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その18 ラベリング

夢がきっかけ
 今朝、起き抜けの夢で近江町市場と武蔵交差点の記憶がよみがえりました。
 およそ25年前、石川県の金沢に赴任し、数年が経ったときに横浜の本社から上席が訪ねてきました。近くの喫茶店で面談して曰く「大島君は、“A社の大島さん”って言われているよ」と告げられたのです。どういう意味なのか理解できずに次の言葉をまっていると、「A社の立場を笠に着て自社の請負業務担当者に言いたい放題」、要は周囲からの評判が悪いということでした。(A社は、大手電気メーカー)
 金沢での私の仕事は、A社の出先の金沢事務所でA社の立場で通信事業者さまのインフラ整備を行うプロジェクトマネジメントでした。機器設置と調整試験の工程調整、お客様への納入などを担当していました。部長級と係長級のA社社員と金沢で採用したアシスタントと私の4名が事務所に詰めていました。

ラベリングの訳
 当時の組織は、人材ビジネスとそれに紐づく請負案件のパッケージで事業を展開していました。私は入場先のA社内で人材ビジネスの当事者として、請負案件のチームは近隣に事務所を構えて納入機器の調整試験やフィールドワークの業務を担当していました。
 A社は北陸地区以外でも市場を確保し、下請けには他社も参入しておりました。私はA本社で行われるプロジェクト会議に隔週で出席していました。そこで話し合われる地区ごとの進捗や管理面、技術面での課題などの情報を得て、当社の請負業務チームと共有していました。A社からの指示や改善の必要性を伝えていたことが“A社の大島さん”につながっているようでした。

布石
 もう少し記憶をたどっていくと、それは直接のきっかけに過ぎなかったと思えてきました。私は、その数年前から子会社に出向していたのです。出向前は中途入社から8年来の仕事に従事し管理職になって1年が経過していました。他部署の部長から引き抜きがあり、それを断りました。どのような経緯かわかりませんが、電話口で「お前明日から会社に来なくていい、出社停止」と言って憚らない上席のいる部署に異動したいと思いませんでした。おそらくそれがきっかけで「言うことを聞かない生意気な大島」は子会社に出向となり、出向先ではスキルを活かせる業務もなく悶々とした日々を過ごしていました。子会社では余剰人員として持て余されていたと思います。そのようなタイミングで親会社から人員要請があり金沢に赴くことになりました。

 その業務の依頼元である親会社の部署は、もともと在籍していた部署ではなく、知る人もいませんでした。業務を担当していた課長さん、部長さんからはたいした業務説明も適正確認もなく、その業務に投入していきます。当時はそんなことが当たり前だったように記憶しています。
要は、一緒に働く「仲間」や上席との関係性を作ることもなく、金沢の現場で「初めまして」となったわけです。「なんかやらかして子会社に出向させられ、面識もない奴にA社(顧客)面(つら)で指示されたくない」という心情の推測は穿ちすぎでしょうか。

ラベリングの構造
 ラベリングの構造はもう自分自身にもあったと見ています。私は、中途入社以来、通常の賞与とは別に報奨金を受けていました。人事制度が変わってからも、私の給料は、同世代の中でも“優遇”の水準にありました。よい評価を受けている自分自身の言動に問題があるとは思っていませんでした。
中途入社の好評価で高飛車の大島は人事異動を拒み、出向先の子会社では役に立たず、人的関係性を作ることもせず、顧客内に入場すれば虎の威を借りる狐に成り下がった「悪い奴」という姿が形作られていったのでしょう。

もう一つの告知
冒頭の面談の時には、もう一つの告知があったのです。それは子会社に転籍してくれないかということでした。おそらく当時の会社の業績を反映した人事が始まっていたのかと思います。転籍の対象となった理由を説明するため、あるいは、反論をさせないための“悪い評判”と見ることもできます。今の私なら、「評判はわかりました。考課者が不在の職場で、私の職務もご存じない部長は、どのような根拠で転籍の判断をされるのですか」と聞くだろうと思います。
 今朝の夢がきっかけでしたが、こういう風に記憶をたどっていくと「雇用における3つの無限定性」「組織と個人の成長」、「マネジメントとコミュニケーション」など、ラベリング以外でもいくつかの課題が見えてきます。私自身についてもそうですが、組織についても考えなければならないなあと感じています。このあたりの話はまた別の機会に書いてみたいと思います。

