失敗を怖がる子どもとSNSの弊害?

まがいなりにも教育者として、様々な子どもたちと関わってきましたが、その中で特に気になる事が”失敗を極端に怖がる(嫌がる)”子どもによく出会うことです。
失敗というのは自分でもなるべくしたくないと常々思っていますが、失敗を怖がっていてはいけない、失敗をしないと成長することはできない、といったことはよく言われていることです。

もちろん自分が教えている子どもたちにも、失敗を怖がらない人になってほしいと思っていますが、残念ながら、教室やイベントなどで教えた子どもたちの多くにこの傾向が見られました。
会社を作った後では特にこの失敗を怖がる、嫌がる子どもに注目するようになり、なぜなのだろうと考えていました。

今回は、子どもが失敗を怖がる理由をSNSの普及と絡めながら考察し、どうすれば失敗を怖がらない教育法を作ることが出来るのか、あくまで自分なりの推測や考えを入れつつまとめてみたいと思います。

そもそも”失敗を怖がること”は悪なのか

前述では、失敗を怖がることがあたかも悪いことのように書きましたが、一旦立ち止まって考えてみましょう。
何事においても失敗をしない事ほど素晴らしく憧れるものは反論の余地がないほどの事実です。
上の文ではサラッと失敗をしないことは~と書いていますが、今まで述べてきた「失敗を怖がる」と「失敗をしない」には何か違いはあるのでしょうか。
あくまで個人的な意見ですが、「失敗をしない」と「失敗を怖がる」には雲泥の差があるのではないかと思っています。

それは、「失敗をしない」とは、次の2つの事に分類できると思っていて

①ある事柄に対して、すでに操作法や考え方を既に知っているため、失敗を
 しない

②間違いを犯さないように細心の注意を払い、もしものために用意周到な準
 備を済ませているので、失敗をしない(失敗にしない)

になるのではないのかと思っています。
ここで重要なことは、上記の2つにするには、取り組む事柄などについて既に知っている、または予測がある程度付く必要があることです。
1回もしたことない、まったく知らない事について上記の2つのことが成り立たない事は想像に難くないのではないでしょうか。

つまり、「失敗をしない」の領域に達するには、何かしらの経験があり、その経験(挑戦といってもいいでしょう)の中で多少の失敗をしたからこそ、”次はこうしよう”や、”こういった準備をしておこう”といった予測(学習)ができるのではないかと思います。

ここで、「失敗を怖がる」に焦点を当てると、失敗を怖がり挑戦すらしないことで、失敗をしないための経験(学習)そのものができないことになります。
この経験(学習)を行えないことが、「失敗を怖がる」子どもの一番の問題点ではないでしょうか。

しかし、失敗を怖がっている子どもには、失敗をする前に答えや正しいやり方を教えてあげればいいのではないか、との意見もありそうです。
教える側からしても、先に答えを教えた方が効率よく教えることが出来るので、子どもたちにわざわざ失敗をさせなくても答えを教えてあげた方が子供のためにもなるのではと考えそうなものです。

しかし、例えば火を触ったことがない子どもに「火はとても熱いから触ってはいけない」と伝えたとしても、その”とても熱い”の程度が伝わらなければ火の怖さの本質を知ることはできません。
それと一緒で実際に失敗することが、子どもの学習のためには重要なのではないでしょうか。

すこし、話が逸れた気もしますが、結論を言えば「失敗を怖がること」は子どもの成長を著しく止める可能性があるということです。
ですので、教育する立場から言えば、子どもが失敗を怖がらないような学習環境を整えてあげることが重要なのですが、そもそもなぜ子ども達は失敗を怖がるのでしょうか。

SNSの発達が失敗を怖がる子どもが多くなる?

ここからは自分なりの意見で書いており、推測部分が過半数を占めていますので、こういった意見もあるのかー程度に読んでいただければと思います。

今、SNSやネットの普及と発達で、どこにいても世界中のだれとでも繋がれる社会になっています。TwitterやFacebook、LINE、Instagram、YouTubeなど、様々な人の”今”や”状況”を知り事ができるようになりました。

高校までを田舎で過ごした自分にとって、技術の発展で当時と今を安直に比べることはできませんが、当時は勉強やスポーツなどそこそこ優れたものがあれば、「君はこの町で一番だ」や「県でもトップレベルだね」など”狭い範囲での優位性”とでもいうのでしょうか。自分はもしかしたらこの分野で優れているのではないか?や、うちの子どもはこの点で優れているのかもしれない、と「長所の発見の容易性」があったのではないかなと思っています。

