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学校と鼻水と私。

冬の乾燥は鼻が詰りますね。どうですか、みなさん。お鼻の調子は。

私は小さい頃から鼻が悪い。
ひとたび風邪をひけば鼻が詰り、ティッシュがあれよあれよと無くなっていく。鼻の下が赤く切れ、鼻水がしみる。
ワセリンと鼻セレブは神様からの贈り物。

これでも大人になって、かなりよくなってきたのだ。一番酷かった頃、それは小学校時代。
私は日常的に鼻が詰っていた。年に半分くらいは口呼吸で過ごす。

認識できない事が起こす地獄。

今日は語りたい。鼻が詰ってる、それだけで人生に絶望していた子供の頃を。

最近の子供達があおっ鼻を垂らしてる姿を見ることは少ない。我が子も遺伝で鼻が悪い方だが、病院から貰った薬をちゃんと飲んでればその内に収まってくれる。
どうやら、医学の進歩で鼻炎用の薬の質が格段に良くなったのだと聞いた。
本当にありがたい。

鼻が詰まる。その弊害がとてつもない事をご存知だろうか?

まず、口呼吸になる。これが辛い。風邪はひきやすくなるわ、口内は乾燥して臭うわ。虫歯にもなりやすい。
長年の口呼吸は顔の形まで変える。
私の唇がぶ厚いのも、実は口呼吸の影響だったりする。鼻呼吸を徹底したら、唇が小さくなってくるそうだ。唇が厚くて気になってる方はお試しあれ。

(でも、厚い唇は老けにくいし、リップを塗るだけで化粧した感じになるし、良い事いっぱい。たらこ唇で悩むアナタ、自信持って!!)

そして、頭がぼーっとする。鼻が垂れ流し状態も辛いが、蓄膿になってしまうと酷い時には頭痛も伴う。
とても授業を受けて頭に入る状態ではない....のだが、日本の学校は教師の話を黙って聞いていれば勝手に授業が進んでくれるので、たいして困る事はなかった気がする。(テストの点は悪かったが)

私に起こった一番の弊害。それは、敵にこの鼻づまりを攻撃された事だった。
クラスに敵?と、思うかもしれない。
当時、私はクラスの男子や一部の女子の攻撃対象だった。
その頃の私は、生意気だったし、忘れ物も多いし、悪目立ちするタイプだったので、攻撃したくなる気持ちは分からなくはない。

そして、顔が可愛くなかった。
ブス。反抗的な、ブス。
「ちびまる子ちゃん」の世界を想像してほしい。みぎわさんや冬田さんの扱いを。子供の世界ほど、男女共にブスには厳しいのだ。

その中でも一人、とても厄介な男子がいた。
そいつは友達も多く、クラスに影響力もある。さらに、「相手が一番嫌なところを確実に攻撃する」スキルの持ち主だった。
きっかけは分からないが、私は知らぬ内に奴の目に止り、大爆撃を受けた。

私のやることなすこと、全てにケチつけてきたのだ。口を開けば罵詈雑言。

授業中鼻をかめば、「鼻をかむ音がうるさい。」
使ったティッシュの置場所に困り、机の中に入れれば、「汚い、気持ち悪い。」
顔を合わせれば、「口が開いていて、だらしがない。」
給食中は「くちゃくちゃ食べるな、気持ち悪い。」

周囲も同調するものだから、だんだん私が悪いと思うようになるもので。
しかも、汚いや気持ち悪いというのは、女子として「うるさい、どーでも良いだろ!」という訳にはいかない。家で注意されもしなかったのに、奴はこれみよがしに汚い、気持ち悪いと繰り返す。

どうにか対処しようとするものの、どうしても気を抜けば口は開く。どうしてもくちゃくちゃ食べてしまう...私は困り果てた。

とうとう責められるのが嫌で、給食の時は汚い食べ方になりそうな物を食べず、少量何か食べて牛乳を飲んだら動きをストップ。
THE微動だにしない作戦。
思い出すだけで悲しい作戦であった。
それでも、「こいつ人形みたいで気持ち悪い」と言われた日には!!

