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自分でおしまいを決めてしまった祖母へ

現世で死者を思うと、あちらの世界では、美しい花びらがその人のもとに降ると言う。

私の祖母は自分でおしまいを決めてしまった。鬱だった。衰えていく体と、しかしハッキリした思考。
このギャップが恐怖だったようだ。介護施設の慰問に三味線を提げて回っていた祖母は、死にたくても死ねなくなる。いっそ殺して欲しいと懇願する方たちがいるのだと話していた。
体が動かなくなるのが怖かったのだ。

鬱という病で無くなったとそう考えなさいと、菩提寺の和尚様に説法を受けて、それで私たちはいくらか心が救われた。

生前彼女が住んでいた実家の敷地にある離れを、この春父と妹が片付けている。
生前彼女が大事にしていた。宝石着物等は、遠の昔に形見として人手に渡り、今実家を離れた私には、何が残っているのか知る由もないが、珍しく父からの連絡があった。

おばあちゃん、お前とのツーショットの写真をずいぶん大事にしていたようだよ。と。初孫の私はとても可愛がってもらったように思う。世間一般の年頃の女子であった頃、16から19の多感な時に母との関係に悩むことがあるのかわからないが、その当時の私は普通であれという母の思惑にはまるのが嫌で嫌でたまらなかった。好きなファッションは否定された。
ど田舎の街を歩くのにはあまりにも目立ちすぎるとよくを小言を言われたのだ。
そんな私の感性を否定せず、素敵な柄じゃないと褒めてくれた。祖母は、母にとっては大変面白くない存在であっただろう。
当時、私が好んでいたファッションと言えば、和柄の破れたデザイナーズスカート、とんぼ玉で作られた簪。ゴシックパンクと和が融合したようなおおよその普通とはかけはなれたアングラ系であったので、今省みると普通にして欲しい母からすればどうして……と目を覆いたくなったことは想像にかたくない。

ただ、その頃から20年たっているけれど、現在の分別を持って当時にタイムスリップしたとしても私は多分アムラーにはならないし、厚底編み上げブーツは履かない。髪も染めない。
同じように和パンキッシュで簪で髪をまとめる方を選ぶだろう。
だってかっこいいのだ!素敵なのだ!
黒地に紅い蝶が飛ぶやぶれかぶれのスカート。自分の人生の中で思い出せるお洋服って何着あるだろう?
まるで着物の柄のようにはっきりと思い出せる素敵なお洋服。

それを否定せず、どんな洋服を買ったの?とやり取りできる祖母との時間を思い出し、そういえば祖母は着道楽で、嫁入りに持ってきた桐の箪笥を服を詰め込みすぎてパンクさせたことがあるのだったなと思い出す。こんなこと、全世界に言い放って祖母はきっと赤面しているだろうな。

彼女はお洋服が好きすぎて、病院の売店で経理をしていたが、いつの間にか服まで商い出していた。私の大事にしている芥子色のコートや織りの美しい黒のコートは彼女の形見で、今の私にピッタリすぎて、手放せない。

多分本質的に彼女の好きな物と私の好きな物は似ているのだろう。

形見分けする時、あんなに買い漁っていた宝石類が残っておらず、売り払ったか人出に渡したか…!と父や叔父たちが話していたが、ひょっこり3年後に片手分に収まるくらいの宝石の指輪たちが見つかった。あんなに探しても出てこなかったのに、突然に。
オパールと翡翠の指輪を譲り受けたが、これは小さい頃に祖母の宝石箱を覗き見て、大きくなったらきっと私にちょうだい!とお願いしていた品物だった。あ、残しておいてくれたんだ……と、今も指輪を見る度に思い出す。

母は、ほとぼりが冷めるまでお前の手元にきちんと渡るようにとばあちゃん隠してたな。と笑っていた。私が帰省する直前に見つけたものだから、本当にそうかもしれない……。

私が美しいものが好きで、それを商いにするのは彼女の血によるところが大きいのだろうな。

こうしてこの話を書いている間、貴方が読んでくれている間、死後の国があるとしたらきっと彼女の元に美しい花々が降っているだろう。
彼女がどうか、いまやすらかでありますように。

私もあなたのことが大好きでした。

#おじいちゃんおばあちゃんへ
#エッセイ

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