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100年後の書道を考える

こんばんは、みょん太郎です。

今回は卒業制作をしながら、ふと考えたことを残してみたいと思います。

ご意見ご感想等あれば、SNSのDMからぜひ伝えていただきたいです!



私の立場

高校は芸術課書道コース、
大学は書道専攻所属、現在4年生。

制作が嫌い。
理由は1人の制作は寂しいから。

そのため、書くこと以外の書道の方法を模索し、イベント開催や執筆を通して書道の普及を試みている。

現代の書道

ユネスコ無形文化遺産に登録され、文化の保護はされているものの、人口減少と高齢化社会には逆らえず、筆などの消耗品は右肩上がりである。

また、狭い書道界では流派による上下関係の結び付きが強い。その関係性が公募展での入選率に影響するなど、やや苦しい現状にある。

200年前からみる書道

江戸時代に活躍した僧侶・良寛からお気に入りを1つ、単な解説を交えて紹介したい。

出典)加藤僖一 『阿部家伝来 良寛墨宝』 (二玄社、2007年1月) 

ガタガタと細い、不均一な様に
「自分の方が上手いのでは?」と思う人もいるかもしれない。



ここで、適当に横線を補ってみる。



なんとなくであろうとも、均整が取れていることが伝わるだろうか。
本人は考えず書いているかもしれないが、このバランス間隔は修練しなければ獲得できない。



さらに、視点を文字の周りの空間に着目してみる。



良寛は線を書くと言うより、空間をつくって遊んでいるようにみえる。

筆跡をなぞると、「次はどうしようかなぁ」と口角を少し上げ、筆を踊らせる彼の様子が浮かび上がる。
そんなゆったりとしたときの流れに、私の呼吸も自然と深くなる。

書く過程を自然と想起させてくる文字は良い書だと思う。そして、それを理解するのが鑑賞者の技術だと考える。

この両者の能力のぶつけ合いが楽しい。


100年後の書道

きっと10年後には、デジタル化がより浸透し、書くことが特別な行為になるだろう。
外国人の書道家やAI書道家が出ているかもしれない。

現代ですら筆で書くことが非日常的なものとなってしまった最中、日本文化としての書道はどのように継承されていくのか。

私は今後、書道は文字を書く上手さや美しさではなく、個性を自覚•発揮するための媒体として需要が高まっていくと思うし、そうなってほしいと願っている。

筆を使う意義を問い、
書きにくさから緊張感と没入感を味わい、身体表現の1つとして生まれた字に、
自分らしさを感じられる書道。

ただし、自分の字への価値や評価は自身では気付けない。自分らしさに気付くためには、それを諭してくれる先生が必要である。
私はそんな継承に意識を向けた教育者となりたいし、普及側の仲間を増やしていきたい。

それが人間なのかAIなのかは分からないけれども。


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