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現代におけるユタの役割と柔軟性

 大学一年次の前期に受講した民俗学の授業の、期末レポートとして書いたものを載せます。先日、パソコンのフォルダを整理していたら見つけました。2000字以上の指定のところ、約6500字も書いてしまったのが懐かしいです。自分としては全力で取り組んだ記憶がありますが…。フォルダの中だけに置いておくのはなんだかもったいないので、記念としてnoteに載せようかと思います。

 もしよければ読んでみてください。段落や強調など、note向けに手を加えてあります。


目次
1. はじめに
2. ユタの概要
3. 現代においてユタが担う社会的役割
  1) 補完代替医療者としてのユタ
  2) 沖縄アイデンティティの一要素としてのユタ
4. 考察とまとめ
5. 参考文献


1.はじめに


 赤嶺政信による論考『霊的職能者と社会』では、ユタと呼ばれる霊的職能者の霊的世界観や歴史背景、離島の霊的職能者の特徴などが論じられている。赤嶺は、「今日でもユタは人々の生活の中で生きた存在として重要な社会的機能を担い、奄美・沖縄の民俗文化の中で確固とした位置を占めている。」(赤嶺,1996:84)と述べている。しかし、赤嶺の論考は、主に奄美・沖縄社会における伝統的なユタの宗教文化について論じているのみである。赤嶺の論考が出版された1996年以降、ユタを取り巻く沖縄社会と、ユタ自身の様相は現在も変化しているはずである。
 そこで、このレポートでは、1996年代以降のユタの社会的役割についてまとめ、ユタたちの霊的世界観の柔軟性について考察していきたいと思う。


2.ユタの概要


 まず、ユタとは何かについて、医療人類学者の濱雄亮は「主に沖縄県や鹿児島県奄美群島地域において先祖祭祀や供養、心身の不調、家相や墓相などについての個人・家庭からの相談を受けたり、儀礼を指導・執行したりするシャーマン的職能者の総称である』」濱,2010:68)と述べている。この論考では、以下、奄美・沖縄に存在する民間霊的職能者の総称として「ユタ」という呼称を使用する。同じく奄美・沖縄地域に存在する「ノロ」や「ツカサ」などとは異なり、ユタは、家系継承や個人の相談などの、個人・家庭的な範囲を取り扱う。

 依頼者は、ユタに相談を持ちかけ、具体的な指示や教示を受け、それを実践することで自身または身内の負担を軽減していく。ユタは、男性に較べて女性が圧倒的に多い。ユタのたいていは、「カミダーリィ」と呼ばれる身体的及び心的不調や、個人的、あるいは家庭内の不幸を経て、成巫のきっかけを得る。


 赤嶺によると、ユタの職能は大きく分けて七つある。
①卜占、吉凶の判断
②病因・災因・異常体験の解釈
③口寄せ
④位牌祭祀への関与
⑤系譜の遡及確認
⑥儀礼の執行
⑦その他(一種のカウンセラー的役割)

の七つである(赤嶺;1996:86-87)。④については、沖縄の民俗社会では「ムンチュウ(門中)」と呼ばれる父系出自集団が存在するほど、父系血縁関係とそれにまつわる位牌継承・祭祀が重視される。ユタは、依頼者に降りかかる災厄の原因を、位牌(家)の継承の乱れに求めることがよくあり、これを正そうとする。このような家系の是正への干渉は「シジタダシ」と呼ばれ、ユタの職能の中でも大きい位置を占めるとされる。⑤も、④に伴う職能である。


3.現代においてユタが担う社会的役割


 2で述べたように、ユタの役割というのは、個人が抱える問題、位牌継承などの奄美・沖縄特有の家系問題への解決に向けた、具体的なアドバイスや祭祀を執り行うことにあると言える。奄美・沖縄の民俗社会と切り離せない関係にあったからこそ、今日までユタが必要とされてきたとも言えよう。
 3では、個人的な問題・家系問題の解決のためのアドバイサーや祭祀実行者の役割以外にユタが担っている役割、またはユタに対してユタ以外の人間が評価した、現代におけるユタの役割についてまとめていく。


