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私遍歴お菓子業界に辿り着くまで〜幼少期編〜

こんばんは、お赤飯です。

私は現在とある飲食店にて働いています。休業中ですが。

普段はホール接客を中心にアルバイトさんたちに指導したり店舗運営に携わったりしていますが、いちおうキッチンで仕込みから調理まで何でもやっています。

そんな私ですが、少し前までは製菓業界でいわゆるパティシエのようなことをしていました。のようなというのは、また追々書こうと思いますが、一般的に想像されるケーキ屋さんなどでの勤務より工場での仕事や開発の仕事のほうが長かったためです。

そして、なぜ辞めたかというと一言で言えば向いていなかったからです。10年かけてそのことに気づきました。気付いて離れてみたはいいものの、未だ未練もあったりなかったり…。

さて、こんな私が製菓業界というものに入るまでを少し書いてみようと思います。今回はまさかの幼少期編!そんなとこから?ってなりますよね。そうなんです。

幼少期

この頃から既に食べること大好き、お菓子大好きの片鱗が見えていたように思います。

小さい時、私は絵本が大好きでした。その中でも大事にしていたのが皆さんご存知の【ぐりとぐら】です。

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このぐりとぐらのカステラほどこの世で美味しそうに思ったものはないです。未だに私の心のど真ん中にあるお菓子といえます。

毎日この絵本を読みながらカステラとはどんな味なんだろうと想像しては絵を書いてみたり公園で大きな卵を探したりしていました(凄く貧乏でカステラなんて食べさせてもらえなかったのが逆に想像を掻き立ててくれたと思いたい)。

現在美容師をしている顔は似ているのにお洒落でギャルな妹は【わたしのワンピース】という絵本が好きでした。当時から私は食べ物、妹はお洋服と好みが出ていたんだなぁとしみじみ。3歳ごろにはほんのり好きなものの芯ができているのかもしれません。

入院と絵本とごはん

5歳の頃、私はストレスからなのか原因不明の腸の動きが止まるという症状で10日ほど入院しました。

今思えば10日ほどですが、子供心にめっっっちゃくちゃ長く感じました。未だに10日というのは嘘じゃないか?と疑ってますし。

腸が動いていないので、当然ご飯を食べることはできませんし、それどころか水すら嘔吐していたのでしばらく点滴だけで過ごしていました。

それでもお腹は空くもので、初めての病院と点滴、妹もいるので母がいない時間もあったりと色々が合わさってご飯を食べたいと泣き叫んだことはけっこうしっかり覚えています(ほんと看護師さんには申し訳ない。感謝しかないです)。

そんなとき、従姉妹が病院に絵本を沢山持ってきてくれました。

いつもの愛読書ぐりとぐら、はらぺこあおむし、ピッキーとポッキー……

全部食べ物が出てくる絵本です。

はらぺこあおむしのあのワクワク感。私は何も食べてないのにお腹が痛くなりましたが、食べすぎてお腹が痛くなったあおむしに何故か自分を重ねて読んでいました。

ピッキーとポッキーは、ウサギの兄弟が友達のもぐらのふうちゃんとお弁当を持ってお花見に行く話なんですが、出てくる木の実のジュースやサンドイッチが何だか美味しそうで憧れてました。朝、すすきについた朝露で歯磨きをするシーンがあったように思うんですが、あれが本当に素敵で真似しようとして母に叱られたのも思い出です。

とまぁ、病室ではそんな絵本を眺めては食べたいものを絵に描くという1日を過ごしていました。なにより食べたくて一番絵に書いたのはケンタッキーだったのは…まぁしゃーない。

お粥への期待

いよいよ、腸も動き出して久しぶりに薄ーーーい麦茶を飲んだとき、5歳児がこんなに麦茶で感動するか?というほど美味しかったのは記憶しています。今でも一番好きなお茶は麦茶です。あれより美味しかったのは、真夏に死にかけで飲んだスーパードライだけだ。

そして、その夜いよいよ夕食を食べれると聞いていた私は死ぬほどワクワクしてベッドの上で飛び跳ねていました。

はじめはお腹をびっくりさせないようにお粥からだよーと言われたときの嬉しさ。お粥!ごはん!本当にもう何ヶ月も食べていないような気持ちでしたからね。

その夜、お盆が運ばれてきて、お椀の蓋を開けたとき……中にはうすーーーーーく白い色がついた水が入っていました。

あれ?お粥は?

