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闘病記その9

長い連休ではあった。しかし台風のように過ぎ去っていった。そこらには折れた木の枝や草花が散らかっている。大半の建造物の一部が壊れて、まちは水に浸かっている。まるで谷底に堕ちたような気分ではあったが、今朝は平然を装うことができた。だから彼らは何も知らない。ゴールデンウィーク明けの私でしかないのだ。
いくらか前、少なくとも絶望を絶望として感じることができなかった時期は、外部刺激によってどうにかなっていた。少なくともどうにかなっているように思っているだけであった。すなわち操り人形のごとく快楽を追い求める日々であった。それを追い求めるわけを疑うことができなかった。行きつく先にお利口さんな幸せが待っているという期待があったのだろう。しかし体験だけではどうにもならないことを今は知っている。唯一と言える成長なのかもしれない。よほど期待できる作品でない限り、映画館も美術館もひとりでは訪れないようにしている。せめてそこから得たものを第三者に伝えること。それは創造に活かすことであり、ただ感想を話すことでもある。そこまでがゴールと考えている。そうして今はただ没頭できる物事に費やしている。少し先の未来を見据えて行動する。憂鬱の陰に覆いかぶさらないように。私が何かをする際にその私から脱するように。
没頭する最中でストレスを抱えることに全く問題はない。なぜならそれが次への糧となるからだ。打開すべき狭き道、強敵らが全く見えないままに、ただかたちのない不安を抱えることが絶望への重き第一歩である。そこで立ちすくむな。考えてはいけない。そこからますます深みへはまっていくぞ。動け。すぐにそこを立ち去れ。しかしそれは追ってくる。どうにもならないだろう。逃げる術もなく茫然とするだろう。泣け。どうにもならない自分にすがりつけ。それは己自身がつくりあげた幻想だ。それでも人間は堕ちる。しかしそこでしか与えられない教えがある。準備ができたら他者に打ち明けろ。
絶望から死ぬことは自殺のことではない。それでは永遠に死ぬことはできない。誰かが私の死を知るだけだ。絶望から死ぬことは克服する他ない。
といまは揺らぎつつもそう信じている。

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