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獅子と春風 2


雨注ぎの響きに耳を澄ますと、外がうんと遠いところにあるような感覚に陥った。庇から垂れ落ちる雨粒が地面に打ち付けられているのを眺めながら義満は物思いに耽ていた。

永和三年、義満はニ十歳となった。去年、己より年嵩の公家の姫、日野業子を娶り子もできたが、産まれたのは女子。しかも産まれてすぐ夭折してしまうという有り様だった。この時代、産まれた子がすぐ死んでしまうというのは珍しいことではない。わずかに生まれた焦りの感情を抑えて、また出来る。お前が己を責める必要はないと妻を諭したのもほんの数か月前で記憶に新しい。

義満としては正直、それよりも気にかかることがあった。

一昨年の秋、乙若が十二歳で元服した。諱は父義詮と兄義満から一字を賜り”満詮”と名乗った。

義満からすれば短いようで長い道のりであったが、それも満詮のことで諸将とちょっとした応酬があったからだった。

というのも、満詮が将軍御連枝ということもあり、一時期出家させるという話があったのだ。将軍の親族が俗人のまま側(かたえ)にいると面倒なことが起きる可能性があるためだ。その話を出したのは頼之を始めとした尊氏や義詮時代を知っている宿老たちで、恐らく過去の兄弟同士での血腥い争いを繰り返させないだろうと、誰も口に出すことはなかったが義満は察した。

もちろん、義満も頼之たちがそのようなことを言う気持ちはわかっていた。義満は尊氏のことは話に聞かされた程度でよく知っているわけでもなく、父である義詮ですら記憶も愛着も薄いがかつてあったことを知っている以上、己ですら懸念する可能性は捨てきれなかった。それでも義満はそれに反対した。満詮自身が、あるいは周りの者が奉じて謀反を起こしたり、争う可能性があったとしても義満は満詮を傍に置いておきたかった。なぜこう思うのかは己の中で上手く言葉に表せない様々な感情が錯綜していたが、そのうちの一つとして確かなのはやはりあの日道誉が言った言葉のせいだろう。

『春王様。弟は宝ぞ。今は弟君を羨ましく思うかもしれぬがやがて貴方の助けとなりましょうや。いついかなる時も弟君を案じ、守ってあげてください』

あの言葉は数年経った今も義満の心根奥深くに刻まれている。当の道誉は四年前に亡くなったが、道誉の言葉は幼心ながら鮮明に覚えていられるほどのものだった。あの時の己は乙若が成長してどんな人間になっても愛されるかと考えた記憶がある。満詮が元服して二年が経つが、今後どうなってしまうかは義満も予測し得ることではなかった。

かつては懸案であったが、今となっては答えに近いものを出している。弟が己の与り知らぬところで何か仕出かしてしまう前にこちらが完全に御してしまえばいいだけのことだ。逆らう気持ちなど起きさせるつもりもない。ただ己に従順になればいいということをわからせる。それだけのことだった。

義満が断乎として反対すれば頼之たちはそれを呑み、満詮も出家することなくめでたく元服となったが諸将を説得するというのは慮外簡単なものであった。

というのも、説得材料として相応しいことが過去にあったからだ。今から七年前、応安三年に満詮は六歳で関東へ下向した。武州本田で挙兵した新田義宗、脇屋義治などの新田余党を鎮圧するためだ。義詮亡き後、幼くして将軍となった義満は統治力も十分になく、その政務の決裁のほとんどを管領頼之が代行していた。その新君に付け入ろうと言わんばかりに動乱が各地が起こった。関東での平一揆の蜂起、直義派余党である桃井直常の挙兵、宇都宮氏綱の離反と挙げてしまえばきりがない。