どうやらお粥を炊いたときのお湯との情報を得て、戸惑いながらも一口スプーンを口に入れた私は期待していたものと違うなんの味もしない水に泣きました。

味がない。こんなはずではなかった。5歳児が味わう絶望としてはなかなかではないでしょうか。ずっと点滴だったのにいきなり固形物を食べれるわけないんですけどね。それでも泣きました。あまりにも泣いていた私を可哀想に思ったのかな。

お見舞いに来ていた祖母が衝撃の一言を放ちます。

「退院したらカステラを買ってあげる」

え。カステラ…?カステラってあの…?ぐりとぐらが焼いてる?え、本物のカステラ?

そこからの私はもう、どんなつらいことも我慢しました。カステラが待ってる。

ご飯が美味しくなくても(病院の人本当にごめんなさい。当時の気持ちなので)、母が夜来れなくて一人で寝ることになっても、昼間退屈で死にそうでも。

そう、カステラが待ってる!

冗談じゃなく、それだけで何でも頑張れたのです。こう思うと5歳でこれって、かなり変質的な食への執着ですね、素質があるわ。

そうして、長くて長くて本当に長かった10日が終わりようやく退院することができました。食への妄想と想像力を鍛える長い試練でした。

たかだか10日の入院でしたが、溺愛されていた私は親戚一同集まっての退院祝いを開いてもらうことになりました。ありがたい。

みんなに玩具やお洋服を買ってもらいご満悦の私のもとに、紙袋が一つやってきました。

未知との遭遇

お?次はなんや?カステラはまだかな?と思っていた私に、祖母が

「開けてごらん」

と一言。

5歳の私は袋から取り出した細長い包装紙をビリビリに破ると中から黄色い箱が現れました。

「退院したらカステラ買ってあげるって約束してたでしょ?長崎屋のカステラやで」

???

箱を開け、中身を出してもらうと、そこには茶色と黄色のコントラストが美しい間違いなく一級品の長崎屋さんのカステラがありました。

?????

しかし、私のカステラとはあくまでも、あの【ぐりとぐら】のカステラであり細長い本物のカステラをカステラとは認識できませんでした。

ここにきて貧乏で本物のカステラを見たことすらなかったことが仇となりました。

皆ニコニコして良かったねー、さぁお食べと言う中私だけがパニックでした。

え、いや、カステラって丸くて黄色くてフワフワでフライパンで作るめっちゃ大きいやつやねんで?

パニックすぎた私は

「これじゃないーーー。本当のカステラ食べたいーーー」

と泣き叫びました。本当に泣きました。その様子があまりに必死だからと親戚にビデオを撮られるくらいには泣きました。

泣いたあと、世間一般ではこれがカステラでぐりとぐらのカステラは作るのがすごく大変でプロのお菓子屋さんでも難しいんだと説明を受け、そんな大変なものは手に入らないから仕方なく(めちゃくちゃ失礼)この普通のカステラで手を打つことにしたのです。

そうして、私は運命のお菓子カステラとの遭遇を果たしました。美味しすぎて美味しすぎて、仕方なく食べたのに一人で半分ほど食べてしまいました。

そして思ったのです。

ぐりとぐらのカステラはこれより美味しいに違いない。いつか私が作るしかない。


こうして、5歳の私は祖母と長崎屋に謝らないといけない黒歴史を築き、長い長い製菓業界への第一歩、いや第半歩を踏み出したのでした。

〜つづく


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