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その27 共同体感覚 アドラー心理学より

 前回、その26「科学的管理法」の中で組織開発に必要な要件として経営層が持つべき視点は「世の中から重要で高尚だと見とれられる目標」であるとゲイリー・ハメルの「経営は何をすべきか」という本から引用しました。今回は、その目標の一案をアドラー心理学から検討してみたいと思います。

アドラーの背景
 アドラーは1870年オーストリアで生まれた医師であり、心理学者でした。ユダヤの家系の中で両親の愛情を受けて育てられました。自身はくる病によって不自由な幼年期を過ごしました。弟の病死や自身の肺病もあり幼いころから医師を目指していたと伝えられています。
 ウィーン大学医学部に入学したアドラーは患者に焦点を当てない大学の講義には興味が持てず、また、当時同学で教鞭をとっていたフロイトの授業も取らず、精神科医としての訓練も受けませんでした。
 フロイトの記事が新聞紙上に載ったことをきっかけに、フロイトと出会いウィーン精神分析協会に参加します。しかし理論上の確執によりフロイトとは袂を分かちます。
 診療医時代の経験から「劣等感」に関する論考を進め、第一次世界大戦での従軍経験から「共同体感覚」を見出し、児童相談所でのカウンセリングや指導を通して「意味づけ」を出発点としたアドラー心理学(個人心理学)の地歩を固めていきました。
 アドラーはアメリカの大学でも教鞭をとるようになり、両大陸で活動するようになりますが、1935年、ユダヤ人迫害が現実的になると家族とともにアメリカに移り住みます。
 
「共同体感覚」
 アドラーは共同体感覚という言葉を残しています。この意味するところは、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」という要素に分解され、さらに根底にある「意味づけ」が重要な鍵になります。いずれの言葉も分かりそうでわかりにくい言葉だと思います。一つひとつ説明に挑戦したいと思います。

「意味づけ」
 「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。我々は自分の経験によるショック―いわゆるトラウマ―に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。」**
例えば、ブログその18でご紹介したラベリングで、私は「虎の威を借りる悪い奴」とされていたようだとお話しました。そのお話で伝えたかったことは、皆さんご自身がラベリングによって苦しむ立場か、苦しませる立場かいずれかに陥っていませんか、という問いであり、人間関係の視点でした。
 同じような経験も人によっては、「自分は苦しんだ。アイツも同じような経験をした方がいい。」や「そんな境遇を経験した自分は、もっと大切に扱われるべきだ。」といった感情を持ち行動する人もいるのではないでしょうか。これが「経験に与える意味によって、自らを決定する。」つまり意味づけです。経験が自分の行動を決めているのではなく、経験に対して自ら与える意味によって自分の行動が決まっていくということです。

「自己受容」
 簡単な言葉で説明するなら、「ありのままの自分を受け入れる」ということです。しかしこれが、最大の難関なのです。例えば優越感や劣等感です。優越感や劣等感は他者比較から発することが少なからずあります。他者比較の優越感は「他者より優れているように見えること」がその目的です。
 学歴、肩書、過去の功績を誇示する、他者を貶めて相対的に自分を上に置こうとするといった優越コンプレックスが代表例です。
 劣等感を補償する手段は克服するための努力なのですが、その結果を見ることを恐れて、あるいは能力不足の露見を恐れて、努力を回避する理由を並べるというのが劣等コンプレックスです。他者比較ではなく、自分自身の理想と比べてより高みに行くため、少しでも多く知識や技術を獲得するために自らの優越感や劣等感を受け止めること、つまり、自分自身の立ち位置や現実を認めることが自己受容であると私は考えています。

「他者信頼」
 他者信頼は、対人関係を作るうえで重要な視点です。常に疑心暗鬼にかられている上司に監視されている状態を想像してみてください。そのような職場に居続けたいと思う人は少ないのではないでしょうか。人は社会的な動物といわれています。他者との関係が無ければ生きていくことが出来ません。 
 生きるための関係性は、互いに他者を仲間として信頼する前提がなければ成立しません。また、信頼関係は上下ではなく水平の関係性であることも重要です。上司と部下や親と子、大人と子供、性差といった一見、固定的に見える関係性は、単に役割や経験、生物学上・自認の違いであり、人としての違いはないと認識する必要があると私は思います。