1)補完代替医療者としてのユタ
 ユタはときに、民間の精神療法医として扱われることがある。
 中本昌智と比嘉実による『沖縄風物誌』では、添い寝中に赤ちゃんを窒息死させてしまい、精神に異常をきたした母親が、ユタとの交流の中で精神的に救われたというエピソードを紹介されている(中本・比嘉,1984:216-218)。中本と比嘉は話の結びで、「心の闇は合理性だけで解決できるものではない」(中本・比嘉,1986:218)とし、西洋医学が担えない部分を担う、ユタの一機能を強調している。


 このように、1984年当時から、ユタは医学と対照的な存在でありながら、近代医学が担当不可能な部分を担当していると評価されていた。そして、2000・2010年代に入って、この評価は加速し、ユタは一人の医療者として理解・黙認されるようになる。


 社会学者の上野彩は、自身の論考において、医師とユタ買いの関係性について論じている。上野は、1970年代以降に西洋医学の場で注目され、2010年ごろから重要性を指摘され始めた「補完代替医療」の概念を紹介している。上野は、補完代替医療とは、一般的に従来の通常医療と見なされていないさまざまな医療ヘルスケアシステム、施術、生成物などの総称であり、具体的には整体や瞑想、スピリチュアル・ヒーリングなどであると、文献を引用しながら説明している(上野,2018:15-18)。

 上野は、ユタという一つの補完代替医療の利用に対し、医師がどのような距離を図っているかを、八重山諸島・石垣島での聞き取り調査を通して論じている。
 上野は、調査の結果、石垣島の医師たちが「ユタを含めた「補完代替医療」の効果を認めているので、患者がユタへ行くことは状況が許す限り止めないが、ユタというものを十分に理解できてない以上、患者にユタへ行くことを積極的に勧めることはない」(上野,2018:23-24)ことを指摘している。この基本姿勢の理由としては、「医療は万能ではなく、最近は治すことが難しくなってきている」(上野,2018:24)という考え方からくるものだという。つまり、医師たちは医療の限界性を自覚し、補完代替医療者としてのユタの存在を黙認しているのである。
 また、上野によると、石垣島の住民も医療の有限性を認識していて、医師も患者に選択権を委ねている。そのため、患者は医療とユタ(=補完代替医療)双方を主体的に選択し、併用しているという(上野,2018:25)。


 そして、上野は「ユタ独自の文脈にも近代医療の言語で解釈できる部分を垣間見ることができた。」(上野,2010:25)と述べ、近代医療とユタの世界観がある程度は接続可能であることを示唆している。濱は、自身の論考の中で、「社会心理学者の大橋は(中略)ユタはクライアントの「不安・葛藤の原因を相手の価値・信念体型に沿って意味づけし」認知構造の再構築を図る、という点が精神分析家の手法と類似するとする。」(濱,2010:75)と、他研究者の見解を紹介している。その上で、濱は、ユタと近代医療の関係性についての研究分野が「近代医療とそれ以外の医療としてのユタが時には手を取り合うこと、すなわち共同することの実質的有効性について言及するに至る。」(濱,2010:75)としている。


 以上のことをまとめると、まず、現代におけるユタは、霊的職能者の立場とは他に、近代医療以外の分野を司る一医療者として理解されるようになったと言える。つぎに上野の研究を踏まえると、近代医療を扱う医師たちは、近代医療以外の分野の一医療者としてのユタを黙認している。一方、市民は、あくまで選択肢の一つとしてユタを検討するのが主なスタンスである。そして、この状況は、近代医療側からユタが理解される形での、ユタと近代医療の接近と言えるだろう。

2)沖縄アイデンティティの一要素としてのユタ
 沖縄(琉球)は、1609年の薩摩侵略、1867年の廃藩置県、1945年の日本の敗戦による米国の占領、1972年の日本復帰、と何度もアイデンテイティを揺さぶられてきた。そして、近年の沖縄ブームによって沖縄観光は大規模産業となった。このことで、一元的には捉えられないその歴史や文化の複雑性から、日本や諸外国に対する沖縄アイデンティティの確立がさらに叫ばれるようになった。そして、ユタはどうやら、沖縄に関わる創作者、県や県民などのいわば内側から、沖縄アイデンティティを打ち立てる一要素として認識されている面があるようだ。


