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伝統工芸だってむしろ闘う事が大事だよ

こんにちわ。大井川めんぱ大井屋店主の前田です。

さてちょっと物騒なタイトルをつけてみました。前田的我が闘争についてのお話を少し

自分が井川メンパというものをやるようになって、大井川めんぱへと変遷させていくその心理的背景を語る前にはどうしてもお話ししておくべき事というのがあります。それはやはり伝統とかというものと対峙した時に起きる先人のエゴとどう向き合うか?という観点なのです。

実は伝統工芸というものは世の中にまだまだそれなりに生き残ってはいるのですが、ちょうどこの令和の時代あたりが劇的にその規模と種類が減っていくだろうと思われます。それは何故か?

自分が井川メンパを通じて感じた感覚では、戦後75年というこのあたりという目線で話をすると割と腑に落ちる気がするのです。

工芸や民藝が生き延びてこれたのには利用する側に需要があるかどうかだと思います。いくら作り手が最高峰を謳って高みを目指してみせたところで、使われないものが安定的に売れていくものではありません。ユーザーが価値を認めてその時代においても必要とされているものであればそれは必然的に世に残らざるを得ないと逆を言えば言えるとも思います。
井川メンパにおいても一度消えかけた経緯がある。というのは以前大井屋ブログにも書いたことがあると思います。


戦後直後、戦線から戻った職人の20代30代は戦前以前からの手仕事に回帰したことでしょう。実際漆かき師匠の高橋さんも昭和20年から30年前後くらいまで戦後の混乱期を漆掻き職人として生計を立てていたようです。ただこの時に起きた戦後の高度経済成長という波がまず古くからある工芸や生産職を一気に掻き消したと言えます。

大袈裟ではなく、翌年には給金が倍にならなければどんどん人は転職してしまうようなハイペース経済成長にこういう伝統工芸などは追いつけるはずがないのです。いくら経済があがろうが物の値段が倍に追いつくにはかなりのタイムラグが生じるのは間違いないだろうと思うのです。そこでノロノロとやっている間に職人は次の産業へ乗り換えていくのです。

売れなくなったから廃業した。というのは間違いで、現職を続けるよりも他業に乗り換えた方が儲かる時代だったからと言えると思います。ですから時代に対応できなかった部類の工芸は職人があっという間に他へ移っていった。それが昭和30年代あたりから始まったわけです。井川においてはダム建設が始まり、メンパ屋から建設作業員に転じた方がより稼ぎが良かったのは言うまでもありません。この時多くの民藝や工芸が一旦消えかけているというのはいろんな本や統計を見ても言えることだと思います。その後その変化に無頓着だった小規模事業だとか、作家性の強い風合いを持っていたところが細々と生き残ったように見えます。ですからこの時点で江戸期より続いた職人の組織的企業群は軒並み消えたと行ったと思います。

ただその後また復活してくるタイミングがあったのが昭和50年くらいからバブルへと続く緩やかな経済成長に合わせて、懐古主義が起きて古き良き日本を取り戻そうというような今でもありそうなイデオロギーに乗っかり再生された工芸が多く出て来たように思うのです。

ただこの時にすでに色々と問題点がそもそもあったのだと思います。つまり、復古する段に置いてたぶんに営利主義、実利主義、価格主義というエゴと表現できそうなフィルターがかかった物作りとして再興されたと行って良いと思うのです。

誤解を恐れずに言えば今ある工芸などはこの時点で一旦すでに死んでいたのです。と、捉えた方が良いと思う変遷があります

兎角このような事を今まで声高には言わない現場の人が多かったのは、それは忖度の上に置いて工芸や民藝をやらざるを得ない環境にあるからだと前田は思います。補助金や公的な支援を受けている民藝屋がほとんどな現在。言いたいことは言えないと思った方がいい。と心底思っています。


前田と大井屋がなぜ組合や県や市の催しに出ないのか?

まさしく、このしがらみを脱ぎ捨てたかったからです。先輩や先人の言うことが絶対だ!大人しく言うこと聞いとけ!サリとてもなんと言う感じでいろ。と言うのは詰まるところ悪いけれど今の政治と全く同じで自分の世代や己が利益しか見えていないからであり見て見ぬふりを決め込めと暗に要求されていると感じたからです。
メンパにおいては例えば有機溶剤のシンナーが入っていたり、ボンドで接着されていたりとそのような事実を後進が指摘することができないように他の工芸民芸でもまったく同じような憤りを持つ若手はたくさんいると思うのですが、ほとんどの場合その現状に依存して生きておりそこを継ぐという感じにいればいるほどに、未来はそこを踏襲する事を約束されていれば口出しして全面対決するメリットが無いのも事実なのです。補助金や交付金をあてにするということは、つまり遠因になるものの結局は自らの口を封じることになるのだと思い、大井屋と前田はスタンドアローンな日々をこの5年半送って来ました。そのおかげで苦労もしましたが、突き抜ける準備と覚悟が出来たのも事実だと思うのです。

実際のところ今後のクラフト市場においては、実は伝統的と呼ばれるものはこの脆弱なら精神性の踏襲を経たせいで逆に淘汰され、個人がそのしがらみを脱いで各地で行われるクラフトマーケットやネット販売に積極介入している会社や作家が生き残るという現象が起きるだろうと思います。つまり現時点でスタンドアローンをもっとうに歩いていない組織群は令和以降に続くのは非常に難しいともいえます。

それが令和の時代に明確化されるだろうと前田は思うのです。だって令和のこの時代、復古主義を継いだ人間達が軒並み70代、80代の引退時代に突入しているからです。

ネットもできない、やろうとしない。お客さんはいつまでも従順で権威の言いなりだと思っている世代が今消えようとしています。そういう人達が何をやってきたか?後継者が産まれない産まれないと指を咥えて待っていただけでしょう。そしてそれは今現実化してしまいこの業界は焼け野原が見えて来そうなのです。


消えゆく工芸や民藝をどうすべきか?

