伝統工芸とか民藝の継承問題は単純に解決できると思うよの話
静岡の漆塗った曲げわっぱの大井川めんぱ大井屋でございます。こんにちわ。
noteを始めたもののなかなか本気で書く時間が無くさてどうしたものかと悩みながら思いついたのが、ああ、昔からブログで時々思い立ったように言っていた本気の話をまとめて書いてみるって言うのが良いと気づいた前田です。改めましてやんばいです。
ヤンバイとはこの大井川上流部の方言でこんにちわみたいな意味です。良い塩梅が語源なのでは?と思っていますが詳しくはその辺にいる言語学者にでも聞いてみてください。
今日はタイトルにあるような話を少ししておこうかと思うのですが、ズバリ皆さんが井川メンパ然り伝統工芸という普通の人生においてはあまり接点がないだろう業界の内情と問題点について前田がちょこっと語ってみようかと思います。
参考までに以前前田が大井屋ブログで書き殴ってきた継承問題について書いたことがあるものを置いておくので余裕のある人は覗いてみてくださいね。
メンパ屋さんだけではなく漆器業界全体だけじゃなく工芸界全体に物申したいということなのでこれも大事かもなんで読んでね
大井川めんぱ大井屋の伝えたい現状は誰かを糾弾しているというよりも、今後若い世代が工藝にチャレンジする時に自らを犠牲にする必要が無い様に問題提起をしておきたいと言うことです。その為なら爺さんらの矮小なプライドなどどうでも良いと思っておりますゆえに忖度無く話しておきたいと思います。現状を鑑みるに若い人はこの業界の慣例を受け入れることしか選択肢が無いと思いますし、そこをまずは打破したいと思っているのです。以下に前田が伝えたいこういう師弟制度を前提にした伝統工芸界の根本的問題を前田の前例をネタに上げてみます。
伝承を受けるという事の自己責任論について
補助金などの援助は効果として意味があるのか?無いのか?
伝統的工芸の破滅は時間の問題だと言うことについて
工芸の未来を作るにはインバウンドマーケットの開拓が最優先だということについて
伝承を受ける方法論について
世の中にたくさんの伝統工芸とか民藝とか郷土工芸品だとか言われるものがあります。静岡県にもいくつもの工芸品とそのジャンルが存在します。しかしそのどれにおいても共通の問題として後継者不足があります。
例えば前田が2015年と2016年にかけて修行した井川メンパというものがどういったものだったかをお話ししてみたいと思います。
井川めんぱとは大井川上流の静岡市井川地区を中心に文献としてわかっている限りでも江戸末期にはすでに存在し、幾らかの事業者が存在して明治以降井川めんぱ組合なるものも存在したほどに当時は隆盛を持って存在した産業だったものです。ただ井川ダム建設以降近代化していった奥大井の暮らしが激変しその事業者も途絶えた時があり、それを再興復活させたのが海野想次さんという方で井川メンパの中興の祖とでも言える存在かと思います。
その後井川本村にて生産と販売をしている海野メンパと静岡市街地で生産販売している望月メンパの系譜が出来たわけです。つまりこの時点で井川メンパはすでにたった2件しか残っていなかったのです。
ざっくり井川メンパについての経緯はこんな感じになりますけれど、私ごとになりますが大井川めんぱ大井屋前田はこのうちの望月メンパで15ヶ月修行し2016年5月に川根本町千頭へ移住し井川メンパ大井屋として2021年10月まで活動し、2021年11月より大井川めんぱ大井屋と改称して現在に至ります。
望月メンパで修行した時の状況をお伝えしたいと思います。
まず2014年の秋の段階で前田から望月メンパを訪問して、井川メンパの修行ができないだろうか?どう言う条件なら修行させてもらえるか?と自ら交渉しその後出された条件を受け入れることで望月工房に通うことになりました。
なぜ海野さんではなかったのか?といえば、海野さんは当時すでに病を患らわれており井川メンパを教えれる状況ではないと最初に会いに言った望月さんに言われたからです。周りから聞き及ぶ話でもそのように聞いたもので、然るに望月さん一択しかない状況でありそこをどうこじ開けるか?少なからず溜飲を飲み込んでもという心境でした。
出された修行の条件
教えるではなく見せてやる手伝わせてやると言うこと
作業においては怪我をするかもしれないが一才を自己責任でやること
給料は無し。クラフトマンサポートからの補助金10万円も授業料として望月さんが取ること。
将来独立するなら静岡市内で開業は認めないこと(井川での開業は推奨)
フルタイムノルマありでの労働になること
文句は言うな。俺の言う通りにしかやるな。
ざっくり言うとこのような奴隷契約の上になら井川めんぱの技法や製法を横で見せてやると言うものでした。自分もその時点で普通に会社員でしたし、さてどうするものかと思ったものの口をついてそれでも良いので教えて欲しいと申し出ていました。どう言う心境だったかといえば、自分の母方のルーツは井川の小河内というところで当時井川メンパのことはほとんど知らなかったのですが自らのルーツの工芸が消えようとしているという現状を喝破したいとでも思ったのだろうと思います。そんな崇高な気持ちを持ち合わせているタイプでは無いのですが、目の前で消えてしまうものがあるのであれば自己犠牲でなんとかなるならなんとかしてみるべと思うのもまた私の併せ持った特性だったように思います。
そういうわけでこの様な労働条件を飲むこと。つまりそれは修行というよりも無償労働という対価でもって名義を買うに等しいことだと思い、そこを相互に理解してもらう話をしたところ修行が明けたら静岡県の指定を取れるように一筆書いてやるからという言葉を信じてみることにしたのです。
では他の工芸ではどうでしょう?