 蛇足で申し訳ないのですが、人の脳が倹約を好むことをご存じの方もいらっしゃるかもしれません。原因帰属の推測という脳の働きは内的原因から外的原因に拡大しながら原因を特定していくというものです。しかし倹約家の脳は、原因を人のパーソナリティのような分かりやすいところで納得して環境など情報量の多い外的要因の探求には行きたがらないらしいです。
 つまり、関係性を作る第一の原因帰属を見てわかりやすいところ(上司部下、・・・)に終始し、それ以上の情報処理を怠けている状態が水平の関係性を阻害している要因ではないかと考えています。

「他者貢献」
 また、ブログの引用で恐縮ですが、その23でお話した「ジェネラティビティ」は皆さんのご記憶にありますか。大人の発達課題としてキャリア発達理論を著わしたエリクソンが明らかにしたものです。それは「次世代を育て導くこと」でした。これも他者貢献の一つであろうと考えます。他の例としては、子供の成長を見たり、90歳で調理場に立つお年寄りのニュースを見たりすると、私たちは「元気」や「やるき」をもらうことが出来ます。人それぞれの存在自体が他者貢献だろうと思います。

自己受容と他者信頼と他者貢献は円環関係にあります。自己受容は同じように生きている他者を発見して他者信頼(仲間意識)が芽生えます。共同体に所属するためには相手を信頼するという担保と他者貢献という利を示す必要があります。他者貢献をすることで貢献できる自分を受容することになります。

改めて「共同体感覚」が求めるもの。経営論との共通点
 「もしも一人で生き、問題に一人で対処しようとすれば、滅びてしまうだろう。自分自身の生をつづけることもできないし、人類の生も続けることはできないだろう。そこで人は、弱さ、欠点、限界のために、いつも他者と結びついているのである。自分自身の幸福と人類の幸福のために最も貢献するのは共同体感覚である。」
 このようにアドラーは共同体感覚の必要性を説明しています。つまり人が生き続けるためには他者との関係が必要であり、他に利する行動が共同体と個人を守ることにつながると私は解釈しています。

 冒頭で経営層が持つべき視点として「世の中から重要で高尚だと見とれられる目標」が必要であるとお話しました。そして同書の課題2では、「コミュニティ重視の姿勢や企業市民としての自覚をマネジメントに深く根付かせる***」とあります。「共同体感覚」と「コミュニティ重視、企業市民の自覚」この二つ共通項は、他に利する視点であり、相互依存ではないかと考えています。

 続く同書の記述を引用すると「協働を重んじる組織のほうが、高い成果をあげるだろう。ところが従来の企業統治の仕組みでは、上級幹部や投資家など特定の関係者の利益が増進し、その陰で社員や地域コミュニティがないがしろにされるため、えてして利害関係者どうしの対立が深まる。」と記述されており、対立の起点が企業統治の仕組みである可能性を指摘しております。

「共同体感覚」を目標に添える 
 対立するのではなく、協働して高い成果を上げるために私たちは共同体感覚を組織の目標に添えてもよいのではないかと考えています。 

参照:岸見一郎. アドラー心理学入門 (ベスト新書) (p.108). KKベストセラーズ. Kindle 版.
**:参照・引用:岸見一郎 NHK出版 2018. 2023年5月30日第11刷.
NHK「100分de名著」ブックス アドラー人生の意味の心理学~変われない?かわりたくない? (P25、P80)
***:ゲイリー ハメル. 経営は何をすべきか (p.343). ダイヤモンド社. Kindle 版.
 
いかがでしたか、今回はアドラー心理学(個人心理学)から経営の目標を考察してみました。
前回の7月3日から3週ぶりのブログ発信でした、時間が開いてしまったことについてお詫びしたいと思います。この間、アドラーの本を読んだり、OUJの単位認定試験があったりで時間配分がうまくできていませんでした。
 
このブログへのご質問、ご意見は大島(ooshimatomohiro@gmail.com)にご連絡ください。

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