いろんな方法論があると思うのですが、前田が手っ取り早い方法論を提案します。タイトルにあるように、全ての工芸の若手は闘う事を恐れるなということです。心に鋼の刃を突き立てられたとしても、未来の更なる若手とユーザーの為に命懸けて忖度せずに闘う気持ちを見せることだけなのです。
自分としてはおかげさまでいろんな点においてそういうストロングスタイルが現状の井川メンパを変え始めたと自負できます。詳しくは言わないけど興味があると思っている人も脅威に思っている人も前田とそれを取り巻く井川メンパについて調べて見てくださいね。

先輩のいうことは絶対などはあり得ません。むしろ理不尽極まりないし、正すべきところは正していくには闘う事を恐れないそういう気持ちを持つことから全ての物事が始まると前田は信じております。

ネットを駆使して自分のイデオロギーを産み出せ

お客さんがネットで一生懸命値段ばかり追いかけるように、そこを逆手にとって工芸を司る人間はそこに真実を恐れることなく自己主張すべきなのです。対立を恐れるべきでは無いのです。自己主張を忘れいつか人はわかってくれるという甘えに沈殿しているとネットの渦に飲み込まれるのもまたこの時代の特性だろうと思うのです。ネットの本質的な使い方とは、諦めることなく自分の本質をより深く理解してもらう素晴らしいツールですから瞬間的な事に労力を使うのではなく、こういうブログやnoteを使って10年先にも理解が及ぶようなコンテンツを増やしていくことなんだと思うのです。めんどくさいけどそれが出来てこそ工芸で生きていくが可能になるのだと信じています。いくら高等な技術を積み重ねても使ってもらえる要素とマーケットがなければ絵に描いた餅でしかないわけです。

メンパサバイバーの前田が保証します。闘う気持ちがあればどんなジャンルでも生き残れます。

生きるに辛くなる前に、闘う気持ちを思い出してください。戦ったことのない人はまずそれを習いにいくべきです。格闘技、武道などなんでもいいと思う。リアルとメンタルは実は同軸上にあります。闘う気持ちは闘いでしか感じ得ないのです。いくら本を読んでも書いてないですし、書いてあるのは嘘ばかりでしょう。いや巧妙に表現された嘘だと思った方が良いのです。

死にゆく工芸の未来を眺めている度胸があるのなら飛び込んでこい

よくお客様から言われます。もうなくなるかもと思っていた井川メンパが続いて本当に良かったと。違います。井川メンパはもうなくなってます。海野さんが亡くなった時点から。だから大井川めんぱに変えたのです。同じようなものに見えて、似て非なる物なのです。それを気づいているのかどうかわかりませんが、皆さんは俺のめんぱは今後直してもらえる良かった良かったと思う前にあなたの息子を前田の元に派遣してください。ちゃんと仕込んでお返しします。むしろそういう気持ちです。俺たちを頼るなら値段を見ずに、我ら大井屋の心意気を見ていうてくれということなのです。


工芸を民藝を死に体へと追い込むのは皆さん自身かもしれません

ネットで拾った情報が真実なんてことはないのです。これほど言うても都合の良い上部の情報しか信じない人がほとんどなのです。ここを読んだあなたにも伝わるか定かではないのですが、唯一言えるのはまずはリアルな大井屋に会いにくれば良いのでは?と思います。そこで信じるか信じないかを皆さんが決めればいい。そのために店舗を掲げて逃げも隠れもせずにここでメンパサバイバーやっておるんです。前田に物申したい人結構いるはずなのに最近気持ちの良いお客様にしか恵まれていません。正直つまんないですね。


飼い慣らされた人間になるな

最近本当に強くそう思います。長い物には巻かれろ。まずは自分の存在の確保優先。そう言う時代になりつつあるのだろうと思ってます。めんぱやってると意外にそう言う世界が逆に見えてくるものです。だって命かけて取り組んでれば、その命の残滓みたいな分身のめんぱがどんな世界へと流れていくのか気になるじゃないですか?ネットで売ってはいバイバイじゃないんです。一生使うなら一生のおつきあいにならねば意味なくね?ってことです。

と言うような比較的胸糞の熱い話を書いてしまいましたが、行間から滲み出る本当に伝えたい事を読み取っていただける人にこの気持ちが届くといいなと思っております。

大井屋謹製漆升三千五百円税込

年末は大井川めんぱ大井屋の塗枡で酒飲んでひっくり返ってください。これで飲んでる人はみんな仲間だと思ってるんでよろしくです








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