周りから聞き及ぶ現状を見るに、やはり漆芸、木工、窯業、染色業、まあ伝統的と謳われるジャンル全てに置いて実はあまり遜色の無い様な条件を出される様です。ですから何も井川めんぱに限ったことでは無いのでしょう。金銭面ではもう少し条件が違ったのかもしれませんが、アルバイト代にもならないような小銭しかもらえない修行というのを何年も甘んじて受け入れなければ名跡は継がせない。そういうものがほとんどなのです。
工藝の継承を自己責任で行わせるべきなのか?
もちろん答えはNOですよね。修行といえど親方に利益が発生する商業活動ですし、その労働においては本来労災などで保護したりするのも事業者としての責任であるわけです。ただなぜか師弟制度という名においてそれが許されると勘違いしてしまっているわけです。ただ、問題としてはそのリスクを親方衆が受け入れることはありえなく、だったらもう自分一人でやっている方が楽だし来ないでくれた方が良いと思うのは至極当然といえば当然です。
では木工、漆工の素人の前田がなぜ井川メンパの修行ができたのか?
答えは簡単です。親方に最大限メリットがあれば受け入れてもらえるからです。
静岡市のクラフトマンサポートという制度があります。この制度を利用して私が望月さんのところに修行していると月に10万円補助金が入ります。この補助金の利用は自由度が高く、弟子に給料として渡すところもあれば親方が授業料としてとっても良いというような制度なのです。元々が親方衆からの提案で作られた制度なのでどちらが有利になるか明白な制度です。受け継ぎ手を支えるのではなく、現状の職人を助けるという方向で作られてしまったことに制度的限界を感じざるを得ません。まあそれは置いといて。
この制度のことを知らなかった私は望月さんからこういう制度があるので使えと言われましたが、ここが大事な営業マンのスキルの見せ所でした(笑)
補助金の運用には自由度があるのでと望月さんが自ら私に持ちかけるように言ってきた以上、それを授業料としてもらえるのであれば教えてやってもいいということなのです。これがわからない正直真っ当な人は、ああそういう制度ならぜひその制度を使って給料ももらって修行できるなら最高です!すぐに自分の為に申請してみますと言ってしまうがために今まで誰一人として井川メンパの修行ができなかったのだろうと前田確信しております。
つまり単純明快、メリットデメリットを掴んでYESと答えさせれば良いだけの話なのですが、まさかそこまでのメリットを求められるとは皆さん思わないでしょう。でも、メリットがなければ教えても意味が無いと職人ですから思うのは至極当然です。経営者では無いのですから。言わずもがな前田全てを供出することで同意を得たのです。
ただ計算外が起こりました。制度の交渉に行ったらば予算的には来年度は全て他の工藝に割り振られており使えないと言われてしまったのです。すぐに会社を辞めるように要求されていたので退職を完了しそうな時にそんな話が出てきて、すったもんだした挙句今年度の予算なら1月から3月までの給付が可能だという話になりとにかく素早く新年から行けとなりました。ただこの3ヶ月しか未来の無い中で、如何にして前田がいることにメリットを感じさせるかがだいぶ難しかったのは言うまでもありません。後半のいじめが激しいこと激しいこと(笑)
まあ、その辺の愚痴は墓場まで持っていくとして
答えは明白です。技術継承だけではなく、事業継承を行え
伝統工芸とていくらピカイチの技術を持ち合わせたとて、それで食っていけなければなんの意味もないのです。先に続かないわけです。では、どうやったらそれで食っていけるのか?
答えは簡単でしょう。補助金を投入するのは技術だけではなく、その生業としての事業をうまく継承させるというメソッドに昇華させなければ絵に描いた餅でしかないと言うことです。
そしてそれが確かに一番難しいところではあります。なぜならほとんどの事業者が個人事業主を抜け出せていないからこそ、消えゆく伝統工芸に甘んじているからだろうと言うことです。そして教えた相手に追い越される恐怖。なんとなく想像できるでしょ?だから教え切らない。教えてるというのは上部のことだけなのです。本質的な部分については教えないのがそもそもの職人という生き物なのです。
個人事業で曖昧なまま来ている事業と技術を継承することはできない
つまり絶望的な事を言いますが、この法則に則ればおそらくここから15年くらいの間に消えゆく伝統工芸というのはそれこそほとんどなのです。だってほぼ個人事業主ですらなり得てない状況ですからね。
こいうことを言うと怒る人がいるかもしれません。でも真実なので前田は言いますよ。納税の実績がある工芸の事業者が県内にどれほどいましょうか?そしてそこに注ぎ込まれる補助金はどれほどのものでしょうか?費用対効果がありましょうか?未来の子供たちに残すべき資金を食い潰しているとはいえませんか?
