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スポーツの祭典、オリンピック。
そのオリンピックで、最も華やかな時間の1つは、
メダル授与の瞬間だろう。
特に金メダルは、多くの人が羨望のまなざしを向ける。

競技を通して、1位となった人に与えられる金メダル。
その競技における、世界の中の頂点だ。
才能に恵まれ、努力を重ね、そして手にする金メダル。
競技者の中の1人にのみ与えられるメダルになる。

会社という組織も、スポーツ競技と似ているところがある。
会社のトップは社長になる。
社長になるには、出世レースを勝ち上がらなければならない。
社長の椅子は、たった1つ。
そこを目指す者たちは、努力を重ね、能力を磨き、
成果を上げ続けなければならない。

競技者やサラリーマンの目の前に用意された、1つの階段。
トップを目指そうとするなら、それを上らないといけない。
上を目指すのは、もちろん自分だけではない。
多くの人が、目の前の階段を必死にのぼり続けることになる。

階段をある程度のぼると、誰もがあることに気づく。
それは、上を目指せる人の数は、どんどん少なくなるということだ。

スポーツ競技で言えば、地区大会を勝ち上がらなければ、県大会に出ることはできない。
会社では、係長に昇進できなければ、課長にあがることはできない。
上ればのぼるほど、階段の数は減り、狭き門になる。
これはスポーツや会社だけにとどまらない。
何かで賞を取りたいと思う時。
番組の司会者など、数少ないポストを得ようと思う時。
そんなすべてにおいて、目の前に階段があらわれ、
特定のルールや基準のもとにレースが行われ、
最後まで勝ち残った者にのみ、金メダルやポストが用意される。

ここで、ふと思う。
その勝ち残りレース、すべて「誰かがつくったルール」のもとで行うものだよな、と。

自分ではない誰かがつくった、価値観や判断基準。
それに自分をあわせながら、従わせながら、上を目指すことになっている。

もしも自分でルールをつくれるとしたら、どうだろう。

どんなことを競うのか、その内容を自分で決めることができたらどうだろう。
競い合うことは1つだけでなくて、もちろんいい。
例えばオリンピックには十種競技というものがある。
十種の合計点によって、点数がつけられる競技だ。

どんなことを競うのかは、自分自身で決めていい。
何個の競技で競うのかも、自分の意思で自由に決めることができる。

僕なら、
・行ったことがある神社の数(約2000社)
・ホラ貝の音の響きの良さ(ホラ貝の先生もしています)
・立ち上げた個人プロジェクトの数(約200プロジェクト)
・これまでに書いた企画書の数(約800件)
・授業を行った中高生の数(約7000人)
・中高生からもらったお手紙の枚数(約3000枚)
などを競技種目にするだろう。
そうすれば、絶対に自分が金メダリストになれる自信がある。

このような競技づくりをすれば、僕だけではなく、
世界で生きる全員が金メダルをとることができるだろう。
そして自分に誇りをいただき、
自分の独自性や特別さに気づくことができるだろう。

人は誰もが金メダリストになれると、僕は思う。
この世界の誰にも真似ができないものを、それぞれの人が持っている。

いろんな価値観があっていい。
いろんな得意なことがあっていい。
何かで1番にならなくていい。
得意なことや好きなことは、1つでなくていい。
組み合わせで考えれば、誰もがオンリーワンになれる。

それを認め合い、称えあう。
そんなオリンピック競技があったら、きっと皆が高揚するだろう。
自分や人を認め合うことができるだろう。

ところであなたは、どんなものを自分のオリンピック競技にしてみますか。
お時間のある時に、思いつくものを書き出してみてください。
きっと楽しいひと時になると思います。^^

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