南北両朝の戦いはいまだ終わりが見えず、特に九州のことは大いに悩みの種となっていた。今後も新田のような残党や南朝勢力が兵を挙げる可能性は大いにある。

実際、去年九州平定のために九州探題として派遣されていた今川貞世が失策により大友や島津が離反するという窮地に陥っていた。そんな中、満詮が九州に下向するという案が挙がったが結局義満の承認を得られず計画は白紙にされた。将軍御連枝で義満の名代としての役割を果たすことが可能であり、その力が強大であるということは大いに周知されることだった。しかし、いくら検討されようが打診されようが義満の許しがなければ実現は不可能であるため求められようが答えることはない。すべては義満の恣だった。


「御所、もう終えられたのですか」

義満がぼんやりと考え事をしていると、しばし辞していた頼之が戻って来た。現れた人物になんとなく居心地が悪くなり、慌てて居住まいを正した。

頼之の言葉を聞いて義満は先刻までやっていた御教書の書付のことを思い出した。花押まで記しているのを確認して義満はとんとんと紙を指してみせた。

「ああ。すべて書いておいたぞ」

義満が幼いうちは頼之が文書発給も代行していたため、執事下知状や執事奉書を発給していた。しかし、義満十五歳の時に御判始を行い、それ以来文書はすべて将軍直状の御判御教書や下文、下知状を発給している。文書自体を書くのは右筆の役目で花押を書くだけだがなかなかに労力を要することで、かつて日々夙興夜寐であった頼之はさぞ苦労したのだろうと同情した。

「それにしてもなかなか雨が止まんのう。これでは紙が湿気で傷む」

頼之が文書を整理している傍で、料紙を指で弄びながら義満は再び外に目を向けた。雨はなおも振り続けており、しばらく止む気配がなかった。梅雨は紫陽花や末摘花など麗しい花が咲く時節でもあるがじめじめと湿気るし、空はどんよりとしていて昏い色をしているし、外には出られなくなるし止んでも地面が泥濘んだりと気に入らないことも多い。

頼之は言葉を返さず、ただ愉快そうに笑っていた。それを見て義満は”今日は”機嫌が良いのだと解釈した。本心からでなくとも、少なくとも”取り繕う”余裕はあると見た。

「なんじゃ。何がおかしい」

「いえ、昔のことを思い出して。かつて似たようなことを仰ってましたから。御所は雨がお嫌いでしたな」

頼之に言われて義満に昔の記憶が甦った。幼少の頃に梅雨になると決まって不満を漏らしていた。先程思ったことをまさに頼之に言っていたような気がした。

「お前、よく覚えているな」

「覚えていますよ、貴方のことですから。忘れるはずがありませぬ」

義詮に実の父としての愛着が薄いぶん、頼之のほうが父として慕う気持ちが強いのだと義満は思っていた。妻の有子とともに血は繋がっていないが、義満に実の息子のように愛情を注いでいた。それは二人の間に産まれた子が悉く夭折しているせいもあるかもしれないが、それでも義満は二人に与えられた愛情のぶんだけ己も同じように情愛を感じていた。

「ああ、そういえば御所は雨でも喜んでいるみぎりがありましたな」

「何のことだ」

義満が追尋すると頼之は思い出したようにまた笑った。

「雨だと弓や剣の稽古をしなくていいと言っていたではありませんか」

そういえば、そんなことがあったような気もする。頼之は普段おおらかで頭の固いどこかの人間と違って融通が利き、冗談も通じるが教養や修練に関しては人一倍厳しいところがあった。特に義満に学問を授ける師の選定が厳格だった。頼之は春屋が推挙した正蔵主や山名が推挙した東寺の澄快を退け、自身が選んだ南都の教司や讃岐の近藤盛政を付けさせた。それに加え、剣や弓矢の鍛錬では頼之が直々に師範となり、ずいぶんと扱かれていた。正直義満からすると早く忘れたいことでもあった。修練での頼之は普段と打って変わって恐ろしいものだった。頼之自身がかつて中国や四国で転戦した過去があり、武弁の修練がいかに大切であるかを身に沁みてわかっているからだろうと義満は思った。とはいっても、未だに義満はできるならそんな状態には陥りたくないと思うのが本音だ。頼之は義満の心の内を知ってか、知らないかの笑みでただ悠然としていた。