伝統工芸が切り抜けるにはインバウンドマーケットの開拓が必須です
前田思うのですが、ちょっと話をすっ飛ばすと消えゆく工芸はもう今更事業をどうのこうのとかするには時間稼ぎにもなりませんので、新しい提案をして行きたいと思っております。
既成概念を取り払って心機一転するにはインバウンド中心に置き換えるべき
伝統工芸のストロングポイント、昔から受け継いで来た伝統という最大にして最高のメリット。つまり権威をあえて脱ぎ捨てて、新しいマーケットの開拓に飛び込んでしまうべきだという事です。
大井屋がなぜ井川メンパから大井川めんぱへ名称変更したか?まさに実はここに狙いがございます。今までのものとは似て非なるもの。ただし本質は見る人が見てわかっていればそれで良いと思うからです。大事なのは未来に受け継ぎできるマーケットがあるかどうかなのです。
それにはインバウンドマーケットが最適なのです。なぜならすでにある井川メンパという既成概念を取っ払わせて既存の井川メンパユーザーに大井川めんぱを理解してもらうには時間とそれに見合う投資が必要になるからです。そして一旦刷り込まれたイメージというものを覆すのはなかなか骨のいる行為なのです。ただし、インバウンドであれば権威や先入観はなく本質を理解してもらうことに注力すれば比較的突破はしやすいと前田は思います。また日本人の特性としてインバウンドに受けているものは高尚なるものであるという刷り込みも起きやすいと考えていますし、舶来帰りが重宝されるみたいな実際そういうところあると思いませんか?
まとめます。
伝統工芸は今後大体が死に体です。若者はそこで一緒に自爆すべきではないでしょう。大事なのはそこで生き残ってくる事業者を選眼できる情報取集能力を持つか、もしくは自らを事業者として成長させれる立ち位置に一気に持ち込めるか?後者はだいぶ難しいことだけは前田身を持ってお知らせしておきます。なぜなら生き残ればフロンティアですが、まず並大抵の覚悟と行動力ではそこに至れないからです。前田もまだまだ生きるに必死です。
ただ活路、光明をもたらすのはインバウンドへのアクションを持ってさえいれば自らで持って自らの創作を売っていくというのは比較的可能です。ていうかむしろ今後どんな権威ある事業者もそこへのアクションがなければ伸びないのは明白です。
ね、大事なのはむしろ言語力、行動力、コミュニケーション能力。どんな業界に行っても同じことだろうと実は思う前田です。
若い人にたくさんチャレンジして欲しいと同時に、潰れてほしくないと思っています。大井屋では常に皆さんのチャレンジを後押ししますが、できれば袂を分かち合うエゴを優先するよりも面把衆としてあり得ないほどの力をまず静岡で惹起させたい。難しい話をしましたが、答えは簡単です。突破するには大勢の力を集めた方がより高みへと登れるのです。ミニマムな精神で自分だけが生き残ってもなんら意味が無い。そう前田は思っていますのでぜひ志ある同志は千頭の前田までコンタクトよろしくどうぞ
ちなみにじゃあ前田はスタッフ石関さんを弟子ではなく、従業員として迎えたと言っているがどんな条件で雇用しているのか?ちゃんと言わないとフェアじゃねえよな?って思う方がいると思うのでいうときます。
石関さんには蒔絵というスキルがある。その前提ですらいきなり一般企業と同じレベルで給料というのは創業5年の大井屋でも無理筋な気がしました。そこで最初はアルバイト契約で週5日9時ー17時の勤務で月に10万円の固定給からスタートという条件にしましたが、石関さんのすごいところは最初から給料は無くてもなんとしてでも大井屋で働きたいと言ってくれたことです。まあまあ俺と似た自己犠牲精神がある子なんだと嬉しく思ったものです。で、あるからこそいやいや10万円スタートで毎月1万円づつベースアップして半年後15万円固定給でとりあえずいってみっか?という感じでまあなんとか9ヶ月ほどやってきましたし、多分来年は法人化して雇用形態も社会保険等を潤沢にかけれるレベルに引き上げたいと考えています。どうなるかはこれからの仕事次第ですが。
ちなみに山奥というのは家賃がやたらと安いのです。石関さん薄給で大変そうでしょ?いやいや70平のマンションを携帯代くらいの家賃で住んでいるのでほとんど貯金と学費の返済に充てれると思います。都会で働くより実はこういう世界は諸々メリットもあるのです。それになんだか若いお友達もたくさん移住してきて楽しく過ごしているんですよね。羨ましい。
そんなわけで、大井屋が企業として今後どんな道を歩んでいくのかもぜひ楽しみに眺めていてください。そしていろんな人と出会い共に突き抜けていきたいと思っているのです。よろしくどうぞ
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