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レビュー 「映画・ワンダー 君は太陽」

 私が「話題のハリウッド映画」を見に行くのは最近には珍しいことなのですが、昨日この映画を観にゆきました。原作は2013年にアメリカで刊行された児童書。日本では2015年に発行されてています。

 主人公は、遺伝子の疾患で他の人とは違う顔をもって生まれたオギーという少年。度重なる手術を受けて今は他の子と変わりなく生活することができるようになっているけれど、その「見た目」は他の子とは違う。10歳になって、初めて「学校」という場に飛び込むことになるのだけど、そこにはジロジロ見つめる冷たい視線や「いじめ」があって・・・。この試練をオギーはどうやって乗り越えるのか という物語。映画はほぼこの原作の設定の通りに描かれていました。これから皆さんにも観てもらいたいので、ネタバレにならないように感想を書きます。

 まず。この物語は、泣ける映画ですが、悲しい映画じゃありません。途中どんどん切ない気持ちにはなりますが、パパやママの励ましがあったり、お姉ちゃんの声かけがあったり 救いがそこここにあります。

 そして、主役はもちろんオギーなのだけど、お姉ちゃんの気持ちや、途中仲たがいしてしまう友人の気持ち にしっかりと寄り添っている。いじめっこには「なるほどね」と思ってしまう原因があったし、そのいじめっ子の腰巾着たちが後にとる行動には胸が熱くなる。みんながオギーと知り合うことで、触れ合うことで、ちょっとずつ変化してゆく様がたまらなく愛おしい。

 そして、私は気づく。映画を観始めたときに、オギーの顔はとても奇怪なものに見えるのだが、終盤にはそれがほぼ気にならなくなっている。むしろとても愛らしい。これには2つの側面があるように思われた。一つ目は、オギー少年の表情は、物語が進むにつれてイキイキとして 自信にあふれていったから。そしてもう一つは私のまなざしが変わったから。頑張ってるオギーを応援する『近所のおばちゃん目線』に変わったから。

 よくわからないものって、敬遠しがち。知らないから奇怪に感じるけれど 知ることによって「なんだ、自分とあまり変わらない」と気づく。
 文字にすると簡単なことのように思えるけれど 気付くまでには双方に そこそこのエネルギーが必要なのだろう。勇気も必要になってくるけど、おそれることなく、前に進む力こそが相互の理解につながるのかもしれないね。


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