「このままでよいのですか」

声に被さるように雨音が激しくなったことに気づいて、義将はわずかに片眉を吊り上がらせた。いつまでも止まない雨と鈍色の空模様は義将の心情を表しているようでいやに気分が悪い。

「良いはずないでしょう」

義将は目の前にいる渋川幸子に向かって言い放った。三条坊門の御所の一角でこうしてひざを突き合わせるのはこれが初めてではなかった。

義将と幸子の関係は長く深いものであった。幸子は二代前に副将軍とも謳われた直義の腹心である渋川義季の娘で前代の御台所であった。義詮との子は夭折していたが、義詮没後に尼となった今も依然として幕府内で権力を発揮し、嫡母として義満と満詮の養育も務めていた。

しかし、頼之が管領に就任してからというものの、幸子は頼之の執政に不満を漏らしてばかりだった。波長が合わないというか、癇に障るところがあるのかいつも”田舎出の不調法者”と誹り、やることなすことに反対していた。

義将はというと、幸子と同じく頼之を激しく嫌っていた。高経が失脚し、越前の所領へと帰ったものの、高経は失意のうちに亡くなり、義将も一年ほどして赦免され戻ってくることができた。しかし、取り上げられた手許に戻ってきたのは越中だけで越前や若狭が返されることはなかった。その上、後窯として据えられた頼之が管領職を返上することもなく就任以来ずっとあの座にいる。なぜ、己よりも家格の劣るあの男が我が物顔で専横しているのか。義将は不可解でたまらなかった。

そうして義将と幸子は共鳴した。反頼之派閥の有力者にはかつて土岐頼康も加わっていた。頼之と激しく対立しており、娘が二条良基に嫁していて他の公家とも昵懇なこともあってか後光厳天皇の譲位問題でも頼之側が皇子の緒仁親王を推すのに対し、義将側は崇光上皇の皇子、栄仁親王を推した。結局、義満が頼之側に就いたこともあり東宮は緒仁親王となったが頼康は過去に頼之と対立して尾張へ隠棲したことがあったが、この時にも美濃へと下向してしまったのだった。すっかり落魄した頼康はかつての権勢も失い、義将たちも頼みの綱とすることはもはや不可能だった。

あの”出来事”からもそう時が経っていなかった。義将が守護を務める越中の守護代が国人とひと悶着を起こし大きな諍いに発展したのだ。国人が逃げ込んだのは頼之の所領である太田保。そこを守護代の軍が焼き払うということが起こってしまった。間違いなく相手が悪かった。当然ながら、頼之は烈火のごとく憤慨し陪臣を下向させて守護代を討つと言い始めたのだ。憤る頼之をそなんとか義満が宥めすかしたことによりその場は取りあえず収まったものの、風聞で関わりのない他の大名たちも頼之、義将それぞれに与して戦を起こすのではないかというのを聞いた。実際、当然のことではあるが頼之と義将の間には一触即発の空気が漂っており、雲行きが不穏当であった。義将からすると、万一戦になっても致し方ないといえるが出来るならこの状況では回避したかった。もし一戦交えることとなっても、”何があってもこちら側が有利に勝てる”状況で臨みたいからだ。相手は歴戦の武者。己も乗り越えてきた修羅場は数多くあったが、断じて油断のならない人物だ。