 文化人類学・民俗学研究者の塩月亮子は、沖縄映画や沖縄文学を取り上げながら、沖縄でユタをはじめとするシャーマニズムが沖縄の文化表象の一つとして沖縄の人々に選択され、用いられるようになったことを論じている。塩月は、1990年代以降、「ユタなどシャーマニズムに関することが「沖縄的なるもの」の本質、あるいは沖縄の風土として描かれることが多くなった。」(塩月,2002:15)とし、これを文化復興運動としてのシャーマニズム表象であると論じた。塩月は、創作者たちが沖縄の「伝統」を再構築し、「沖縄らしさ」「沖縄アイデンティティ」を表現する手段として、ユタをはじめとするシャーマニズムを描写したと述べている。そして、創作物への評価を通して、「自分たちの「伝統」への誇り、エスニシティの自覚の芽生え」(塩月,2002:17)から、沖縄の伝統文化が再生・再評価されているという。 


 観光や文化発信の際に見える、ユタの表象にも注目したい。濱は、一般住民・観光客に向けてのユタの紹介のされ方について論じている(濱,2011:76-77)。例えば、ユタを取り上げた沖縄の新聞記事を取り上げ、「手放しで礼賛するのではないが、総じて肯定的に取り上げていることがわかる。」(濱,2011:76)としている。


 また、濱は、県が運営する文化系ウェブサイトや、観光ガイドブックでのユタの扱われ方を紹介している。そこで、私は、2021年現在も県が運営する文化・観光系ウェブサイトを調べた。「沖縄県立教育センター」のウェブサイトでは、沖縄における女性の霊力の強さを説明するために、ユタが紹介されていた(沖縄県立教育センター online: index.html )。また、「沖縄観光情報WEBサイト 沖縄物語」のウェブサイトでは、占いやスピリチュアル・ヒーリングなどの営業店の紹介で、「ユタも占いに来る!」「沖縄のユタの方も私のお客様です」と、キャッチコピーが強調されていたりする。(沖縄観光情報WEBサイト 沖縄物語:https://www.okinawastory.jp/spot/600008494 )


 また、歴史学を研究している佐藤壮広は、自身の研究で、ユタが沖縄戦の記憶の継承者の役割を果たしていることを指摘している。佐藤は、サチさんという沖縄戦経験者のユタへ聞き取り調査を行った(佐藤,2002:1-5)。サチさんは、沖縄戦と世界平和に対して意識的である。佐藤は、現在における戦争体験者の証言記録の姿勢は、犠牲者への均質的な理解に至りがちだとしている。それに対し、ユタの霊的感受性は、戦争の犠牲となった死者の個別性に呼応するものだという。佐藤は、ユタたちの表象行為(儀礼など)も、一つの記憶の表象だとし、「沖縄の民間巫者たちの体験や儀礼の場が、57年前の沖縄戦を経た土地で暮らす人間の、戦争及び死者の記憶の場として捉える。」(佐藤,2002:5)と述べている。そして佐藤は、痛みや感情を敏感に受け取るユタの感受性が、戦争の記憶の継承方法とその実践において重要であると主張している。


 これらのことから、ユタは、「沖縄らしさ」「沖縄アイデンティティ」を確立するための一要素として存在していることがわかる。沖縄が沖縄として評価されるための、一つの歯車としても存在しているのだ。また、それは、観光や情報発信といった内部から外部に向けた形で表象されることも多い。そして、沖縄戦や太平洋戦争の記憶の継承者といった、現在の沖縄や国に対して問いを投げかける存在としても認知されている面があるのだ。


4.考察とまとめ


 これまで、私は各種の研究者の論考を引用しながら、現代におけるユタの二つの社会的役割について論じてきた。
 一連の流れからすると、現在もなお、ユタと沖縄は切り離せない関係にあることがわかる。私は、現在もユタが沖縄で必要とされる理由を、濱の「既存の医学に飽きたらない精神科医や、精神的な支えを求める人々、それを見守ろうとするマスコミが、ユタを資源と見なしている」という主張に求める。ユタの文化資源としての重要性が、沖縄の内部と外部の両側から注目され、利用されている。


