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静岡県中山間地へ移住し起業した事の話

こんにちわ。大井川めんぱ大井屋店主の前田です。

ノートで実験的にどんな路線の話をすることがみんなにとって有益なのかな?とか色々考えた挙句、自分の情報発信で何を興すべきなのか?というところまで降りてみて見えてきたので今日はちょっとそんなこと書いてみよと思います。
田舎に移住したけど聞きたいことある?とか若いのに山奥住んでみてるけど色々気をつけた方がいいよ!みたいな系のブログやらノートはすでにたくさんあるなあと気づきましてね。前田がノートで書くならそこから少し足を伸ばした視点の話がよろしかろうと思ったわけです。

ですから前田のちょっと人とは違う感じの特質はどういうところのなのか?という風なところを踏まえつつ大井川めんぱが気になっていたり、川根に移住してみたいなと思っている皆さんにとって静岡の山奥への移住とかってどうなん?みたいな話を書いてみようかしらと思ったのです。

まずどうして前田が川根本町に移住したのか?

2015年の丸一年を静岡市街地で井川メンパ工房やってる望月さんていう人のところに修行に行った話は以前自己紹介でも書きました。

修行をやる前からの約束で望月さんのやってる静岡市街地では井川メンパの商売を始めない。という要求があったのと、元々自分は井川に移住して井川で井川メンパ屋さんを開業しようと漠然とした目標があったのです。

ただなんの因果か偶然か?というかむしろ全ての因果をお話ししてみますと、要は移住にはそれなりの準備とリサーチする期間が必要なのにこのめんぱを教わった望月という人に静岡の街場で起業をやられたら困るからとっとと山奥へ行ってくれという無言の圧力が動いてきたわけです。まあ今となっては別にどうでもいいことですが当時はほんと勘弁してくんねえかなと思ったわけです。

仕方ない!もてる資金の限界と時間的猶予が無い中でどんなポジショニングでどんな規模の井川メンパ事業をおこすべきか?瞬間的に判断せざるを得ない中、川根本町という選択肢に辿り着いたのが2016年2月ごろだったのを思い出します。その時の脳内判断材料はおそらく今後の似たような道を辿る若い人にとっては有益になることもあるだろうと思うのでお伝えしておきましょう。

  • 移住と起業をセットで行うには?

  • 移住に必要な経費は?

  • 移住後の環境で重視したことは?

  • 起業をする上で優先したことは?

  • 起業したその先をどう見ていたいか?

ブログにて以前似たような話を書きましたが、メンパに向けての能動的感情的にお話しした内容ですので今回はもうちょっとその移住した瞬間の細かい判断を語っておきたいと思いますので、どんなジャンルの移住パターンにでも参考になるかと思います。

移住と起業をセットで行うには?

田舎や山奥へ移住するには色々な理由があるでしょうけど、前田は少し特殊な部類かもしれません。井川メンパという地域の特性を背負った商品を生産し販売する為だったからです。ですから当然井川という土地になんらかの関係があるポジショニングでかつ、師匠からの要求を満たす場所というところへ数週間のうちに決定して行動しなければならないという状況だったからです。

ですのでまずは兎にも角にも移住という要素を最優先する中で、起業という事象を追っかけながら辻褄合わせのような感じで動き出したのを覚えています。

まず井川との地理的要因で静岡市の中山間地への移住を考え始めました。井川という選択肢も踏まえ、いわゆるオクシズという地域をリサーチし始めました。

当時自分は実家のある用宗という沿岸部に居住していたのでオクシズはまだ認知がそれほど深くは無いけれど知らないこともないというような感じで、川根本町側に至っては全くの未知ゾーンでした。ていうか井川と同じくらい山奥だと勘違いしていたと思います。静岡市内住みですと大体みんなそんな感じに思っているのは間違い無い。申し訳ないけど。でもそもそも実際は山間地というのは地理的に近くても物理的な距離感や、人間の特質などもだいぶ違うように住んでみた今は理解しております。だからこそその情報をより深く理解して自分の特質や理想にあった土地へ移住することがそもそもの長い目で見た正解だと思うのです。

移住に必要な経費は?

自分も独立にあたり開業までのロードマップというようなものを漠然とながら考え始めた時でした。修行時代は給与などは無いし貯蓄が全く無い中で、さらに今でいう地域おこし協力隊みたいな制度も用意されていない中でどういう資金集めと運用で乗り切るべきか?クラウドファウンティングなどを利用するべきか?諸々と考える間もないくらいに来月には移住しないと井川めんぱを名乗らせないというような圧力がある中で前田の取った行動はまずは手駒になる資金の限界値を知ることからでした。
早期に移住するには低予算の中でやりくりするには、賃貸が最適だと皆さん思うでしょう。ただ、山間地では賃貸住宅はそもそもほとんどなく、大体の場合は家主と繋がりがあり直接的に契約して住んでいる場合がほとんどなのです。そんなこともあまり知らないのでいくら検索かけても賃貸で事業を兼任できそうな物件などすぐには見つかりませんでした。

そもそも静岡市内であるオクシズが相対的に高かった

賃貸が少ないならもはや買うというスタイルしかなく、その中でリサーチをかけていくとオクシズや井川ですら相対的に少し物件の取引額が高いというような気がしてきたのです。それは川根本町の物件群を調べ始めた時にそういう感覚がしたのです。

限られた経費の中で打てる勝負は何か?