だからこそ、どうしても成し遂げねばならないことがある。

「大方殿、私はあの男を京から追い出してやりたいのですよ」

義将は平坦な声でそう言い放った。淡々としていて、そこに感情はなかった。

「それは私も同じです。ですが簡単ではないでしょう」

それに頼之は現管領で将軍の育ての親とも呼べる者だ。義満をも懐柔しなければ追い出すことはそう容易なことではない。策が必要だ。

「それはもちろんわかっています。ですが必ずその機はいずれやって来るでしょう。今はその日に備えるのです」

「もう堪えるのは限界です。なにか考えがあるのですか?左衛門佐」

幸子は溜め息を吐いて頭(かぶり)を振った。

「ええ。今はお伝えできませんが然るのちに」

いつもは義満から鉄面皮だの雛(ひいな)のようだの言われるほど義将は感情を表に出すことが滅多になく、表情も変わることがなかった。

少し隙を見せればあっと言う間に足元を掬われるような時世。一顰一笑を容易に出して、心の内を読まれるようではこの世を生き抜くことなど不可能だ。他人は気味が悪いなどと己を嗤うがこれが最も己の性に合っていると義将は思っていた。

義将は一刻も早く頼之を排斥したいと思っているが、それ以上に厄介なのは将軍家だった。義将は義詮を見てそう確信した。高経が失策により、幕府内での諸将による不満は凄まじいものだった。義詮は義将を管領職から解任して高経たちに国に下がってほしい旨を伝えてきた。一見義詮のほうが下手に回っているように受け取ることができ、義将もはじめはそうだと思っていた。しかし、義詮が不意に見せた高経を見下ろす冷たい目を義将は見逃さなかった。頭を下げて必死に弁明する父からは恐らく見えていなかっただろう。それでもほんの短い間に見せたあの光景は若き冠者には有り余るほどの衝撃で今後忘れることのできない記憶となった。

そして義詮は周りの者たちが口々に言うような流されやすく、好悪の激しい人物などではないと分かった。

義詮は最初から見越していたのだ、高経が失脚することを。最初からそのつもりで義将の管領就任を呑み込み、傍観していた。目的は高経との主従関係をはっきり分からせるためだろう。家格では将軍家に劣っていないと言う高経を思い上がらせないために。義将は齢十六で真の恐ろしさというものを知ったのだ。

それ以来、義将は感情を表に出すことをやめた。笑う姿も悲しむ姿も動じる姿も余人に見せれば真性を悟られてしまいそうだからだ。

義満は嫡子頼氏の血筋で将軍家の人間、己は庶子家氏の血筋で傍流の人間。それは今後も揺るがない事実でそれをどうすることもできない。しかし、主君といえどあの男の好きなように弄ばれるのは御免だとそう思った。

手綱を曳くのは此方だ。飼い殺しなどなってやるものか。むしろ飼い慣らしてやる。

病で床についてもなお高経は幕府への恨みを吐いていた。そして義将に言った。”己の無念、お前が晴らせ”と。義将はかつて父の行動に不信を抱いたことはないが、今では親の言うことに従って間違いはないと信じているし、父は間違ったことをしていないと思っていた。

しかし今となって義将は父親の言葉以上に己の野心を成就させることのほうが大事だと思った。義将の心は業突く張りの修羅に支配されていたのだ。

(まこと、この世はままならぬものよ)

先刻まで激しく打ち付けていた雨はいつのまにか止み、暖かな光が差し込んでいた。




夕方になり、満詮は兄のいる三条坊門の御所に入った。

昼頃まで激しい雨が降り、一旦止んだが暫くしたのちに再び驟雨が降った。雨が止むのを待って再び降り出さないのを確認して武者小路の小川第を出たのだった。

煌々と道を照らす夕陽は美しく、これを見ることができるため馬の脚を取る泥濘を除けば雨上がりの外出は嫌いではなかった。

通された間でしばらく待っているとやがて義満がやって来た。

「お前が斯様な時間に来るとは珍しいな」

「ええまあ、私も来たくはなかったのですが行かないと後が怖いものですから」

満詮はあっけらかんとした口調で言った。臆せず物を言うところは一つ間違えれば相手の勘気を蒙ってしまいかねないが不思議と満詮にはそういう気にはならない雰囲気があった。

