鍵垢村とキラキラの建前とドロドロの本音。続・オンラインサロンウォッチング。

前回の記事、話の甘い点が多すぎて、宗教・コミュニティ・善についての本をパラパラとめくっていますが、こんな複雑な話を素人がまとめられるわけないやろ!と今後の末長いテーマとして一度サジを投げておきます。自分の話の雑魚い部分がわかるの最高ですね📖

オンラインサロン業界をウォッチしていたせいで、箕輪さんサロンが登録者数の非表示にして退会数を隠したんだとか、ムダなゴシック情報を得たりしていますが程々にしておきたい昨今です。

本件については、態度表明をし退会された方は素敵だったけど、問題を深く捉えずに「トラブって箔が落ちたし箕輪サロンに参加してるって言うと恥ずかしいからや~めよ。」程度にしか考えないなら、もったいないなとよそ者の僕は思っています。

さてさて、箕輪さんときたら次はキングコング西野さんだろ(?)と思ったので、Voicy・YouTubeにある音声などを拝聴しているところです。

すると西野さんサロン内で行われてる1つの実験が面白かったので、ショート目に話をしていければと思います。

Twitter鍵垢村

で、その実験というのは、Twitter内でサロン参加者だけが本名・顔出し・鍵アカで相互フォローし合う通称「鍵垢村」です。

なお僕は西野サロンに入会したことはなく、著書も一冊斜め読みした程度のよそ者で当然鍵垢村の実態は見ていないので、以下すべて妄想です。と言っても「鍵垢村」などとTwitter検索をすれば、それなりに参加者達の声が見えてきます。

めちゃざっくりその声をまとめれば「匿名の誹謗中傷や暗いニュースへの愚痴が全然なくて平和だよ〜☺️」ってかんじです。素敵ですね。

みんな価値観が近く、人の顔も見えて礼儀正しい。SNSの悪い面をカットし知らない人達と繋がれる!これぞネットの理想郷なのでしょうか。

大前提として、今SNSにある誹謗中傷・炎上叩き合いゲームは最悪です。

ですが、一方そのドロドロっとした怨念って人間の本音だったりもします。Twitterはその怨念に加速をかける設計になっているのがダメですが、じゃれあい程度に人の悪口を言うことは人の世ではまぁ自然なことです。

そんな「本音」を避け、「建前」の平和な世界を作ろうって虚像がすぎないでしょうか。テキスト版キラキラInstagramって気配もしてきます。学校や職場など、多く集団では基本仲良しだけど、たまにケンカしたり悪口を軽口程度に言うのが通常の状態なはずです。

(もちろん絶対に人の悪口は言わないってできた方もたくさんいらっしゃいますし、僕が育ちの悪い集団にしか属してこれでなかっただけならごめん🙇‍♂️)

そんな社会の建前が嫌だから、ネットでは顔や肩書きを捨てて本音を出していこうよと言われていたのが、昔々ネットに求められていた価値だったはずです。

別に他者へ誹謗中傷はしないけど、マツコや有吉の番組で彼らの毒舌を聞いて笑うぐらいさじ加減を求めているのではないでしょうか。

インスタのストーリーに通常はキラっとした投稿をしつつ、親しい友達設定をした人には愚痴ったポストもしているのを見ると、あぁ俺はコイツと友達だなと思ったりします。

そんな本音を排除した建前の仲良しキラキラ世界の向こうには、いま多くの人が否定しているはずの、事なかれ主義や忖度があるだけです。

もちろん西野さんもその程度のことわかっているからこそ、実験と言ってるのでしょうし、虚像だろうが、今のSNSが荒野すぎるので一度心を落ち着かせる処方箋として有効だと思います。

知性と愛情

最近よく「批判と誹謗中傷は違う!」議論を目にしますが、おおよそ同意しています。

その一方で、正しい批判であればどんな厳しい言葉を投げかけて良いかっていうと悩ましいですし、かと言って相手の意見が異なっても優しく前向きに議論しましょう😄だけでもダメだと思っています。