しかし、SNSの発達で日本・世界規模の”比較”が可能になってしまったがために「長所の発見が困難」になってしまったのではないかと考えています。

これがどう失敗を怖がる子どもが多くなる事につながっているのかというと、ある方との話でこの話題になった際にこのようなことを聞きました。

それは、自分が「なぜ失敗を怖がる子どもが増えているのですかね?」と聞いたときに
「そんなのは親が失敗を許さないからよ。幼児の時から食べ物をこぼしたり汚したりを許さないんだから」
と話してくれました。もちろんこれが必ずしも正しいかどうかの断定はできませんが、この話を聞いてなぜ、親は子どもの失敗を幼児のころから許せなくなっているのか、と疑問に思いました。

ここからは推測が大きくなるのですが、SNSの発達で多くの利用者が承認欲求を満たすため(ここでただの自慢ではなく、自分の技術や作品等の発表や活動のモチベーション維持などを目的とした発信)に、世界中の優れた”情報”が見れる世界になりました。
これが、自分が小学生や中学生の頃は、例えば100人中で1番のスキルがあれば、承認欲求が満たされたり、周囲に認知してもらえたことが、今ではその対象が広がり、1万人中で1番にならないと承認欲求や周囲への認知が満たされなくなっているのでは。
その様になりつつあるのではないのかと、推測しています。

これの恐ろしいところは、子どもに最も影響を与えるのは保護者であると考えているのですが、保護者が子どもの比較対象にSNSという巨大なコミュニティを使ってしまうことだと考えています。

ただでさえ、2世帯住宅が増えてかつ、共働きが珍しくない今、ゆっくりと子どもと向き合う時間が確保できなくなり”育児や教育の効率化”に注目が集まっている中で、”効率化”の解決手段としてSNSでの比較や情報収集が増えているのでは。そしてより一層同年代の”すごい人たち”が、保護者の中での目標や理想像に無意識になってしまい、それが周りの子はできているのにと子どもの失敗を許容できなくなる要因になっているのではないのかと考えています。

これが、子どもの中で無意識のうちに”失敗をすると怒られる”=”失敗を怖がる”ことに繋がっているのではないのか。たとえ挑戦しても、自分が出来たこととの比較対象が”すごい人たち”になってしまうと、努力しても自分はいまだにこのくらい。。とモチベーションの低下、そして挑戦することは無駄な事、といった悪循環が生じるのではと考えています。

もちろんこれは自分の推測であり、実際に子育てをしたことがない若輩者が言えた立場ではないことは重々承知ですし、SNS上のすごい人たちをわが子の目標にすることも悪いことではないと思っています。

ただ、小学生・中学生ごろまでは、他人を見るのではなく、子ども本人を一番に見てあげる(相対評価でなく絶対評価)こと、結果より過程をほめるなど、行動したことに重視してあげるべきではと考えています。
そして、子ども自身が自分でもできる、少しずつうまくなっているといった達成感(自己肯定感)を持つことが出来て、確立することが出来て初めて、他人との比較に対応できるようになるのではないかなと考えています。

林業型の教育法を目指そう

昔、Webの記事か何かで、「教育分野に一番近い業種は林業である」と書いていたものがありました。
林業は何十年スケールで木の成長管理を行うといいます。
どれだけ苗の状態のものに肥料や水を与えてもすぐに立派な木にはなりません。少しづつ、ゆっくりと、時には剪定をし太陽光をいっぱい浴びれるように、毎日地道に見守る事が、教育分野でも同じように言える事であると纏めてありました。

この林業の話から言えることは、SNS上のすごい人やできる人たちは、子どもであろうと大人であろうと、比較した際にそれは、”大木”になりえるということです。ですので、急に苗木を大木にしようとしてもなるはずもありません。まずは一歩づつ、少しづつ枝の数や葉っぱの大きさを成長させていくしかないのかなと思います。

ですので、今の社会の中では中々ゆっくりと見守る事すら難しいことは分かっているつもりですが、それでも子どもを信じて長い目で見守ることが必要になると思います。
そして伸び伸びと過ごすことができた苗木は、太陽に見守られながら、絶えず枝葉を増やし、時には雨風で傷ついても、その成長を止めることなくきっと立派な”大木”になってくれるはずです。

今回、失敗を怖がる子どもの話から、SNSの普及からくる弊害について自分なりの推測を入れながら記事にまとめてみました。
一つの意見として、ここをの隅にでも留めてもらえると嬉しいです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?