「どうせまた母上だろう」

「お見事、よくわかりましたね」

「わざわざお前が来て伝える用件などたいがい検討がつくからな」

「わかっているならお会いしてあげればいいのに」

「余もそう頻繁に会えるほど暇ではない。母上もわかっているだろうに」

満詮がわざわざこの時間に伝えに来た用件というのは生母の良子のことだった。

義満は長く良子と離れてくらしているのだが、良子は親心ながら息子のことを甚く気にかけていた。そこで二人の架け橋となるのが満詮であった。小川第で良子とともに暮らしている満詮は義満と顔を合わせる機会も多いため、逐一義満の様子について聞いてきたり義満に小川第に来るように伝えてほしいと頼んだり、時には己の方から御所へ会いに行くと言ったりと少々手のかかることが多々あった。

「もう余も童ではないと言うのに。なぜそんなに気になるのかわからん」

「親というのは子がいくつになっても心配なものなのですよ」

「なぜお前にわかる?」

「さあ?なんとなくです」

当たり障りのない応酬に義満は眉間を押さえた。満詮が適当な物言いをするのはこれに限ったことではないのだが、無駄に説得力を感じてしまうから困る。

「母上も大方殿や細川局殿にたまにお会いしているんだからそれで十分かと思うのですが」

「お前からも言って聞かせれば良いではないか」

「母上が言って聞く性分だったら私は今ここに来ていませんよ」

満詮の言い分に言い返すことも出来ず義満は押し黙ってしまった。他の人間ならばこんなことはないのに、満詮を相手に話をするとどうしても雰囲気に取り込まれてしまいそうになることがあった。

「そういえば武州にも会って話をしたいとも言っていましたが」

「際現ないではないか」

「だから困るんですよ。あ、でも暫くは無理でしょうね。”あのこと”が落ち着くまでは」

満詮の言葉で義満の眉がぴくりと動いた。まさに”思い出さないようにしていたことを思い出してしまった”と言わんばかりの顔をしていた。

その悩みの種というのは、今月に起きたばかりの越中守護代と国人勢力の武力衝突のことだった。所領における問題というのはいわく単純なものではない。しかも荘園を燼滅させられたとなればさらに収めるのが困難となる。斯波と細川が一触即発で周りの大名もそれに乗っかろうとしているという風聞は義満の耳にも入って来ていた。恐らく満詮も知っている。義満からすれば合戦など起こされるのはたまったものではないし、何としても鎮静させなければならない。よくもこんな厄介なことを引き起こしてくれたなと胸の内で悪態をついた。

「兄上も大変ですね。こんな面倒事の尻拭いをさせられて」

「まったくだ。世の中頭の足りん莫迦ばかりよ」

「ですがここまでやってのけられるのは兄上だからでしょうな。私には到底斯様なことはできませぬ」

「何じゃ、藪から棒に。わざとらしく言いおって」

「思ったことを言ったまでです。日々将軍の務めを果たしている兄上はかくや立派なのかと感心しているのですよ」

満詮の柔和な笑みが夕陽に照らされ赤く染まった。思えば、性格は正反対ではあるが同じ母から産まれた兄弟あってか己らは顔はわりと似ているのではなかろうか。円やかな輪郭に垂れ目と一見すると穏やかそうな顔立ちだが義満は周知の如く真逆の気質だ。対する満詮は概ね似ているものの、少し眉がきりりと上がっていて目も大きい。義満よりわずかに凛々しい顔立ちのため、満詮の容姿に心惹かれる女も少なくなかった。

満詮の性格は言ってしまえば人畜無害である。別の言い方をすれば、行雲流水、気宇壮大、春風駘蕩。穏やかな性格で感情を表に出すことがあまりなく、昔に比べれば話すようになったが口数が決して多いわけでもなく、何を考えているのかわからないところがあった。感情を表に出さない男は義将もそうだが、満詮は義将とは違って相手に威圧を与えるところはない。義将に比べるとかなり心象をよく持たれるだろう。