 そして、ユタはそのような評価を受け入れ、現代に積極的に迎合する形で生き続けているのである。新垣喜宣は、自身の研究で、トートーメー問題以後のユタたちが社会に迎合する形で生き残り続けていることについて論じている。
 「トートーメー問題」とは、男系原理に基づいた位牌継承について1980年の新聞が取り上げたことを通して、女性差別、親戚同士の深い連帯の否定的な部分が露呈した出来事である。この問題が浮き上がったことで、位牌継承の世界観の担い手であったユタたちも激しく批判された。新垣は、トートーメー問題を、沖縄に日本本土の価値観や思考様式が流入してきたことで起こった問題だとし、沖縄社会の大きな転換点としている(新垣,2009:231-233)。


 つづいて、新垣は、トートーメー問題以後に聞き取り調査を行った三人のユタたちに対し、トートーメー問題で問題視された要素を見事に乗り越えていると評価した。そして、「これまで親族関係に向かいがちであったユタの宗教観、ハンジが、家族や個人を中心にしたものになり、現代に生きる人々のニーズに巧みに適応しようとしている」新垣,2009;241)としている。新垣は、他研究者を引用しながら、ユタの現代的変容の理由は、「個人化」という社会変動にあるとしている。


 これまでの流れから、ユタたちは社会に迎合する形で霊的世界観や依頼者に対する姿勢を変化させ続けていることがわかる。では、そのユタたちの姿勢や霊的世界観の柔軟性はどこから生まれるのだろうか?


 塩月は、ユタをはじめとするシャーマニズムが、従来の権力や体制(強者)に対する「反権力・反体制装置」としての側面を内包するとしている。そして、シャーマニズムは権力を拒否するだけでなく、権力側の理念を取り込む「戦術」を用いて生き残ってきたという。そして塩月は、W.Pリーブラの、沖縄においてユタだけが根強く存続している旨の説明を引用している(塩月,2002:15-16)。
 塩月の論を踏まえて、ユタたちの姿勢や霊的世界観の柔軟性について考えてみる。すると、いわば強者(近代医学、日本・大和・本土、個人化の進む社会情勢、マジョリティ)に対し、ユタたちは、現代も弱者(補完代替医療、奄美・沖縄・琉球、マイノリティ)として強者側の理念を取り込み、戦術としてうまく利用して生き残っているようである。


 しかし、これは現代のユタだけに見られる姿勢ではない。琉球王府時代のユタたちにも、同じような姿勢が垣間見える。赤嶺は、士族の家の継承は、もともと父系継承の原則からの逸脱もある程度認められるほどゆるやかなものだったとし、父系継承の原則を強めたのはユタであったとしている。


 赤嶺は、自身の論考で、「近世を通じて政治体制側からつねに弾圧される側であったユタたち(そのほとんどが女性)が、その体制側の理念である、シジイデオロギーを教条の域まで高めた」(赤嶺,2014:38-39)と述べている。シジイデオロギーとは、「家筋と父系血縁の整合を絶対とする考え方」(赤嶺,2014:36)であり、父系血縁関係絶対主義と言える。


 また、大正時代には、裁判を起こしたユタがいることも知られている。琉球新報社編集の『時代を彩った女たち 近代沖縄女性史』では、大正2年に起きた「東町の大火」の犯人にされたユタ、仲地カマジさんが警察に対し裁判を起こしたと記述されている。この裁判は沖縄社会の注目を集め、マスコミは連日、ユタ批判を繰り返した。仲地さんは警察の調書内容を繰り返し否定し、控訴もしたが、結局有罪判決が下され監獄入りとなった。


 このように、琉球王府時代も王府や警察といった強者に対し、弱者であるユタが、「父系血縁」や「裁判」などの強者側の理念を取り込み、生き残ろうとしていた面が窺える。


 そろそろ考察部の結論をまとめたいと思う。まず、ユタたちは王府時代から現代にかけて、社会に迎合する形で生き残ってきた。そのユタたちの柔軟性や霊的世界観の変化は、強者の理念を「戦術」として取り込みながら、弱者として生き残り続ける生存戦略から生まれるものだと推測できる。