なぜなら、たとえばセクハラの自覚がないおじさんを優しく説得しても伝わるはずがなく、怒るべき時は怒らないと伝わらないからです。

めちゃくちゃ当たり前の話になってきたのであまり長く書きたくないのですが、過剰な批判も過剰な馴れ合いも正しくなく、知性と愛情が成熟しきれず歪んでいるのが今のSNSです。

・知性の歪み
過剰に怒って批判しまくる。これは正しい話だから誹謗中傷じゃない。

・愛情の歪み
みんな優しく受け入れ助け合うキラキラ世界を作ろう。

つまるところ、みんな知性も愛情も育てて、ドロドロした本音とキラキラの建前をうまいことじっくりコトコト煮込んで美味しいスープに昇華させていくのが理想です。

でも、人は知性か愛情かに偏ってしまうことが多く、その偏りが大きいと歪んできちゃうよねって話でした。

祭りと炎上

そんなSNSの歪みをどうすれば直せるのかわからなくなりつつある現代ですが、もうSNSはダメだと諦めたくもありません。

そこでよく議題に上がるのは、SNSの設計を炎上しづらくしようってやつです。AI判定で誹謗中傷コメントは自動で隠そうとかそういう。SNS各社も最近はよくヘイト・フェイクニュース対策をします!とアピールしています。

ですが、たとえばYahooニュースのコメント欄であれば、AI対策とか言ってないで、コメント欄無くせば良いじゃんと思ったりもします。

またTwitterも炎上が増えるようになったのは、他人同士のリプライがタイムライン上へ流れるようになったからとも聞きます。

つまり今のSNSは、よその会話が可視化することで、人々の交流が見えやすくなって盛り上がったとも言えるし、同時にケンカして石を投げ合っている光景も伝播しやすい設計になっているということです。

noteのコメント欄が半ば隠されるように設置されているのも、こういった点を意識しているからなのだと思います。

SNS各社がどれだけ誹謗中傷対策します!といってもこんな設計を変えないのは、炎上しやすかろうが盛り上がることを選ぶからです。

ニュースメディアがゴシックネタを持ち上げて視聴率稼ぐのと同じで、倫理だAIだと綺麗なことを言いながらも、商売として加熱しやすい設計を捨てることは非常に困難です。

親子と兄弟

SNSの設計が人の単純な欲にだけフォーカスした結果、失敗している中で「鍵垢村」が一定の評価を得ているのはおもしろいです。

SNSは元々現実にある人間関係・社会設計を一度放棄しフラットに均し、全員の関係性を横並びにするところから始まっていたと思います。

でも鍵垢村に求められているのは、反対に昔ながらの親子・兄弟関係です。

親と思想を同じくする人達だけを子と認め、本名・顔出しなどローカルルールを定め、そのルールにならえる人達だけを兄弟とし、外界をブロックした箱庭な世界を構築しています。

友愛社会に見えつつも、ご都合主義というか独善的な同調圧力を感じ、優しさの裏に排他性が見え隠れしてきます。

だからダメって話ではなく、日々石を投げ合ってる世界に比べれば100倍マシなのですが、やはり偏りを感じるので先に書いた通りドロドロもキラキラもうまくブレンドした世界が見たいと思うのでした。

いまインターネットの世界で本音というと、ただの愚痴や批判などを指す言葉になりつつあります。しかし、「建前=善」「本音=悪」なんて単純な式でくくれるものではありません。

本音は決してなまぬるくわかりやすい徳ではない場合も多いですが、深い情熱の元にあります。

本音を愛し、しかし本音で破滅することのない世界にみんなで到達していきたいですね。

僕らがネットで顔や肩書の有無に関係のなく本音で語り合える日は、果たしてやってくるのでしょうか?

こちらからは以上です👋👋

最後までご覧いただきありがとうございました🙇🙇