなら、既存の酒蔵を買えばいいじゃないか!」とアドバイスされ。「M&Aという手があった…」と!
そこからはM&Aの仲介会社に登録し、情報集めに奔走しました。


財務の悪さこそが魅力

M&Aの最終候補として絞り込んだ数社の酒蔵の中で、天領盃は「商品ラインナップが悪い」「販売先が少ない」財務面でも一番業績の悪い酒蔵でした。具体的なところでは、今の日本酒の主流とも言える「純米」や「純米吟醸」がない。販管費、製造原価など財政面の無駄など。余分を減らせば、1年で黒字に転換できると確信しました。裏返してみれば、テコ入れが一番しやすかったのが天領盃でした。


キミ、本当にやるのかね…

前オーナーとの交渉がスタートしたのは2017年5月、23歳の時です。証券会社で働きながら、土日や有給を使い佐渡に通いました。最初は「キミ、本当にやるのかね?」って感じでしたよね…。

資金面に関しては、ほぼ借入で考えていたので、同時に佐渡の北越銀行(現:第四北越銀行)にも通い始める事になるわけですが、銀行には全く相手にしてもらえませんでした!収支計画なんて見ても貰えない。でも何度も通い続けて、融資担当の方が根負けした感じでした。一度だけ応接室に通してくれたんです。ここはこれまでの攻め方じゃ無理だと思い、どうしたら融資が得られる可能性が高くなるのかを直接尋ねてみました。すると「特定有人国境離島振興法」に沿った事業計画や、共同融資案の提案など具体的なアドアイスを貰えたんです。

銀行には銀行で

早速、東京に帰り、日本政策金融公庫と北越銀行に対しての共同融資案を作成しました。僕一人では難しかったので、勤めていた証券会社が連携していた銀行の方にアドバイスを仰ぎました。どう攻めたら佐渡の銀行の融資が下りるのかを、東京の銀行の方と考えたわけです。キャッシュフローを再検討し、有人国境離島法の面では、これまでの天領盃のオーナーは、県外在住でしたので、僕自身が移住することで経営者不在を回避し、M&A資金は離島補助で賄う、今後の雇用拡大などでもアプローチをかけました。

2018年1月
前オーナーから、「本格的にやってみるか!」と声をかけて貰いました。

2018年3月
融資決定。調印式。

大学卒業後に就職した証券会社を1年半で退職しました。

初めて天領盃に通ってから8ヶ月後の事でした。

24歳の蔵元の挑戦

前オーナーから、天領盃ブランドや経営に関して、継承して欲しいという要望はありませんでした。

当時の従業員はリストラせず、14名全員を引き継いでいます。天領盃の場合は、企業としての体制をガラリと変えなければならなかったので、従業員との間には、当然反発が生まれました。大企業は組織の役割がしっかりしていますが、中小企業は、人数が少ない分、従業員の声がよく届きます、裏を返せば、居心地が良いだけの体制で落ち着いてしまう、そこは一番避けたかったところなので。スピード感のあるトップダウンで物事を進めていきました。

経営面では、当初の見通しの通り、財務と販管費の大幅な削減に取り組みました。よって初年度には黒字を実現することができました。設備投資の面では、大量生産向けだった酒蔵の設備を、8割方は入れ替えました。

経営に取り組みながら、2019年の5月からの2ヶ月間は、広島の酒類総合研究所で。その後、広島県の相原酒造でも勉強させて頂きました。2019年の秋からは僕自身が責任者となっての本格的な酒造りをスタート。ですが、当時は失敗する夢をみる日が続き…。体重は8キロ減。初めて仕込んだ「天領盃しぼりたて生原酒」は、残念ながら今となっては、味も思い出せない程です。


雅楽代ブランド


天領盃の新ブランド 雅楽代(うたしろ)デビュー

雅楽代(うたしろ)は僕が新しく作ったブランドです。
雅楽代は、これまでの天領盃のお酒と流通の方法を変えました。問屋を経由せず、酒販店と直接取引する販売です(特約取引店限定酒)。その代わり、消費者と直接取引するネット販売はしません。雅楽代ブランドを理解してくれる販売店をこちらからも選ばせて頂き、特約取引店として繋がりを大切にしています。実は、これまで天領盃の特約取引店はゼロだったのですが、今では23軒までに増えました。当然、利益率も上がりました。

酒蔵としては、既存販売銘柄の絞り込みを行い。普通酒から、商品価格の高い純米酒へとブランド軸を変えた事で、酒蔵としての生産量は減りましたが、利益は今までの天領盃と変わらない設計に移行できています。将来的には全てのお酒をこの流通スタイルに変えていく予定です。

天領盃から雅楽代へ         

僕が蔵元になる前の天領盃は、地元の人達が飲む普通酒の消費と、観光客向けのお土産が売り上げのメインでした。観光客にとっては、天領盃の魅力というより、佐渡のお酒だから買ってみようかという感じですよね。でも、今は天領盃の「雅楽代」を下さいと銘柄を指定して下さる方が増えました。S N Sでも、「雅楽代飲んでみました」とか、販売店さんも「雅楽代入荷しました」とアップしてくれる方が多くて、ブランドが定着し始めています。これは酒造りをしていて嬉しい変化でした。実際、雅楽代は年々売り上げが拡大しています。コロナ禍でも売上は上昇し、お客様がついて来てくれているという手応えも感じています。


事業承継へのアドバイス

最初から上手くいくことはないと思います!M&Aを進めて行くと、必ず見えてこなかった膿が出てきます。予想外の事にうまく対応して行く事。衝突や反発は自分の中で受け入れられる物なのかどうかを見極める、大事なのは反発に流されないこと跳ね除けること。僕は何を言われてもブレずに乗り切る事だけを考えていました。
企業のフェーズが移り変わっていく中で、体制を変える時も来ると思いますが、事業承継の初期段階は、新しく決めた方向性をしっかりと伝え、やり抜く姿勢が大切だと感じます。

従業員の大半は退職してしまいましたが、S N Sで新しい天領盃を情報発信しているうちに、今度は僕の経営や酒造りに興味を示してくれる方が増え。結果、3名が新しい従業員となりました。皆さんIターン!佐渡島外の方です。事業承継の際、前従業員の雇用継続に重きを置くやり方もありますが、働く人が変われば、企業としての血も入れ替わる。経営者が変われば企業文化も変わる、企業の成長には入れ替わりや変化が必要だと感じます。

天領盃のこれから

雅楽代は、留学時代の多国籍な空間からヒントを得ています。コンセプトは「綺麗、穏やか、軽やか」 派手すぎず、むしろ印象は地味でもいい、あくまでも主役は「人」であって、雅楽代を囲んだら、自然と会話が華やぐ、そんな日本酒を目指しました。今後は、天領盃の日本酒を海外に流通させる事も一つのビジョンです、


最後に…。今、留学生時代の僕に戻れるとしたら、海外の友人たちにこう伝えたいです。
「日本酒は、世界一難しくて、世界一複雑で、世界一うまい酒だよ」

加登社長のスピード感のある意思決定。
経営プロセス、日本酒マーケットを捉える判断力。
4年目の天領盃は丁寧で確実なイノベーションを積み重ね
佐渡の地で新たな時を刻み始めています。
(エスイノベーション:大杉りさ)



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