 私は、この「生存戦略」の考えに至るのは、無信仰からユタになった人が多いこと、また、成巫するためには他のユタと関わる=他巫者のスタイルを多少継承しなくてはならないことが理由ではないかと考えているが、このレポートではこれらへの検討を保留とする。


 課題として残るのは、ユタたち自身の発言や主張に対する真摯な聞き取り調査が少ないという問題、ユタたちから見た現代へのまなざし、王府時代の王府とユタの関係性の検討などであろうか。特に、新型コロナウイルスが大流行し、近代医療の世界観が絶対化している2021年現在の世界情勢の中で、ユタたちがどのような姿勢を取っているかが気になるところである。それらの課題・問題点は、今後さらに調べていきたい。これで、考察部とレポート全体の締めくくりとする。


参考文献

○書籍
・佐野賢治・谷口貢・中込睦子・古家信平編, 1996, 『現代民俗学入門』, 東京:吉川弘文館
・宮城栄昌, 1967, 『沖縄女性史』, 沖縄:沖縄タイムス出版部
・中本正智・比嘉実, 1984, 『沖縄風物誌』, 東京:大修館書店
・新城俊昭, 2008, 『ジュニア版 琉球・沖縄史』, 東京:編集工房 東洋企画
・喜納育江, 2014, 『琉球大学 国際沖縄研究所ライブラリ 沖縄ジェンダー学1 「伝統」へのアプローチ』, 東京:大月書店
・琉球新報社編, 1996, 『時代を彩った女たち 近代沖縄女性史』, 沖縄:ニライ社
・友寄隆静, 1981, 『なぜユタを信じるか』, 沖縄:月刊沖縄社

○論文
・濱雄亮, 2010, 「足枷から資源へ-ユタ評価の重層性-」,『サイバー大学紀要』3巻:67-87
( https://www.cyber-u.ac.jp/about/pdf/bulletin/0003/0003_06.pdf , 2021年7月24日取得)
・上野彩, 2018, 「近代医療と「補完代替医療」の距離:石垣島で勤務する医師のインタビューを通じて」,『年報人間科学』39巻:15-28
( https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/67878/ahs39_015.pdf , 2021年7月24日取得)
・塩月亮子, 2002,「表象としてのシャーマニズム:沖縄の映画と文学にみるアイデンティティ・ポリティックス」,『哲學』107巻:1-20
( https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00150430-00000107-0004 , 2021年7月24日取得)
・佐藤壮広, 2011, 「巫者の身体の声を聴く-語りから描写へ 描写から語りへ-」『日本文学』60巻, 4号:28-34
( https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/60/4/60_28/_pdf/-char/ja , 2021年7月24日取得)
・佐藤壮広, 2002, 「沖縄戦と慰霊の継承-記憶の現場としての民間巫者の身体」『国際宗教研究所ニュースレター』34巻(02-1):1-5
( http://www.iisr.jp/publish/newsletter/no34.pdf , 2021年7月24日取得)
・新垣喜宣, 2009, 「沖縄のユタの宗教観における現代的変容」『文化/批評』1巻:229-244
( https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/75753/cac01_229.pdf , 2021年7月24日取得)

○インターネット
・沖縄県立教育センター,「琉球文化の概要」,『琉球文化アーカイブ』
( http://rca.open.ed.jp/city-2000/outline/index.html , 2021年8月3日閲覧)
・著者不明「城本観相塾 お顔占い城本芳弘|情報一覧|沖縄で定番・おすすめの観光スポット|沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語」
( https://www.okinawastory.jp/spot/600011388 , 2021年8月3日閲覧)
・著者不明「沖縄占い(手相・人相・観相)琉球観相師 藍 美乃|情報一覧|沖縄で定番・おすすめの観光スポット|沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語」
( https://www.okinawastory.jp/spot/600008494 , 2021年8月3日閲覧)

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