授業中も鼻をかめば舌打ちされるので、酷い時はマスクをして鼻をすするしかなかった。忘れんぼな私はマスクも忘れた。すすりまくった。完全に対処としては間違いであった。
授業が終われば教室の片隅で鼻をかんだ。惨めである。

結局、私はそのクラスで汚いブスとして過ごす事となった。自尊心はボコ殴りである。思い出すのも辛い記憶。同窓会があったって、頼まれても行くもんか。呼ばれた事ないけど!えーん。

そして大人になって。お陰様で長年の鼻炎も治り、鼻も両方通っている事が普通になった頃。

風邪で副鼻腔炎を起こして、苦労しながらご飯を食べてる時にふと、小学校のあの時の記憶が甦ったのである。

「鼻が両方詰まってるときに、ご飯食べるのめっちゃ辛い!!!」

当たり前の事が、小学生の私には分かってなかったのである。
私の鼻炎はかなり酷いものだった。両方詰まるなんて日常茶飯事。

口を開かなきゃ、息が出来なかったんじゃん!!!

時々口が開いていてるのも、苦しかったからだった。バカ面と言われても、空気吸わなきゃ生きていけないじゃない。と。
親に注意されなかったのも、私の鼻炎の辛さを知っての事だった。両親も、鼻炎持ちだったから。

救われた瞬間であった。長年の謎が遂に解けたのだ。
そして、だんだん腹が立ってきたのである。

たしかに、鼻水は汚い。見苦しい。嫌な気分にさせるだろう。
しかし、好きで鼻炎になっている人間がいるだろうか?いないのだ。
人間は自分が同じ状態を経験しないと、相手の立場を想定するのが難しい。それは分かる。
だからといって、出来ない「普通」を押し付けて良いのだろうか。

人は見苦しいから直せ。その癖をやめろ。と簡単に言う。でも、それが本人にはどうしようもない事だったらどうするのか。

鼻水くらい、気にせずかんだら良かったのだ。
先生に訴えるくらいすれば良かった。鼻をかむ音がうるさいなら、クラスで話し合いの場でも設けてもらえば良かった。鼻が詰まる辛さを訴え、解決方法を他人に委ねれば何かしら良い案があったのではないか。
先生は、大人は、私の何を見ていたのか....

当時の私は鼻詰りが日常的で、鼻炎が治った状態がどんなに快適か知らなかった。そして、言われるがまま、汚い見苦しいのは私のせい、私が悪いと信じこんだ。先生に訴える事はしなかった。
どうしたって、詰んでいたのだ。

しかし、この経験で学んだこともある。

悪意のある人間に自分の答えを求めてはいけない。

嫌いな人が何をやっても嫌悪感を引き起こすように。私が悪意のある人間に言われて、自分を正したとしても、それを正したところで、嫌いな事は変わらない。他に難くせをつけてくるだけなのだ。

自分で考え、自分の出来る対処をすれば、あとは外野が何と言おうとほおっておく。他人の中に、自分の答えなんて無いのだ。それが悪意のある人間なら、なおのこと。
まさに、中島みゆきの『宙舟』。「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな」である。

因みに。私を苛めた例の男子は小中学校と同じ所に通い、高校でやっと別れ、それからの進路は知らない。
中学で同じクラスになる事はなかったが、顔の広い友人から「奴の彼女が奴に酷い扱いを受けている、見ていてとても可哀相だ。」という話は聞いた。
あの時は、(奴の彼女が辛いのがわかるな。嫌われて苛められた私より扱いは良いだろうけど。)としか思わなかった。
今ならわかる。奴の言葉や態度は嫌いな相手以外も攻撃する、例えば付き合った相手でさえも。猛毒だったのだ。
自分の思うように相手を操る手段としての、あの言動だった。
奴もいい年である。ちゃんと家族を愛してあげているのだろうか。口先や態度で苛めてはいないだろうか....私はもう、知るすべはないけれど。

長々と語ってしまったが、そろそろ静岡は花粉が飛び始めるのだそうだ。花粉症の時期である。
発症している人間には辛い、してない人間にはいまいち分からない、そんな花粉症。

でも、分からないからといって、簡単に「普通」を押し付けないであげてほしい。
思っている以上に辛いものなのだ。
いつ、どんなに時にこちら側に立つかはわからないのだから。
私はまだ花粉症を発症してはいない。けれど、愛情と理解を持って接していきたいと思う。

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