やはり物件にはそれほどお金はかけられない。何を重視すべきか?めんぱ事業に必要な資材の調達、機械の導入、運転資金の確保。そのあたりが最優先に切り替わって来た時に自ずと川根方面へと意識が変わり始めたのです。

川根のリサーチを初めて感じたこと

まず物件が安い!(笑)田舎の同じような家なのに半額?までは行かないけれど、オクシズよりだいぶ安い。移住してみて思うに、実際にそういうところあると思います。
そこから住環境などを検討し始めました。病院ある、スーパーある、コンビニある、電車もある(運賃クソ高えけど)高校まである。
あれ?ひょっとして、これ、オクシズよりポテンシャル高くね?って思ったあたりですでに心は西北を向き出したわけですね。でね、翌日には車で大井川を行ったり来たりして人生初の川根体験をしました。移住するなら実際の現地を絶対見た方がいい。自分が気にいるか?気に入らないか?絶対に大事です。人任せにしないのは言うまでもないでしょう。

そして現在の店舗兼住宅へと出会います。ネットで検索して現地を見て即決しました。あ、ちなみに川根の不動産情報を得られる不動産は5、6個ほどに限られているのでいくつかあげておきますので参考にしてみてください。

所謂空家バンク。ポータル的ですが、役場運用なので情報更新が遅いのと値段が少し高めになる傾向があると思います。ただその後のリフォーム補助金なんかを得るには掲載が必要だったりもします。

個人の不動産屋さんです。大体川根の家主さん達はこの辺の島田市か静岡市に住んでてその近所の不動産屋さんに売買情報が出てくることがほとんどなのでそこをチェックしてれば空家バンクよりも早く情報が得られることもあるかと思います。

安いけれど物件の出玉が少ないのも川根の特徴なので、移住に際しては急ぐならまずは川根本町が用意している団地などに住まわれて時間をかけてリサーチするのが良いかと思うのです。

自分の場合はたまたま駅前で商売もやりやすいポジションに古い家があり、駅前ですので商売を考えない層には需要がなかったのか?しばらく売れ残っていた現物件が格安だったわけです。そこにちょうど自分の要望とあったので即決できたのだと思います。

移住後の環境で重視したことは?

とにかくまずは移住することが大事だったので、あっという間に手続きをしてあっという間に移住して来ました。しかし、逆に即断即決したあまりに事業の準備が追いつかなかったという感じになり、作業場の確保や電気工事の手配や諸々が時間がかかりました。そのタイムラグのおかげでしばらく地元の人たちとの交流に時間を割けたのです。そしてそれがその後大きな力になったのはいうまでもありません。

移住後に地域の人達と仲良くになるにはいろんな方法があると思います。普通は地域のお祭りや草刈りなどの共同作業を通じて仲良くなると思いますがそれだと時間がかかります。手っ取り早いのは飲み会に参加したり、毎日のように挨拶に通ってみたりすることなのですが、そういう時間が持てた事によって自分はかなり馴染みが早くできたように感じました。もう5年前のことですが、気持ちはいまだに余所者だと自分でも思うくらいに、ネイティブ川根と馴染むには時間もかかるのはあたりまえなのです。

だから少しでも物件を安く買って住めたならその余ったお金で近所の人と交流するのが大事なのかもしれませんねえ。みんないろんな世話を焼いてくれたり、良くしてくれますがそれをしっかり返せる人間でなければその後が続かない。都会の若者に足りないのはそこのあたりかと思うので、恩には3倍を持って返す予算を確保しておけと具体的なアドバイスをしておきます。そのくらい安い投資だと思いなはれと。

起業をする上で優先したことは?

自分の場合は起業することは出来ても製造業ですので、いくら頑張っても瞬間的に売り上げが一気に上がっていくことは無い。遅効性のビジネスなのです。ですから大事にしたのは、単純です。

諦めないこと

大井川めんぱ大井屋前田の心得特集より

シンプルにして、完全なるメソッド

そうです。どんなことがあっても井川メンパをやり続けること。それだけでした。実際最初の3年くらいはもう笑えるくらいに経済的には大変でしたが、その中でも結婚し子育てを初めてめんぱ事業を盤石へと持ち込む道筋が見えて来たように思う展開へ乗せあげたいと今日も思っておるのです。というのがなんとなく見えて来たイマココですのでnoteも書いたりしているのですね。

起業したその先をどう見ていたいか?

地理的特性に縛られたように見えて、今度はそこから抜け出しにかかっているというような感じかな?と思っています。つまり井川メンパから大井川めんぱへ名称変更したというアクションが深淵ではどういうことなのか?自分達大井屋が作るメンパというのはこれまでのように誰かの冠を掲げるのではなくて、そのもののポテンシャルを上げて世界へ出ていくその入り口に今立ったのだと実は思っています。それが5年前に見えていたのか?といえば実は胸張って言えるくらいに見えていました。ただ10年先になるだろうとは思っていたのですが、意外に早くくるものですね。


自分の場合は移住したことと起業したことがほぼ同時進行でしたので、皆さんの判断基準とは異なるタイミングの話も多いかと思います。ただ、その瞬間瞬間で前田が考えたことや、行動原則、原理を捕まえておきさえすればあなたの田舎移住はより成功するかもしれませんよね。よかったら酒のつまみにでもして田舎移住の脳内シュミレーションでもしといてください。

ではまた思うままにnoteしていきたいと思います。よろしくどうぞ







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