100年後の書道を考える
こんばんは、みょん太郎です。
今回は卒業制作をしながら、ふと考えたことを残してみたいと思います。
ご意見ご感想等あれば、SNSのDMからぜひ伝えていただきたいです!
私の立場
高校は芸術課書道コース、
大学は書道専攻所属、現在4年生。
制作が嫌い。
理由は1人の制作は寂しいから。
そのため、書くこと以外の書道の方法を模索し、イベント開催や執筆を通して書道の普及を試みている。
現代の書道
ユネスコ無形文化遺産に登録され、文化の保護はされているものの、人口減少と高齢化社会には逆らえず、筆などの消耗品は右肩上がりである。
また、狭い書道界では流派による上下関係の結び付きが強い。その関係性が公募展での入選率に影響するなど、やや苦しい現状にある。
200年前からみる書道
江戸時代に活躍した僧侶・良寛からお気に入りを1つ、単な解説を交えて紹介したい。
ガタガタと細い、不均一な様に
「自分の方が上手いのでは?」と思う人もいるかもしれない。
ここで、適当に横線を補ってみる。
なんとなくであろうとも、均整が取れていることが伝わるだろうか。
本人は考えず書いているかもしれないが、このバランス間隔は修練しなければ獲得できない。
さらに、視点を文字の周りの空間に着目してみる。
良寛は線を書くと言うより、空間をつくって遊んでいるようにみえる。
筆跡をなぞると、「次はどうしようかなぁ」と口角を少し上げ、筆を踊らせる彼の様子が浮かび上がる。
そんなゆったりとしたときの流れに、私の呼吸も自然と深くなる。
書く過程を自然と想起させてくる文字は良い書だと思う。そして、それを理解するのが鑑賞者の技術だと考える。
この両者の能力のぶつけ合いが楽しい。
100年後の書道
きっと10年後には、デジタル化がより浸透し、書くことが特別な行為になるだろう。
外国人の書道家やAI書道家が出ているかもしれない。
現代ですら筆で書くことが非日常的なものとなってしまった最中、日本文化としての書道はどのように継承されていくのか。
私は今後、書道は文字を書く上手さや美しさではなく、個性を自覚•発揮するための媒体として需要が高まっていくと思うし、そうなってほしいと願っている。
筆を使う意義を問い、
書きにくさから緊張感と没入感を味わい、身体表現の1つとして生まれた字に、
自分らしさを感じられる書道。
ただし、自分の字への価値や評価は自身では気付けない。自分らしさに気付くためには、それを諭してくれる先生が必要である。
私はそんな継承に意識を向けた教育者となりたいし、普及側の仲間を増やしていきたい。
それが人間なのかAIなのかは分からないけれども。
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