ラベリングからの開放
 ずいぶん話が逸れてしまいました。ラベリングに話を戻します。会社の人事に異を唱え流浪の日々から横浜の自社に戻るまでにおよそ8年半を要しました。自社復帰のきっかけは、自社の関西支店での業務でした。

 金沢赴任から3年半を過ぎたころ、私はA社内の人事(正確にはA社から当社に打診があり、管理担当の部長さんか課長さんがOKを出すという段取りになります。)で、金沢から関東に異動し、関東地区でフィールドワークの業務を担当していました。横浜・鶴見にある下請他社の事務所でA社の責任者の立場で顧客折衝、A社内との技術調整・連携、プロジェクトの進捗管理を行っていました。同時期に、A社は関西地区でもインフラ整備事業を獲得し、自社はA社からフィールドワークの業務を下請け受注していました。
そして、鶴見転任から2年が経過したころ、再びA社の社内人事で、自社が下請業務を担当する関西地区の業務の責任者となりました。

 その業務を実施する場所が自社の関西支店内にあったのです。関西支店長は、支店内に常駐しているA社社員の業務責任者とうまく意思疎通を図ることができず、また業務自体も順調とはいえず、従事していた社員は見てわかるほどに疲弊していました。そのような状況を見て当時の取締役が、「大島には敵に塩を送る(競合の会社の為に働く)のではなく、自社の業務を立て直させろ」との号令が飛んだそうです。

 着任してから私は、直ちにプロセスの改善を行いました。交通整理をすると従事者の皆さんも目標に向かって作業ができるようになり、残業も減って、2,3か月を経て山積みされていたお客様からの宿題を解消し、他地区と同等の成果物を納入できるようになりました。

 私は前任者からの引継ぎや業務従事者からのヒヤリングで確認した内容をもとに関西支店長と話し合いを持ちました。支店長に「やり方が間違っているので修正しましょう」と改善を申し入れたのです。支店長からは「お前、A社の立場で前任者のやり方を否定するようなこと言ってもいいのか」「“A社の大島さん“って聞いてるけど、なんか違うな」と言われました。
私自身は、正しいことを正しく行っていると思っていたのですが、金沢の面談から5,6年を経ても”A社の大島さん“は生き続けていたのです。

ラベリングの功罪
 ラベリングは、社会心理学の世界でどちらかというとネガティブな方向の理論として扱われています。私たちが耳にする「レッテル」や「ステレオタイプ」に共通するところが多くあります。東京オリンピック実行委員長の例を引くまでもなく、先入観や固定概念は時に人を不合理、不条理な世界に引き込んでしまいます。

私の視点
 今回サンプルとして挙げた“A社の大島さん”は、コミュニケーションの不足が原因の一つだと見ています。ラベリングを解消したのは、コミュニケーションでした。当時の関西支店長の凄さは、先入観にとらわれることなく話を聞き、行動を観察し、その善悪、良否をご自身の目と耳で判断し、毅然と自社内に発信したところにあると思います。

マネジメントの役割
 私たち、マネジメントとして指導する立場にある人間は、立場の上下や環境の違いを超えて働く皆さんの話を聞く必要があると私は考えています。ミドル、シニア層の皆さんが経験してきた教育・指導が、今の職場で働く人たちに適合しているのか、働く皆さんの話を聴いているのか、振り返る必要はないでしょうか。

付記
 このブログの目的は、成長過程にあった会社の組織や人の様子を記録することで課題を共有することです。私の描く事実はある意味、私の側から見えていたものです。他の人の受け止めとは違っている可能性もお含みおきいただければと思います。
(2024/4/26 大島 智宏)

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