だが、たからといってお人良しだとか阿呆というわけでもない。むしろ何を考えているのか分からないからこそ兄である義満でさえ恐ろしく感じることがあった。罠があろうがかかったと相手に思い込ませておいていつのまにかいなしているようなところがある。まさに”柳に風”といったところだ。

「兄上」

いつのまにか義満は満詮の顔を見つめていたのか、満詮は訝しげに見つめ返してきた。

「私の顔を妬んでも、何にもなりませんよ」

「何の話だ」

満詮はむふむふと笑って自信満々に言った。

「私が美男だから妬んでいるのでしょう」

「何だそれは」

「だってずいぶん私の顔を見ていたから」

「…まあそういうことにしておいてやる」

前言撤回。お人好しではないかもしれないが阿呆ではあるようだ。

「そういうこととはどういうことですか。放下著ですよ放下著。執着を捨ててなにものにも囚われずに生きるのが一番です」

「お前は実に能天気でいいな」

「どういう意味です?」

執着を捨てる、か。

義満は満詮の言葉を反芻した。義満自身はできるだけ考えないようにしていたが、諍いの火種となる可能性がありがら弟を出家させるという案を跳ね除けて手許に置こうとするのも、そんな気を起こさせないように従順にさせようとするのも結局己が弟に執着しているからではないかと思った。

そのわけは、幼き日に見た赤子の姿のせいか、それとも道誉から説かれた言葉のせいか。それともそのどちらでもないのかは今となってはわからない。

(…まぁ、もうどうでもいいか)

どうせ弟を縛ることができるのは己だけなのだから。この何ものにも囚われることのなさそうな男が悩むこととなればそれもまた見物かと思うのは兄として是か非はもはや及ばなかった。


満詮は夕陽に照らされる己の兄の顔を見た。よく中身は似ていないと言われるが、顔立ちはわりと似ているのではないかと思っていた。改めて見てやはりそうだと感じた。

兄に似ているところがあるのだと思うと満詮は嬉しくなった。兄は高潔な人だ。いつも堂々としていて、己が決めたことなら周りが何といおうが構わず突き通す。そんな兄のことを中には不遜だとか尊大だとか言う人間もいるのだろうと思った。だが、それでも満詮は兄のことが好きだった。

『乙若様。兄は鑑ぞ。何があろうと兄を敬い支え、尽くすのです。きっと春王様が大きくなり大君となった後もこの方に従って間違いはないでしょうから』

満詮は何度目か分からない言葉を回顧した。あの時の己はとても幼く、言った本人の顔ですらあやふやなほど他の記憶はまともに覚えていなかったのになぜかこの言葉だけははっきりと覚えていた。昔はほとんど言葉を発することもない引っ込み思案な童だったが、あの時何かを言おうとして結局何も言えなかった記憶がある。

いつも兄に苛められて泣いていたが思い出せばあれ以来それも止まった。兄も言葉をかけられていたから同じようになにか感銘を受けたのかもしれない。

あの言葉は自然と己の中に刻み込まれ、無意識のうちにこの通りに生きていたように感じる。

兄は実に立派な方だ。己が兄の立場でなくて良かったと心から思える。己どころか、他の誰にもできないことを兄は成し遂げることができるだろうから。己はというと、面倒を嫌って出来る限り労力を使わないことを選択して生きる性分だ。だからそういう考えた方は兄とは決定的に違うが、それでも傍にいて持てる力で支えていきたいとは思う。

満詮は義満の考えていることをわずかだが感じ取っていた。己が何かあれば手強い仇となってしまう可能性がある故に飼い慣らそうとしているのではないかと考えたことがある。

それもよいだろう。どんな形であれ兄から与えられるものは甘んじて受け入れる。それが満詮の生き方だった。

(…兄上、私は気楽ではありますが能天気ではありませんよ)

伝えたいことを声にも出さず満詮はただ胸の裡に留めた。夏のうら寂しい晩光はすぐそこまで訪れていた。


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